第1話 プロローグ

文字数 2,417文字

■ブログ投稿日:2014年9月26日 
■タイトル:ありがとうポン

 日曜日、ポンが突然、死にました。
  
 午前6時、いつものように「朝ゴハンちょうだい!」と、外からポンの鳴き声が聞こえました。夫が朝ゴハンを持っていくと、大よろこびで「ダッコしてくれ!」と、甘えていたそうです。
 
 9時、洗濯物を干しに表へ出ると、ポンが尻尾を振ってついてきました。

 10時、玄関先で「ポン!」と呼ぶと、こちらにやってきました。
 「ポンちゃん、かわいいね~~。大好き、大好き♪」と、お鼻をくっつけたら、ちゃんとしめっていて「あ~、今日も元気だね」と安心しました。
 でも、私が家の中へ戻っていこうとすると、背中で「ワオーン!」と、甲高い声が聞こえました。あとで考えるとこれは、ポンの「サヨナラ」でした。

 11時、庭仕事をする夫をポンは、お座りして眺めていたそうです。それから、お昼ご飯を食べたり、午後になってお客さんが訪ねてきたり、パソコンで作業したりと、ばたばたしていました。

 午後3時、洗濯物を取り込もうと外に出ると、ポンは、庭の草むらの上で、横になっていました。こんなこと珍しいな~と近づいても、起きる気配が、ありません。
 何か胸騒ぎがして、家の中の夫を呼びました。足が立ちすくんで動けません。夫がポンに近づいて、身体をゆらしましたが、何の反応もありません。
 
 信じられないことに、ポンは死んでいました。「まだ、あったかい・・」と夫は言い、薄目を閉じさせました。おそるおそる私も近づきました。
 いつものようにノーテンキに身体を伸ばし、ポンは、スヤスヤ眠っている様に死んでいました。とっても安らかな顔でした。触ったら、まだ身体が温かくて・・。
 
 もう何がなんだか、わかりません。ウソとしか、夢としか思えない。ありえない。
「なんで?なんで?なんで?」さっきまで、あんなに元気だったのに、なんで?
 それから、白いシーツでポンをくるんで、家の中に入れ、お水と大好きだった骨のオヤツとお線香を供えました。
 夫が「火葬しなければいけないね」と、ペット葬祭の会社に電話をしました。「明日、お迎えに行きます」と言われました。
 
 この日は、夫と二人で、ポンを送るお通夜になりました。私は、涙が止まらなくなり、息が苦しくなり、つらくて、ずっと泣いていました。
 「なんで?なんで?なんで?」その言葉しか、出てきません。
 
 何が悪かったのだろう? 
 ペットフードやオヤツが合わなかったのだろうか? 
 マダニに刺されたのだろうか? 
 それとも、マダニ除けの薬がきつかったのだろうか? 
 マムシにかまれたのだろうか。
 急に寒くなったからだろうか?

 考えても、考えても、答えが出ません。ワクチンも打っていたし、ダニやフィラリアの薬も毎月飲んでいたし、食欲もあったし、ウンチもきれいだったし、いつも飛び跳ねてたし、お散歩も大好きだったのに。もう、わけがわかりません。
 何の前兆もなかったのに・・。
 けれども、私が気がつかないだけで本当は体調が悪くて、ずっと苦しかったのかなあ、と思うとたまりません。
 
 次の朝、目が覚めたら、ポンの死はやはり夢ではなく、現実でした。家の中に、白いシーツにくるまった白いポンが横たわっていました。私の目は、土偶のように腫れていました。人生の中で、こんなに泣き続けたことがあったかな。心が悲しいと身体が苦しくなるんだな。人生で一番、悲しい・・。

 午前中、ペット葬祭の人がポンを迎えにきてくれました。この日は夫が仕事なのでポンを送り出し、私は一人になりました。食べることも、動くこともできずに、ただぼ〜〜っと・・。
 
 夜、小さな白い骨壷に入ったポンを連れて、夫が帰ってきました。リビングに、骨壺を置いて、ポンと最後の夜を過ごしました。ちょうど、お彼岸です。

 ポンは、お彼岸に、彼の岸に渡って行ったんだね。
 きれいに死んでたね。
 苦しんだ様子はなかったから、それがせめてもの救いだね。
 脳卒中とか、心筋梗塞とか、そういうのかな?
 信じられないね。
 あんなに元気だったのにね。
 でも、みごとな死にっぷりだね・・。
 と泣きながら、二人でポンの話をしました。

