第30話 第十節 探索 -情報ー
文字数 3,082文字
一か月半の間、テナンは、行き交う人々の会話に耳を傾けながら国を縦横に旅した。
呪術師という言葉を拾ったら話しかけるつもりでいたのだ。
しかしその言葉は耳にすることはできなかった。
すでに西の果て、砂漠を越えた『西山の道』まで来ている。
今日も日が暮れてきた。テナンは木の実を探し寝場所を求めて林に入った。
「もうだめなのだろうか…」
焦りと諦めが交差して最近はよくお腹が痛くなった。いまもだ。
小さい頃何かというとお腹が痛くなるテナンを、サナは横にしてお腹をさすってくれた。
そうすると痛みが軽くなってそのまま眠ってしまったような気がする。すごく小さいときだった。
サナを探し出すことを諦めたら俺はみんなに会えない。
きっとどこかでみんなにまた会える気がして、そのとき「母さんを探し出したよ」とサナと会わせてあげたい。
え? 俺そんなこと考えていたんだ…
初めてテナンは自分の奥底に眠っていた本音に気付いた。
テナンが林の草藪で横になり腹をさすっていると、会話が聞こえてきた。
山の男らしい逞しい背中だが沈んで弱弱しい。
「おかぁがずっと寝込んでいて金もなくて医者にもかけてあげられねえし、このまま死んじまうんじゃねぇかって心配でしょうがねぇよ」
「そうかぁ。うちのおふくろが具合悪くなったときおやじが言ってたよ呪術師が昔みてぇにいてくれたらなぁって」
「なんだ? それ」
「金もとらずに呪術をかけて病気を治してくれる呪術師がいて昔はふらりと現れたらしい。あ、親方の奥さんも小さい頃重い病気でずっと寝たきりだったそうなんだ。何でもお母さんが呪術師に頼んで呪術をかけてもらってそのあとすっかり回復して元気になったらしいぞ。小さかったけどうっすら記憶にあるらしいんだ。いつも冷たいお腹が急にすごくあったかくなって不思議でそこだけ覚えているって。親方の奥さんはアリサさんというんだけど、アリサさんのお母さんは『西畑の道』の商人の女房だってさ」
「ずいぶん前の話だなぁ。その呪術師だろう磔になったのは…いまでもいるのかなぁ呪術師は…」
会話はそれから先も続いていたが、テナンは二人に気付かれないように起き上がり林のさらに奥に行き気持ちを落ち着けた。
『西畑の道』の商人町に戻ってアリサの母を訪ねる。
それだけ分かれば十分だ。明日の朝立とう。テナンは逸る気持ちを抑えた。
朝早くに出立し三日目の夕刻のことだった。
アリサの母親の住む家に着くと、年配の女性が庭に屈みこみ小さな菜園から野菜を収穫しているのが見えた。
驚かせないように小さな声で「こんにちは」とテナンは声をかけた。
「こんにちは」と返してきた顔は優しげだ。
テナンは隣に少し離れて屈みこむと周囲に気を配りながら、
「私はテナンといいます。実は人を探しているんですが…」言い終わらないうちに
「まぁ、まぁ、それは大変ねぇ」と女性は応じて立ち上がった。
一緒にテナンも立ち上がると「誰を探してるの?」と身を乗り出して聞いてきた。
「母親です。手がかりは、呪術師が知っているということだけなんです。それでまず呪術師に会うのが一番かなと…」
みるみるアリサの母親の顔が蒼ざめてきた。
そして気の毒そうな表情になり、
「悪いことは言わない。呪術師には会わない方がいい。お母さんは違う方法で探しなさいな」と言った。
「なぜですか?」
アリサの母親はそれには答えずそそくさと家に入っていった。
だめか…
なぜ呪術師というだけで皆口を閉ざすのだろう。
親方は十五年前に呪術師が処刑されたと言っていた。
十五年前に生まれた赤子は、自分たち以外命を奪われた。
