第55話 第一節 なぜそこに ー青虎ー
文字数 2,775文字
シーナの叫び声に重なり、やっと息を大きく吸った王が叫んだ。
「その者達を討て―討ち果たすのだーーーっ!」
歌が止んだことで、呼吸を取り戻した王の狂気の声だった。
この声を聞いてからだった。
横たわり消えゆく意識の中でチマナが姿を変え始めたのは。
観衆の目には、またもや信じがたい光景が現れた。
白い蛇の傍らに横たわっているように見えた少女の身体はむくむくと膨れ上がり色鮮やかな服を突き破ると、全身青色の毛が生えた恐ろしい獣が姿を現した。
それは大きな青い虎だった。
「あいつだ! あいつをいますぐ討てー!」
耳をつんざくばかりの王の怒りの叫びがとどろく。
切り付けられたところから鮮血を滴らせた真っ青な虎が地に立ち、体の正面を王に向けた。
黄色く光る目は静かに王を見ている。
その後ろには白蛇がいた。
そこにいた人々の中には、十数年前呪術師が言った『身の内に青虎飼う者が現れ王を食らう』という予言を思い出す者がいたかもしれない。
人々は目の前に起こっていることにくぎ付けになり、身動きができなくなっていた。
ヤシマとハンガンは樹上でこの様を見ていた。
シーナがここにいた。
武人がシーナを捕えようとしたら大きな白い蛇がシーナを取り囲む。
武人が切りつけると、飛び込んできたチマナが切られ、倒れたチマナは姿を消してしまった。
自分にはチマナが青い虎に変わっていったように見えた。
これらのことがわずかな時間で起きたのだ。
二人の頭は混乱してどう動いていいのかわからなくなっていた。
王は違っていた。
どんなに赤子を差し出させあの年に生まれた子どもの命を奪っても、この日が来ることは心の奥底でわかっていた。
「私を食らえるものなら食らえ!」
王は自分の命と引き換えても青虎を仕留めるよう武人たちを仕込んでいた。
あの予言の日以来虎に臆せぬ武人を育ててきた。
王にとっては自分の命などもともと何の執着もない。
あったのは、父、母、兄、そしてこの世界への恨みと復讐だった。
命など惜しくもないが、食らわれるだけの惨めな王にはならん。
青虎と対峙している『王の耳』のまなざしはらんらんと輝いていた。
観衆からは笑みを浮かべているようにも見えたであろう。
それは長い時間が流れたようでもあり、一瞬であるかのようにも思えた。
武人たちが次々に青虎に矢を放った。
青虎は身をかわしながら、剣を突き立ててくる武人に向きあった。
襲い掛かっていく武人たちは次々払いのけられ突き飛ばされた。
距離の離れた場所にいた武人たちは、青虎の近くに味方の武人が戦っているにも拘わらず矢を射た。
すると次々に青虎に矢が刺さり、毒をもった矢は青虎の動きを鈍くしていった。
剣で切り付けられた跡が縞のように赤い筋を作り、そこから鮮血が吹き出していた。
青虎はもがき苦しんでいた。
その光景を目にしたヤシマは、青虎が防戦一方であることに気づいた。
「息の根を止めるのだ!」
王の狂ったような声が響き、それに呼応するように「ウオ―ッ」という武人たちの雄叫びが鳴り響いて、四方八方からの矢と剣の青虎への攻撃の苛烈さが増し武人たちのまなざしは狂気のそれに変わっていった。
ヤシマの目にハンガンが木から飛び降り白蛇に向かって真っ直ぐ走っていくのが映った。
いま王の意識は全て青虎に向かっている。
風はない。この機を逃せばもう王を討つことはかなわない。
最初で最後の機会。いまだ!
ヤシマは矢を番え弓をギリギリと目いっぱい絞った。
目標は王の心臓。
それだけ見据え引き絞った弦から矢を放った。
幼い頃から数え切れない程行ってきた動作だった。
「ビュンッ」
鋭く短い音とともにヤシマが放った矢は、空気を切り裂き一直線に飛んでいき王の心臓との距離を急速に縮めていった。
青虎を追い詰めあと少しのところで打ち破ることができると歓喜していた王は、自身に迫りつつあるもう一つの危機にあまりにも無防備だった。
そして…
矢は王の胸にグサリと突き刺さった!
