第78話 堀内金次さんの「烱眼(けいがん)」
文字数 927文字
うれしい! 嬉しい! 超うれしい〜!!!(涙)
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それは、「石州犬とはどんな犬か」という記事であった。
著者は、日本犬保存会の専務理事をされていた渡辺肇さんで、昭和13年に高知の展覧会で、コロ号を審査し、高く評価した方であり、また石号についても実に詳しい人である。
この資料には、今まで知らなかった、ある驚きの事実が記載されていたのだった。
それは、「石とコロ」の出会いについてだった。
これまでは、「当時、山梨にいたコロが、展覧会に出場のため上京した際に発情したため、たまたま石号との交配となった」というのをどこかで見たことがあり、てっきりそう思いこんでいた。
そして、この「たまたま」という点で、石号というのは、運の良い犬だなあと思ったことがある。
しかし、この資料では、まったく状況が違っていた。
ここには「当時、コロを飼っていた甲府の堀内金次さんの炯眼(けいがん)で、石と交配」と書かれてある。
時は、昭和13年。石が上京して3度めの冬。石は、8歳となっていた。人間ならば50歳に近い、いわば中年といったところである。
そんな「石号」を、数ある柴犬の中から、堀内さんは、なぜ選んだのだろう。しかも「石号」は、一部とはいえ「足の形が悪い」「ずんぐりしている」など欠点を指摘する人さえある犬だ。
一方、雌犬のコロは、3歳とまだ若く「姿、形、毛並み良く素晴らしい犬である」と高く評価されていた。何より、当時は、雌犬そのものが少なく、とても貴重な存在であったのだ。それなのに、堀内さんは、石に白羽の矢を立てたのだ。
まさに「烱眼」。「物事の本質を見抜く鋭い眼力」を持った方に、石号は「たまたま」ではなく「あえて」選ばれたということだったのだ。
現に、その子アカ号は、「今日の正当な柴犬の源流犬」であり「不滅の種雄として柴犬史上に燦然と輝く」存在となっていく。
さらにその孫「中号」は「戦後柴犬中興の祖犬」として讃えられ、現在の柴犬の隆盛へとつながるのである。
堀内金次さんの「烱眼」には、ただただ恐れ入るばかりだ。
次号に続きます。