第104話 石工人生をかけて
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柳尾さんに「日本犬保存会の理事会などで上京されることがあれば、ぜひ神取さんの工房をお訪ねしてください」とお伝えしたところ、その翌月には、神取さんの工房へ行かれて、日本犬のプロの立場からアドバイスをされたとのこと。
柳尾さんは、なんと言っても、当時の「石州犬」を見たことのある方だ。
また、この時は、先ほどの武田雅志さんも(現在は、JKCの天然記念物日本犬種群審査員をされておられるが、当時は、まだ日本犬保存会に所属されていた)が、柳尾さんを工房までご案内してくださっている。
もちろん、神取さんは、石工としては、プロフェッショナルな方だ。しかし、日本犬の専門家ではない。また、石号ほどの犬であれば、思い入れがある人も多く、そのイメージも様々だろう。
そういう人たちみんなが、納得するような石号を再現するのは、至難の技だ。
本当に、大変なお仕事を神取さんは引き受けてくださっていたのだ。
のちに、神取さんは当時を振り返ってこうおっしゃっている。
「日本犬保存会の方々の『石号』に対するイメージは一人ひとり違うでしょう。しかし、どなたもが納得する『石号』を、骨格を含め、毛並みも顔も、資料からイメージを作り出して制作しないといけません。現地を拝見して柳尾さんにご意見を伺い、古老の猟師から猟犬の特徴を聞き,河部さんから頂いたすべての資料を読み漁り、その『石号の姿』が見えるまでには、大変な時間がかかりました。大勢の皆様のご協力がなければ、あの1枚の写真だけでは到底『石号』は、制作できなかったと思います」と。
その後も、神取さんは、柳尾さんのアドバイスを受け、手直しをされた石像の写真を送ってくださった。それをまた柳尾さんにご覧いただきながら、柳尾さんからのメッセージをお伝えしと、神取さんは、何度も石像の微調整を繰り返されたのだった。
このようにして、石号の命は、少しずつ石像に吹き込まれていった。
以前伺った神取さんの言葉を思い出す。
「私の父は、渋谷の初代ハチ公の石の台座を作った石工です。このお話をいただいた時に、 ものすごくご縁を感じ、石工人生をかけて作らせてもらおうと思いました」
まさに「東のハチ公、西の石号」と呼ばれるにふさわしい「強運の石像」は、こうして作られていったのだ。
次号に続きます。