十五という数字が出たら俺たちは耳を塞がなくてはならないのだ。
当てがなくなり力なく歩いていると、人気が途切れたところで後ろから近寄ってくる足音に気づいた。
振り返るとアリサの母親が息を切らしながら近づいてきた。
「あんた、歩くの速いねぇ、これで追いつかなかったら教えてあげるのやめようかと思ったよ」
アリサの母親は息も絶え絶えで言った。
「ありがとうございます。いやあ嬉しいなあ」
「家の近くでは困るんだよ、誰に聞かれているか分からないからね。ましてあんたはいきなり外で呪術師と言ったからああするしかなかったんだ。悪かったね」
頭を掻き上げた。
これほどまで呪術師は世間では避けられていたとは…
「そうでしたか。配慮もなくいきなり話してしまいごめんなさい」
テナンは深く頭を下げた。
「いいんだよもう。役に立つかは知らないけど私が知っている範囲で話そうかね。呪術師は奴婢ではないけれど不思議な人たちでね、流浪の民だから決まったところには住んでいないらしいよ。呪術を磨くために山に籠って行を積んだかと思うと町場に降りてきて困った人達の願いを呪術によって叶えるんだよ。あんた私の娘のことを聞いて来たんだろう?」
母親は呼吸を整えながら話を続けた。
「娘は病気になってどこの医者にかかってもどんどん悪くなってね。金だってかかるしどうしようもないときだった。近所の人に『近くに呪術師がたまたま来たから頼んでみたら?』って言われたんだよ。そのときは必死で藁にも縋る思いだったから、その人から呪術師のことをいろいろ教えてもらって娘を背負って呪術師が来ていた家を訪ねたのさ。事情を話すと娘を横たわらせてそれからずっと娘に何かを唱え続けていたよ、手を合わせてさ。その呪術師がやったことといえばそれだけさ。それでうちへ帰って数日したら自分から起きて食べて…そのあとどんどん元気になっていってね、いまは嫁いで子どももできて元気にしているよ。まぁアリサ自身は小さかったし病気で朦朧としていたから何も覚えていないはずだけどね。 でも私に呪術師のことを教えてくれた人はそのあと突然村から消えたの。怪しげな人たちと繋がっているからという理由で捕らえられたらしい。娘が元気になったのはその人のお陰だから申し訳なくて仕方なかったわ。でも私の力ではどうしようもできない。だから私はあのときのことは一切秘密にしようと決めたの。『王の矢』が村中聞き回ってうちに来たとき、知りませんと答えたんだよ」
一気にそう話すと、アリサの母は、ふーっと息をついた。
呪術師と関わりがあると知られると自身の身に危険が及ぶ。ということは人伝に聞いて確かめることは難しいだろう。
それに、流浪の民ということはよほどの偶然の重なりでなければ会えないということだ…
気落ちしたのを悟られないようにテナンは女性に笑いかけた。
女性は記憶を辿るようにしばらく首をかしげて
「その当時私に呪術師のことを教えてくれた人が『東林の道』の籠職人ゴンザさんの妻のハルさんが呪術師と親しいとかなんとか…言っていたような気がするねぇ」
気落ちしていたテナンの心が蘇った。
十分だ。少しでも呪術師に繋がる人を辿っていけばいつかきっと母さんに行き着く。
いまはそれを信じるだけだ。
「ありがとうございます。行ってみます」と言って女性に何度も頭を下げた。
「お母さんに会えるといいね」と嬉しそうに言うとテナンを見送った。
安心したテナンは悪寒と足の重さを感じたが、やっと得た手がかりだ、籠職人ゴンザの妻ハルに一刻も早く会いたい。
まずは大通りに出なければ…と南に向かって足を動かした。
通りに出て東に向かうが、途中にあった林の木の根もとに横になった。