 翌日の秋分の日、庭のイチジクの木の下にポンの骨を埋めました。ポンが、7年と10カ月過ごした庭です。肉体から解放されたポンの魂が、庭中を軽やかに自由に駆けまわってくれるといいなと思います。
 
 ポンが死んで、今日で6日目です。早くに、このブログでお知らせをしなければと、書き始めたのですが、悲しくて、つらくて、今日になってしまいました。
 ポンは、幸せ者です。たくさんの方に「ポン、ポン」と可愛いがっていただきました。 みなさま本当に本当にありがとうございます。

 7年と10カ月前、「このワンコは、飼い主がいないから、保健所に行くしかないそうだよ」と、友人が白い子犬を連れてきました。

 あまりにかわいくて、かわいそうで「じゃあうちで飼います」と、家族に相談することなく、即決してしまいました。もし、誰か反対しても、絶対に説得する! 
けれども、誰も反対せず、その日から家族の一員になりました。

 ポンと暮らした日々は、本当に幸せでした。ポンがいるだけで、悲しい時も、落ち込んだ時も、どれだけ救われたかわかりません。
 だから、しばらくは、悲しくてつらい日々が続くと思いますが、あまりメソメソしてると、ポンが成仏できないと困るので、努力して気持ちを明るくします。

 ずーっと泣き続けているので、私の顔は、土偶さんから山姥のようになってきました。こんなことじゃあ、いかん、いかん、笑ってなければ、ポンも悲しがるよ。

 ポン、毎日面白かったね。ポン、いつも楽しかったね。
 ポンのおかげで毎日幸せだったよ。ポンも幸せだったかな。
 ポン、ありがとうね。また、会おうね。
 ありがとう、ポン!
 
   第2話「NPOとPON」に続きます。



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登場人物紹介

【はじめに】

◯お話の流れがわかりやすいよう、1話から登場いただく順にご紹介させていただいております。

◯ご登場される方の肩書き等は、当時のものです。

◯また犬のお話でありますので、ワンちゃんも同様にご紹介させて頂きます♪


かわべまゆみ (1話〜)

◯地域振興バカのおばさん

◯音楽ユニット「ごまハチ」のごま(作詞担当)

◯石号の存在を知り石州犬研究室を立ち上げる

石州犬研究室

河部安男  (1話〜)

◯かわべまゆみの夫

◯音楽ユニット「ごまハチ」のハチ(作曲・編曲担当)

◯島根県立大学職員

kawavex

松本守人さん (5話〜)

◯山陰柴犬育成会 事務局長

◯ご自身も25年に渡って、多くの山陰柴犬を作出、飼育されてこられた方

◯山陰柴犬について関心のある方は、ぜひ松本さんにお問い合わせください!

山陰柴犬育成会  松本さんHP「ボクは山陰柴犬のリキです」

石川達也さん(12話〜)

◯朝日新聞松江総局記者。20代。「ごまハチLIVE」の取材をきっかけに知り合う。ちょっと変わった面白い若者だなと、関心を持って久々の飲み会に声をかけてみた。

◯その後、東京本社へ。東京でのリサーチ活動には、何度も同行してくれている。

◯ニュースサイトwithnews「柴犬のルーツ、知ってる? 88年前、島根で誕生の犬が始まりだった」

某テレビ局のSディレクター(12話〜)

◯「ごまハチ」の音楽活動取材をきっかけに知り合う。ちょっと変わった面白い若者だなと、関心を持って久々の飲み会に声をかけてみた。20代。

長崎博明さんこと「センパイ」(12話〜)

●島根県庁の地域振興に燃える若手職員。20代

●NPO時代に知り合った大学生が、島根県庁に就職。我が家に訪ねてくるときに「センパイも一緒に行っていいですか」との経緯で出会ったため、そのまま「センパイ」と呼ぶように。

松本泰典さん(23話〜)

◯益田市市役所職員。

◯昭和30年代に、益田市で「石州犬フィーバー」があったことを知り、数少ない益田市の知り合いにお声かけしたところ、ご協力を申し出てくださった方。

◯益田市での、石号の調査・研究・広報活動には、かかせない存在となっていく。

柳尾敦男さん(24話〜)

◯(公社)日本犬保存会 島根支部 支部長。益田市在住。

◯「石州犬」や「石号」のことをご存知の方を探している中、松本さんに紹介いただく。

◯この方と出会えたことで、石号の調査・研究が本格的に進むこととなる。

澄川昇さん(27話〜)

◯元「石見犬保存会」理事

◯益田市在住。

◯石州犬を使って猟をされていた方で、当時の「石州犬」にまつわる貴重なお話をお伺いすることができた。

下山博之さん(29話~)