王は一瞬自分の身に何が起こったか理解できなかった。
いま自分は予言に出てきた青虎を仕留めようとしていたところだった。
だが自分の胸には矢が突き刺さっている。
「どういうことだ?」
心の中でそう叫びながら目を大きく見開き、鬼のような形相で王がばさりと倒れた。
薄れゆく意識のなか王はつぶやいた。
「ふ、予言は外れたな。私を討ったのは青虎ではなかったではないか。それでもよい。生まれてからずっとそうだった…」
王の周りにいた武人たちは矢が放たれた方向を確認し、一人の男が木から飛び降りたのに気付いた。
ヤシマはするすると木の枝を伝い降り最後は飛び降りると、武人たちすべてが自分を追ってくることを願い「王を打ち取ったぞー!」と声を張り上げた。
そして林に逃げ込んだ。
にわか作りの演舞場は大騒ぎになっていた。
観衆が一斉に立ち上がり逃げ始めたのだった。
予想外のことがあまりに突然に次々と起こって、呆然と見ていた観衆がいっきに正気を取り戻し我先にと鉄柵にある出入り口に殺到した。
青虎を囲んでいた武人たちは王が射られたことに気付くと攻撃をやめて、青虎を警戒しつつ王のもとに戻っていく。
青虎は白蛇の前に立った。
白蛇はシーナの身体からとぐろを解いて今度は青虎の身体を包み込んだ。
白蛇は青虎を首まで巻くと、毒矢から入った毒を抜くかのようにうろこに覆われた胴で締め付けた。
そして赤い舌を出し傷口を舐め始めた。
すると青虎の傷がみるみるうちに癒えていき、毒が回り弱っていた青虎に力強さが蘇ってきた。
そして身体を躍動させ武人に取り囲まれている王に向かって走っていった。
驚いたのは王を取り巻く武人たちだった。
すでに動けなくなっているはずの青虎が、いつの間にかすぐ近くにきて口の中を見せ「グ――――ッ」と唸っている。
武人たちはすぐ近くに現れた青虎に驚き剣を構える間なくその輪が崩れ、一人を除いて青虎から引き下がった。
その中央に倒れた王とその王を抱きかかえる長年王に仕えてきた武人が残された。
この武人だけがもはや虫の息の王に覆いかぶさり守ろうとしていた。
王はその武人を最後の力を使い果たすように強く押し返した。
「もう…いい…どけ…お・ま・えは生きるのだ…」
武人は王のかすかな声を聞き取り涙にくれながら青虎に向き合った。
青虎は前足と頭で武人を払いのけた。
王は、予言にあったように青虎に食われなければ事は終息しないのだと覚悟を決めていた。
不敵な笑みを浮かべ青虎の黄色の目を見据えた。
静かに近くにやってきた青虎は、低く「グオオオオッ」と唸ると王の胸もとにその牙を立てた。
すると青虎はすぐさま身を翻しその場を走り去った。
王は絶命した。
「その者達を討て―討ち果たすのだーーーっ!」
歌が止んだことで、呼吸を取り戻した王の狂気の声だった。
この声を聞いてからだった。
横たわり消えゆく意識の中でチマナが姿を変え始めたのは。
観衆の目には、またもや信じがたい光景が現れた。
白い蛇の傍らに横たわっているように見えた少女の身体はむくむくと膨れ上がり色鮮やかな服を突き破ると、全身青色の毛が生えた恐ろしい獣が姿を現した。
それは大きな青い虎だった。
「あいつだ! あいつをいますぐ討てー!」
耳をつんざくばかりの王の怒りの叫びがとどろく。
切り付けられたところから鮮血を滴らせた真っ青な虎が地に立ち、体の正面を王に向けた。
黄色く光る目は静かに王を見ている。
その後ろには白蛇がいた。
そこにいた人々の中には、十数年前呪術師が言った『身の内に青虎飼う者が現れ王を食らう』という予言を思い出す者がいたかもしれない。
人々は目の前に起こっていることにくぎ付けになり、身動きができなくなっていた。
ヤシマとハンガンは樹上でこの様を見ていた。
シーナがここにいた。
武人がシーナを捕えようとしたら大きな白い蛇がシーナを取り囲む。
武人が切りつけると、飛び込んできたチマナが切られ、倒れたチマナは姿を消してしまった。
自分にはチマナが青い虎に変わっていったように見えた。
これらのことがわずかな時間で起きたのだ。
二人の頭は混乱してどう動いていいのかわからなくなっていた。
王は違っていた。
どんなに赤子を差し出させあの年に生まれた子どもの命を奪っても、この日が来ることは心の奥底でわかっていた。
「私を食らえるものなら食らえ!」
王は自分の命と引き換えても青虎を仕留めるよう武人たちを仕込んでいた。
あの予言の日以来虎に臆せぬ武人を育ててきた。
王にとっては自分の命などもともと何の執着もない。
あったのは、父、母、兄、そしてこの世界への恨みと復讐だった。
命など惜しくもないが、食らわれるだけの惨めな王にはならん。
青虎と対峙している『王の耳』のまなざしはらんらんと輝いていた。
観衆からは笑みを浮かべているようにも見えたであろう。
それは長い時間が流れたようでもあり、一瞬であるかのようにも思えた。
武人たちが次々に青虎に矢を放った。
青虎は身をかわしながら、剣を突き立ててくる武人に向きあった。
襲い掛かっていく武人たちは次々払いのけられ突き飛ばされた。
距離の離れた場所にいた武人たちは、青虎の近くに味方の武人が戦っているにも拘わらず矢を射た。
すると次々に青虎に矢が刺さり、毒をもった矢は青虎の動きを鈍くしていった。
剣で切り付けられた跡が縞のように赤い筋を作り、そこから鮮血が吹き出していた。
青虎はもがき苦しんでいた。
その光景を目にしたヤシマは、青虎が防戦一方であることに気づいた。
「息の根を止めるのだ!」
王の狂ったような声が響き、それに呼応するように「ウオ―ッ」という武人たちの雄叫びが鳴り響いて、四方八方からの矢と剣の青虎への攻撃の苛烈さが増し武人たちのまなざしは狂気のそれに変わっていった。
ヤシマの目にハンガンが木から飛び降り白蛇に向かって真っ直ぐ走っていくのが映った。
いま王の意識は全て青虎に向かっている。
風はない。この機を逃せばもう王を討つことはかなわない。
最初で最後の機会。いまだ!