しばらくして起き上がると、辺りの木に成る実をいくつか採り食べその木に手を合わせ再び東に向かって歩き出した。
呪術師という言葉を拾ったら話しかけるつもりでいたのだ。
しかしその言葉は耳にすることはできなかった。
すでに西の果て、砂漠を越えた『西山の道』まで来ている。
今日も日が暮れてきた。テナンは木の実を探し寝場所を求めて林に入った。
「もうだめなのだろうか…」
焦りと諦めが交差して最近はよくお腹が痛くなった。いまもだ。
小さい頃何かというとお腹が痛くなるテナンを、サナは横にしてお腹をさすってくれた。
そうすると痛みが軽くなってそのまま眠ってしまったような気がする。すごく小さいときだった。
サナを探し出すことを諦めたら俺はみんなに会えない。
きっとどこかでみんなにまた会える気がして、そのとき「母さんを探し出したよ」とサナと会わせてあげたい。
え? 俺そんなこと考えていたんだ…
初めてテナンは自分の奥底に眠っていた本音に気付いた。
テナンが林の草藪で横になり腹をさすっていると、会話が聞こえてきた。
山の男らしい逞しい背中だが沈んで弱弱しい。
「おかぁがずっと寝込んでいて金もなくて医者にもかけてあげられねえし、このまま死んじまうんじゃねぇかって心配でしょうがねぇよ」
「そうかぁ。うちのおふくろが具合悪くなったときおやじが言ってたよ呪術師が昔みてぇにいてくれたらなぁって」
「なんだ? それ」
「金もとらずに呪術をかけて病気を治してくれる呪術師がいて昔はふらりと現れたらしい。あ、親方の奥さんも小さい頃重い病気でずっと寝たきりだったそうなんだ。何でもお母さんが呪術師に頼んで呪術をかけてもらってそのあとすっかり回復して元気になったらしいぞ。小さかったけどうっすら記憶にあるらしいんだ。いつも冷たいお腹が急にすごくあったかくなって不思議でそこだけ覚えているって。親方の奥さんはアリサさんというんだけど、アリサさんのお母さんは『西畑の道』の商人の女房だってさ」
「ずいぶん前の話だなぁ。その呪術師だろう磔になったのは…いまでもいるのかなぁ呪術師は…」
会話はそれから先も続いていたが、テナンは二人に気付かれないように起き上がり林のさらに奥に行き気持ちを落ち着けた。
『西畑の道』の商人町に戻ってアリサの母を訪ねる。
それだけ分かれば十分だ。明日の朝立とう。テナンは逸る気持ちを抑えた。
朝早くに出立し三日目の夕刻のことだった。
アリサの母親の住む家に着くと、年配の女性が庭に屈みこみ小さな菜園から野菜を収穫しているのが見えた。
驚かせないように小さな声で「こんにちは」とテナンは声をかけた。
「こんにちは」と返してきた顔は優しげだ。
テナンは隣に少し離れて屈みこむと周囲に気を配りながら、
「私はテナンといいます。実は人を探しているんですが…」言い終わらないうちに
「まぁ、まぁ、それは大変ねぇ」と女性は応じて立ち上がった。
一緒にテナンも立ち上がると「誰を探してるの?」と身を乗り出して聞いてきた。
「母親です。手がかりは、呪術師が知っているということだけなんです。それでまず呪術師に会うのが一番かなと…」
みるみるアリサの母親の顔が蒼ざめてきた。
そして気の毒そうな表情になり、
「悪いことは言わない。呪術師には会わない方がいい。お母さんは違う方法で探しなさいな」と言った。
「なぜですか?」
アリサの母親はそれには答えずそそくさと家に入っていった。
だめか…
なぜ呪術師というだけで皆口を閉ざすのだろう。
親方は十五年前に呪術師が処刑されたと言っていた。
十五年前に生まれた赤子は、自分たち以外命を奪われた。
十五という数字が出たら俺たちは耳を塞がなくてはならないのだ。