◯石号を飼っていた「下山信市」さんのお孫さん。益田市在住。

◯おじいさんが飼っていた犬が、「柴犬の祖犬」であることは、まったくご存知なかった。

◯お会いして以降、調査・研究活動に協力してくださっている。

大田等さん(34話〜)

◯浜田市市役所職員。

◯地元に詳しい方で、中村鶴吉さんの石見での足跡や探索活動調査にご協力してくださった方。

◯この方のおかげで「石州犬探査ルート」がわかり、マップが完成できた。

井上実さん(40話〜)

◯(公社)日本犬保存会 事務局長

◯2017年8月に(公社)日本犬保存会にお伺いしてお話をさせて頂いた。

◯以降、数々のご教授をいただき、おかげさまで、石州犬や石号の調査・研究さらには、広報活動が、大いに進むこととなった。

◎江東区大島2丁目のみなさん

羅漢寺さん、銭湯さん、銭湯のお客さん、歩いていた人、偶然出会えた町内会長さん、当時の中村邸があった場所の中華料理店の大将や、常連のお客さんたち、大将に紹介していただいたご近所の方、その方に教えていただいた不動産屋さん。石川記者が調査を進めてくれていた居酒屋のマスターやお客さんたち♪

豊田知世さん

◯島根県立大学 総合政策学部 講師。2018年より同学部准教授、2021年より地域政策学部 准教授

◯「石州犬・石号」をゼミでのテーマとして取り上げてくださった。

◯先生と学生の皆さんのこの活動により「石州犬・石号」の地元での認知度が高まった。

岡田睦夫さん

◯「往古日本犬写真集」著者。この写真集には、中村鶴吉さんはじめ多くの石州犬が掲載されていたので、ぜひお話を伺いたいとお手紙を差し上げた方。

◯なぜか見ず知らずの私に、貴重な石号の写真をくださり、日本犬に関して多くの教えをいただいた方。

鎌田剛さん(48話〜)

◯山陰中央新報社記者

◯「柴犬の祖犬が島根県益田市の犬」であることを、新聞で紹介してくださった方。

◯この記事をきっかけに、地元テレビ局等からの取材依頼が相次ぎ、石号の存在が、だんだんと知られていくようになった。

若松三春さん、浩さんご夫妻(50話〜)

◯石号をタッチの差で手にできなかった益田市の遠田安道さんのお嬢さんの三春さん。

◯三春さんは、動物が大好きなお父様のお話をしてくださり、遠田さんのお人柄がよく伺えた。

◯浩さんは、遠田さんの日本犬に関する貴重な資料を整理してくださり、それにより今まで知らなかった新たな事実がわかった!

中村健次さん(53話〜)

◯島根県浜田市弥栄在住

◯地元テレビをきっかけに「中村鶴吉さんは、私の祖父の弟では?」と、名乗り出てくださった方。

◯当時の写真や資料などを見せてくださった。

中村鶴吉さんのお孫さん(55話〜)

◯中村鶴吉さんをご存知の方をネット上で探していたところ、偶然にも「中村鶴吉さんのお孫さん」がそれをご覧になり、ご連絡してくださった。

◯奇跡としか言いようがない。信じられないようなお話!!!

モモ(57話〜)※写真は大学生当時

◯中学からの幼馴染で大学の同級生。東京在住。

◯若い頃よりミュージシャンを志すが、夢半ばで断念。今では、超有名IT企業に勤務する「歌うまおじさん」である。

◯「石州犬ISHI」ボーカル担当

黒田幸宏さん(57話〜)※写真は大学生当時

◯大学の同級生。モモとバンドを組んでいた。東京在住の飲み友達。

◯仕事は、音楽関係で、アーティスト・マネージメント、舞台制作会社を経営している。

◯「石州犬ISHI」の制作時には、超一流のマニピュレーター「溝口和彦さん」を紹介していただいた。

親友の晶子ちゃん(60話~)

◯20代に出会い互いに「酒好き」ということで意気投合。かれこれ40年近く飲み続けている。東京在住。

◯「石号」の活動では、東京だけでなく、島根にまで来てくれ多様な協力をしてくれている。

◯かなりの達筆。「強運の犬」が出版化、映画化される暁には、題字担当予定!

