第23話 第五節 宴席の笛と歌 ー調べー
文字数 2,201文字
満月の日が来た。
陽が傾き始めた頃より次々と馬車を囲む行列が中浜宗家の大門をくぐり、その華やかな人の波が途切れる暇(いとま)がなかった。
奥へ案内された人々は、長い回廊のそれぞれの位置に主たる供の者まで何重にも重なり席が埋まった。
回廊の一辺は舞台になりその周辺にはそれぞれ美しい花園や小さな池があり、見るものを飽きさせなかった。
ほどなく料理が次々と運ばれ様々な種類の酒も用意された。
「此度は遠路はるばる足を運んでくださり誠にありがたき幸せ。どうかごゆるりとお過ごしください。まだ月が姿を現すまでには時がございますゆえ、饗のものを味わっていただければ幸いでございます。東浜宗家、西浜宗家、そして我が中浜宗家、三家が強き絆で結ばれることこそが『王の頭』として王家の安泰にも通じることと存じます。今後ともよろしくお願い仕り(つかまつり)ます」
サンコたちの父である中浜宗家当主が挨拶をした。
東浜も西浜もそれぞれ年頃の娘や息子を伴っている。
どちらかがサンコの妻になればもう一方の家にはハンナが嫁ぐことになるだろう。
当主はそれぞれ複数の妻を持ち子も多い。互いに相応しい年頃の子どもたちを会わせるという趣向だ。
子どもの頃は、訳もわからず舞台を走り回り遊んだ三家の子女も年頃になると、親の思惑を察し互いに意識し合うようにもなっていた。
サンコが十八で成人し、この日嫁選びの満月の宴を迎えたのだ。
東浜宗家からは三姉妹が、西浜宗家からも三姉妹が、それぞれ当主夫妻を挟んで席についていた。
サンコは当主の隣でどちらの娘たちにも視線を向けることはなくただ一点を見つめていた。
舞台横に長い屏風が張られている。その裏には小さな戸口がついている。
その戸口付近にシ―ナはいる。
東、中、西と埋まった三辺の回廊の客席側からシーナの姿を確認することはできないし、シーナの位置から客席の様子を見ることはできない。
そうでなければ、シーナは百を超えると思われる人々の姿を目にして歌うことはできないだろう。
「では、これよりお耳汚しとは存じますが、息子サンコの笛をお聴きいただきたくお願い申しあげます」
当主が言うと、サンコは、表情一つ変えずにするりと立ち上がり舞台へと上がっていった。
すらりと真っすぐに伸びた身体に藍色の衣装を纏い、舞台中央に進みひとり立つサンコの様は、衣装に描かれた色彩豊かな鳳凰そのままに華やかで気品に溢れていた。
笛を構えると美しい音色がその口元から放たれた。
賑わっていた座が一瞬で静寂へと変わった。
春を思わせる柔らかい響きは人々の心を浮き立たせ一同を虜にした。
やがて曲調は激しくなり体が弾むような楽しさに代わり、人々は今にも踊りだしそうな心地になっていた。
そしてさらに曲調は変化していった。
「ルルルーーーーールルーーーール――――― ルルーーーーーーーー 』
天から降ってくるかのような高く美しい響きが人々を包み込んだ。
それは笛の音色に重なりときに分かれ、温かくそれでいて物悲しい感情を人々に抱かせた。
「これは…いったい…」
誰もが心の芯を掴まれ歌と笛に聴き入った。
涙する者、ただ酔ったように聴き入る者…
その場はまさにその音曲と聴衆が一つになっていた。
やがて声が消え、笛の音が止んだ。水を打ったような静けさが広がった。
シ―ナは走って自室に戻り一人震えていた。震えはいつまでも止まらなかった。
サンコは拍手喝采のなか笑みを浮かべていた。
娘たちは、歌い手の姿を見たがったが「歌の才には恵まれたもののまだ幼く無作法にてご挨拶もままならぬ者、お目汚しにしかなりませぬ故お許しください」
サンコが取り繕った。
この美しい調べは、その場にいた者たちの口により野火のように瞬く間に広がっていった。
その噂は宮廷にも伝わり『王の耳』にも届いた。
そして宴から十日を経て、王宮からのサンコのもとへ王宮からの招きが届いたのだった。
王家の婦人たちが、三家の宴で披露された笛と歌を聴きたがっているという内容だった。
かくしてそれはサンコの狙い通りのことだった。
「これがお兄さまの目論みだったのですね」
ハンナは冷ややかな視線を向けながら言った。
「目論むか。お前はなかなか手厳しいな」
サンコは不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「どうして王宮に出向く必要があるのですか。シ―ナの歌はルアンのものです」
ハンナは強い口調でそう言った。
「歌は誰のものでもない。お前が作った縁ではあるが、シ―ナには我が一族の永久の安泰のために働いてもらわねばならぬ」
少し間延びしたような口調で呟くようにそう言った。
「我が一族の永久の安泰? 充分安泰だと存じますが」
ハンナは食い下がった。
「お前は知らぬのだ。まぁお前はそれでよい。私が知っていればよいことだ」
ハンナが言い終わらないうちにサンコは早口でそう言った。
「兄上…」
ハンナはその先の言葉を飲みこんだ。
「ハンナ。お前はこれまで通り、ルアンの身を案じ愛しんでおればよい。お前が望まないところへ嫁ぐ必要もない。私がこの家を守ればよいことだ」
サンコの意志は固くシーナに断る選択肢はなかった。
そして、森でともに過ごした自分たちが決して足を踏み入れてはいけない王宮へとその距離は縮まっていくのだった。