当てがなくなり力なく歩いていると、人気が途切れたところで後ろから近寄ってくる足音に気づいた。
振り返るとアリサの母親が息を切らしながら近づいてきた。
「あんた、歩くの速いねぇ、これで追いつかなかったら教えてあげるのやめようかと思ったよ」
アリサの母親は息も絶え絶えで言った。
「ありがとうございます。いやあ嬉しいなあ」
「家の近くでは困るんだよ、誰に聞かれているか分からないからね。ましてあんたはいきなり外で呪術師と言ったからああするしかなかったんだ。悪かったね」
頭を掻き上げた。
これほどまで呪術師は世間では避けられていたとは…
「そうでしたか。配慮もなくいきなり話してしまいごめんなさい」
テナンは深く頭を下げた。
「いいんだよもう。役に立つかは知らないけど私が知っている範囲で話そうかね。呪術師は奴婢ではないけれど不思議な人たちでね、流浪の民だから決まったところには住んでいないらしいよ。呪術を磨くために山に籠って行を積んだかと思うと町場に降りてきて困った人達の願いを呪術によって叶えるんだよ。あんた私の娘のことを聞いて来たんだろう?」
母親は呼吸を整えながら話を続けた。
「娘は病気になってどこの医者にかかってもどんどん悪くなってね。金だってかかるしどうしようもないときだった。近所の人に『近くに呪術師がたまたま来たから頼んでみたら?』って言われたんだよ。そのときは必死で藁にも縋る思いだったから、その人から呪術師のことをいろいろ教えてもらって娘を背負って呪術師が来ていた家を訪ねたのさ。事情を話すと娘を横たわらせてそれからずっと娘に何かを唱え続けていたよ、手を合わせてさ。その呪術師がやったことといえばそれだけさ。それでうちへ帰って数日したら自分から起きて食べて…そのあとどんどん元気になっていってね、いまは嫁いで子どももできて元気にしているよ。まぁアリサ自身は小さかったし病気で朦朧としていたから何も覚えていないはずだけどね。 でも私に呪術師のことを教えてくれた人はそのあと突然村から消えたの。怪しげな人たちと繋がっているからという理由で捕らえられたらしい。娘が元気になったのはその人のお陰だから申し訳なくて仕方なかったわ。でも私の力ではどうしようもできない。だから私はあのときのことは一切秘密にしようと決めたの。『王の矢』が村中聞き回ってうちに来たとき、知りませんと答えたんだよ」
一気にそう話すと、アリサの母は、ふーっと息をついた。
呪術師と関わりがあると知られると自身の身に危険が及ぶ。ということは人伝に聞いて確かめることは難しいだろう。
それに、流浪の民ということはよほどの偶然の重なりでなければ会えないということだ…
気落ちしたのを悟られないようにテナンは女性に笑いかけた。
女性は記憶を辿るようにしばらく首をかしげて
「その当時私に呪術師のことを教えてくれた人が『東林の道』の籠職人ゴンザさんの妻のハルさんが呪術師と親しいとかなんとか…言っていたような気がするねぇ」
気落ちしていたテナンの心が蘇った。
十分だ。少しでも呪術師に繋がる人を辿っていけばいつかきっと母さんに行き着く。
いまはそれを信じるだけだ。
「ありがとうございます。行ってみます」と言って女性に何度も頭を下げた。
「お母さんに会えるといいね」と嬉しそうに言うとテナンを見送った。
安心したテナンは悪寒と足の重さを感じたが、やっと得た手がかりだ、籠職人ゴンザの妻ハルに一刻も早く会いたい。
まずは大通りに出なければ…と南に向かって足を動かした。
通りに出て東に向かうが、途中にあった林の木の根もとに横になった。
しばらくして起き上がると、辺りの木に成る実をいくつか採り食べその木に手を合わせ再び東に向かって歩き出した。