溝口和彦さん(60話~)

◯黒田幸宏さんに紹介していただいた超一流のマニピュレーターの方。

◯多くの有名アーティストのプログラミング、リミックス、アレンジ、作詞なども手がけられている。

◯「石州犬ISHI」は、溝口さんのスタジオでレコーディングしていただいた。

潮隆人さん(65話〜)

◯益田市美都町の自治組織「ぬくもりの里二川(ふたかわ)」会長

◯温厚でお優しい二川地域の地域活動の中心的な方。

◯「石号」の事は、ご存じなかったが偶然にも「柴犬」を飼っておられた。

小原美智子さん(65話〜)

◯益田市美都町の「二川公民館」館長

◯地元紙を見たことがきっかけで、益田市役所の松本さんを通して私に声をかけてくださった。

◯明るくて好奇心旺盛な天然キャラの方♪ 実は、子供の頃から犬は苦手とのこと。

木原文幸さん(65話〜)

◯84歳とのことだが、今でも現役の地元の猟師さん。

◯猟の相棒は、甲斐犬の雑種だった。

◯石号の事はご存じではなかったが、小さい頃は石見犬が身近に多くいたとのこと。

長尾千代加さん(66話~)

◯益田市美都町の自治組織「ぬくもりの里二川(ふたかわ)」メンバー

◯デザインやビジュアルボードなどの制作物を作ってくださる方。

◯石号の看板などをデザイン。地元の株式会社 美都森林に勤務。

金﨑光文さん(66話~)

◯益田市美都町の自治組織「ぬくもりの里二川(ふたかわ)」メンバー

◯石号の看板を設置された方。

◯地元で有限会社 上田工務店を経営されている。

内村コースケさん(69話〜)

◯ペットや動物、犬などもテーマにされているフォトジャーナリスト。

◯2018年10月にTHE PAGEで「柴犬のルーツに出会う旅」で3回に渡って紹介してくださった。

◯おかげさまで「石号」がYahoo!のトップページに!「コロ」の出生にも関心を持っておられる方。

内村さんの事務所「ND2 studio」

金指光春さん (71話〜)

日本犬保存会で、長く審査員を務められた方。神奈川県在住。

「武田雅志湘南美雅荘」チャンネルで「日本犬に就いて金指光春が語る」を拝見し、勉強させて頂いた。

「石、語らずして、柴犬を語るべからず」とまでおっしゃておられる。

武田雅志さん(71話〜)スパークルちゃんと一緒に♪

◯JKCの天然記念物日本犬種群審査員。神奈川県在住。

◯元々は、日本犬保存会に40年おられたが、思うことあって脱会されたとのこと。

○日本犬や石号について、さまざまなアドバイスやサポートをしていただいている。

武田雅志湘南美雅荘チャンネル

坂口登さんご夫妻 (80話〜)

山梨県甲府市在住。

◯石号の子「アカ」、孫「紅子」「アカニ」などの名犬を飼育されていた坂口仁さんの息子さんご夫妻。

◯登さんからは、戦時中の犬たちの貴重なお話をしていただいた。

神取優弘さん(第93話〜)

○神奈川県横浜市在住の石職人の方

○1級石材施工技能士、職業訓練指導員、ものづくりマイスター(厚生労働省)等石職人として活躍されておられる○「立ち姿の石号の石像」を作ってくださる方を探している時に、偶然に出会った方。石の石像を作ってくださった。

美子(よしこ)ちゃん(第96話〜)

○ごまハチの音楽活動に、ダンサーズとして協力してくださる方。益田市在住

○また、石号ダンサーズのお仲間としても、石号を盛り上げてくださっている。

○明るくてノリノリ♪な方だが、実は、心やさしく、とっても優秀な看護師さんでもある!

D.Naokoさん(第96話〜)

○ごまハチの音楽活動に、ボーカルとして協力してくださる音楽仲間の方。川本町在住

○石号ダンサーズのお仲間として、石号を盛り上げてくださっている。

○英語が得意で国際経験が豊富な方でもある。

○土佐則幸さん(98話〜)

○株式会社 美都森林(益田市美都町都茂)代表取締役

○地元の「石号を活用した地域振興活動」を熱心に協力、サポートしてくださっている。

○石号の石像制作にあたっては、この方のおかげで、2体が設置されることとなった。

お話はまだまだ途中です。

今後も多くの方にご登場いただきます。

お楽しみに♪


【この物語に登場するワンちゃんたちです♪】

ポン  (1話〜)

◯子犬の時に保健所に連れて行かれる寸前だったところを保護したワンちゃん

◯雑種、女の子、素直で、かわいくて、誰にでもなつく良い子でした

◯7歳の時に突然死してしまう

サニー (7話〜)

◯山陰の地犬「山陰柴犬」。2016年10月生まれ 女の子

◯2016年12月に我が家にやってきた。サニーとの出会いがきっかけで、石州犬の存在を知り、調査・研究が始まった。

山陰柴犬サニー

石号(9話〜)