ヤシマは矢を番え弓をギリギリと目いっぱい絞った。
目標は王の心臓。
それだけ見据え引き絞った弦から矢を放った。
幼い頃から数え切れない程行ってきた動作だった。
「ビュンッ」
鋭く短い音とともにヤシマが放った矢は、空気を切り裂き一直線に飛んでいき王の心臓との距離を急速に縮めていった。
青虎を追い詰めあと少しのところで打ち破ることができると歓喜していた王は、自身に迫りつつあるもう一つの危機にあまりにも無防備だった。
そして…
矢は王の胸にグサリと突き刺さった!
王は一瞬自分の身に何が起こったか理解できなかった。
いま自分は予言に出てきた青虎を仕留めようとしていたところだった。
だが自分の胸には矢が突き刺さっている。
「どういうことだ?」
心の中でそう叫びながら目を大きく見開き、鬼のような形相で王がばさりと倒れた。
薄れゆく意識のなか王はつぶやいた。
「ふ、予言は外れたな。私を討ったのは青虎ではなかったではないか。それでもよい。生まれてからずっとそうだった…」
王の周りにいた武人たちは矢が放たれた方向を確認し、一人の男が木から飛び降りたのに気付いた。
ヤシマはするすると木の枝を伝い降り最後は飛び降りると、武人たちすべてが自分を追ってくることを願い「王を打ち取ったぞー!」と声を張り上げた。
そして林に逃げ込んだ。
にわか作りの演舞場は大騒ぎになっていた。
観衆が一斉に立ち上がり逃げ始めたのだった。
予想外のことがあまりに突然に次々と起こって、呆然と見ていた観衆がいっきに正気を取り戻し我先にと鉄柵にある出入り口に殺到した。
青虎を囲んでいた武人たちは王が射られたことに気付くと攻撃をやめて、青虎を警戒しつつ王のもとに戻っていく。
青虎は白蛇の前に立った。
白蛇はシーナの身体からとぐろを解いて今度は青虎の身体を包み込んだ。
白蛇は青虎を首まで巻くと、毒矢から入った毒を抜くかのようにうろこに覆われた胴で締め付けた。
そして赤い舌を出し傷口を舐め始めた。
すると青虎の傷がみるみるうちに癒えていき、毒が回り弱っていた青虎に力強さが蘇ってきた。
そして身体を躍動させ武人に取り囲まれている王に向かって走っていった。
驚いたのは王を取り巻く武人たちだった。
すでに動けなくなっているはずの青虎が、いつの間にかすぐ近くにきて口の中を見せ「グ――――ッ」と唸っている。
武人たちはすぐ近くに現れた青虎に驚き剣を構える間なくその輪が崩れ、一人を除いて青虎から引き下がった。
その中央に倒れた王とその王を抱きかかえる長年王に仕えてきた武人が残された。
この武人だけがもはや虫の息の王に覆いかぶさり守ろうとしていた。
王はその武人を最後の力を使い果たすように強く押し返した。
「もう…いい…どけ…お・ま・えは生きるのだ…」
武人は王のかすかな声を聞き取り涙にくれながら青虎に向き合った。
青虎は前足と頭で武人を払いのけた。
王は、予言にあったように青虎に食われなければ事は終息しないのだと覚悟を決めていた。
不敵な笑みを浮かべ青虎の黄色の目を見据えた。
静かに近くにやってきた青虎は、低く「グオオオオッ」と唸ると王の胸もとにその牙を立てた。
すると青虎はすぐさま身を翻しその場を走り去った。
王は絶命した。