陽が傾き始めた頃より次々と馬車を囲む行列が中浜宗家の大門をくぐり、その華やかな人の波が途切れる暇(いとま)がなかった。
奥へ案内された人々は、長い回廊のそれぞれの位置に主たる供の者まで何重にも重なり席が埋まった。
回廊の一辺は舞台になりその周辺にはそれぞれ美しい花園や小さな池があり、見るものを飽きさせなかった。
ほどなく料理が次々と運ばれ様々な種類の酒も用意された。
「此度は遠路はるばる足を運んでくださり誠にありがたき幸せ。どうかごゆるりとお過ごしください。まだ月が姿を現すまでには時がございますゆえ、饗のものを味わっていただければ幸いでございます。東浜宗家、西浜宗家、そして我が中浜宗家、三家が強き絆で結ばれることこそが『王の頭』として王家の安泰にも通じることと存じます。今後ともよろしくお願い仕り(つかまつり)ます」
サンコたちの父である中浜宗家当主が挨拶をした。
東浜も西浜もそれぞれ年頃の娘や息子を伴っている。
どちらかがサンコの妻になればもう一方の家にはハンナが嫁ぐことになるだろう。
当主はそれぞれ複数の妻を持ち子も多い。互いに相応しい年頃の子どもたちを会わせるという趣向だ。
子どもの頃は、訳もわからず舞台を走り回り遊んだ三家の子女も年頃になると、親の思惑を察し互いに意識し合うようにもなっていた。
サンコが十八で成人し、この日嫁選びの満月の宴を迎えたのだ。
東浜宗家からは三姉妹が、西浜宗家からも三姉妹が、それぞれ当主夫妻を挟んで席についていた。
サンコは当主の隣でどちらの娘たちにも視線を向けることはなくただ一点を見つめていた。
舞台横に長い屏風が張られている。その裏には小さな戸口がついている。
その戸口付近にシ―ナはいる。
東、中、西と埋まった三辺の回廊の客席側からシーナの姿を確認することはできないし、シーナの位置から客席の様子を見ることはできない。
そうでなければ、シーナは百を超えると思われる人々の姿を目にして歌うことはできないだろう。
「では、これよりお耳汚しとは存じますが、息子サンコの笛をお聴きいただきたくお願い申しあげます」
当主が言うと、サンコは、表情一つ変えずにするりと立ち上がり舞台へと上がっていった。
すらりと真っすぐに伸びた身体に藍色の衣装を纏い、舞台中央に進みひとり立つサンコの様は、衣装に描かれた色彩豊かな鳳凰そのままに華やかで気品に溢れていた。
笛を構えると美しい音色がその口元から放たれた。
賑わっていた座が一瞬で静寂へと変わった。
春を思わせる柔らかい響きは人々の心を浮き立たせ一同を虜にした。
やがて曲調は激しくなり体が弾むような楽しさに代わり、人々は今にも踊りだしそうな心地になっていた。
そしてさらに曲調は変化していった。
「ルルルーーーーールルーーーール――――― ルルーーーーーーーー 』
天から降ってくるかのような高く美しい響きが人々を包み込んだ。
それは笛の音色に重なりときに分かれ、温かくそれでいて物悲しい感情を人々に抱かせた。
「これは…いったい…」
誰もが心の芯を掴まれ歌と笛に聴き入った。
涙する者、ただ酔ったように聴き入る者…
その場はまさにその音曲と聴衆が一つになっていた。
やがて声が消え、笛の音が止んだ。水を打ったような静けさが広がった。
シ―ナは走って自室に戻り一人震えていた。震えはいつまでも止まらなかった。
サンコは拍手喝采のなか笑みを浮かべていた。
娘たちは、歌い手の姿を見たがったが「歌の才には恵まれたもののまだ幼く無作法にてご挨拶もままならぬ者、お目汚しにしかなりませぬ故お許しください」
サンコが取り繕った。
この美しい調べは、その場にいた者たちの口により野火のように瞬く間に広がっていった。
その噂は宮廷にも伝わり『王の耳』にも届いた。
そして宴から十日を経て、王宮からのサンコのもとへ王宮からの招きが届いたのだった。
王家の婦人たちが、三家の宴で披露された笛と歌を聴きたがっているという内容だった。
かくしてそれはサンコの狙い通りのことだった。
「これがお兄さまの目論みだったのですね」
ハンナは冷ややかな視線を向けながら言った。
「目論むか。お前はなかなか手厳しいな」
サンコは不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「どうして王宮に出向く必要があるのですか。シ―ナの歌はルアンのものです」
ハンナは強い口調でそう言った。
「歌は誰のものでもない。お前が作った縁ではあるが、シ―ナには我が一族の永久の安泰のために働いてもらわねばならぬ」
少し間延びしたような口調で呟くようにそう言った。
「我が一族の永久の安泰? 充分安泰だと存じますが」
ハンナは食い下がった。
「お前は知らぬのだ。まぁお前はそれでよい。私が知っていればよいことだ」
ハンナが言い終わらないうちにサンコは早口でそう言った。
「兄上…」
ハンナはその先の言葉を飲みこんだ。
「ハンナ。お前はこれまで通り、ルアンの身を案じ愛しんでおればよい。お前が望まないところへ嫁ぐ必要もない。私がこの家を守ればよいことだ」
サンコの意志は固くシーナに断る選択肢はなかった。
そして、森でともに過ごした自分たちが決して足を踏み入れてはいけない王宮へとその距離は縮まっていくのだった。