◯島根県益田市出身の「石州犬(石見犬)」。猟師の下山信市さんの猟犬出会ったが、昭和11年、5歳の時に、中村鶴吉さんと共に東京へ。

◯その後、不思議な経緯で「柴犬の祖犬」となるが、地元ではまったくこの事は知られていなかった。

コウイチくん (25話〜)

◯日本犬保存会島根支部長の柳尾敦男さんの愛犬。1歳、男の子。

◯柳尾さんが、「石州犬に先祖返り」した犬を目指して3代つづけて作出されたとのこと。

輪(りん)ちゃん(第27話〜)

◯ 女の子、7歳。

◯澄川昇さんの愛犬。女の子らしいやさしい顔とつぶらな瞳がたまりません♪


【文献などに登場される当時の日本犬の専門家や愛犬家の皆様です!】

尾崎益三さん(4話〜)


◯「山陰柴犬」の生みの親。山陰の地犬の調査や保存に尽力された

◯日本犬保存会で役員や審査員を長く勤めた方

エンペーカー中村鶴吉さん (第14話〜)

◯石号を島根県石見地方から山出しされた方

◯「エンペーカー」という不思議な言葉にひかれ、この方の実像に関心を持つように。

◯石見出身で東京で歯科医をしていたこと以外は謎だったが・・・。

中城龍雄さん(16話〜)


◯「柴犬研究六十年」著者

◯「天然記念物柴犬保存会」初代理事長

佐藤武雄さん(17話〜)


◯中村鶴吉さんから「石号」を譲り受けた方

◯東京在住(当時)


石川建平さん(17話〜)


◯中号を一旦は、飼育しかけた方

◯長野県穂高在住(当時)

桶田秀男さん(17話〜)


◯中号を飼育された方

◯長野県小布施在住(当時)


下山信市さん(20話〜)


◯石号を飼っていた方

◯島根県石見地方在住(当時)

岡崎守男さん(32話)

◯元日本犬保存会島根支部の方

◯島根支部創設者の「遠田安道」さんが亡くなったときに、日本犬保存会の会報誌に、追悼文を寄稿した方。

◯その内容により、石号がタッチの差で、東京に山出しされたことを知る。

遠田安道さん(32話〜)

◯日本犬保存会島根支部を創設された元日本犬保存会島根支部長

◯益田市で「吉田幼稚園」を経営されていた方

◯「岡崎守男」さんの残した文章から、地元で「石」を見出したが手にできなかったことなどを知る。

斎藤弘吉さん(47話〜)

◯日本犬研究家。日本犬保存会を創設。

◯渋谷のハチ公を見出し、朝日新聞へ寄稿した事で「忠犬ハチ公」として全国的に有名となった。

◯南極、昭和基地に置き去りにされたタロ、ジロの樺太犬達の救出のために尽力する。

秦一郎さん(72話)

◯日本犬保存会理事。昭和13年に尾崎益三氏と共に、アカ号の審査を行う。

◯石号の欠点を指摘しつつも、その子アカ号を「真に日本犬らしき小型払拭の今日、将来相当の成果を挙げるものと信じて敢へて三大賞に推した所以」と絶賛している。

松本克朗さん(72話)

◯日本犬保存会評議員

◯「金指光春」さんが、「師」と仰ぐ方。

◯日本犬は、形よりも、目と被毛、そしてその本質が大切と考えておられる。

里田原三さん(73話)

◯日本犬保存会理事(後に「日犬」会長に)

◯山陰小型犬が今日あるのは、尾崎益三氏のおかげと高く評価。しかし形態の改良の必要と、悍威高いものとするために石州柴(島根系小型犬)を注入し良い成果を得たと「日本犬中小型読本」に記されている。

石川雅宥さん(73話)

◯日本犬保存会理事

◯この方のおかげで、石号が長生きしたことがわかった。

◯岐阜県の方「美濃柴」にも関係された方と思われる。


渡辺肇さん(78話〜)

◯日本犬保存会理事

◯高知でコロ号を審査し、高く評価した方

◯多くの書籍や記事を残している

堀内金次さん(78話〜)

◯日本犬保存会理事

◯コロ号を飼っていた人。

◯山梨県甲府市で病院を経営されていた。

坂口仁さん(80話〜)

◯山梨県甲府市の犬舎「赤石荘」にて、石号の子「アカ」、孫「紅子」「アカニ」などの名犬を飼育していた方。

◯本名は、坂口袈裟信さんだが、息子さんのお名前「仁」さんを名乗っておられる。

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