第38話 大島2丁目を探索!
文字数 895文字
ワクワク。
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昭和11年頃に、中村鶴吉さんの住まいがあったと思われる場所は、大島らかん通りの近く。
【江東区「大島らかん通り」】
「昭和の初めに江東区大島2丁目に住んでいらした中村鶴吉さんという方を捜しています!」
というチラシを配りながら、私たちは(かなりアヤしい…と思われながらも)大島2丁目にて捜索活動を行った。
【中村鶴吉さん捜索チラシ】
もちろん、80年以上前のことなので、むやみやたらにチラシ配りをしても無駄だろうと、古い情報を持っていそうな施設や店舗を中心に訪ねた。
まずは、通りの名前にもなっている羅漢寺さんへ。初めての訪問調査、緊張する。。。
怪しまれないだろうか、ご迷惑ではないだろうか。。ドキドキしながら、「ごめんくださ〜〜い」と入り口の戸を開けた。
出てこられた、住職さんは、お若くとても感じの良い方だった。「昭和初期の人探し」という突拍子もない話にお付き合いくださり、とても丁寧に対応してくださった。しかし、残念ながら中村鶴吉さんのことは、ご存じではなかった。
続いて老舗の銭湯へ。もちろん私も湯船につかっての調査活動だ。ちょうどご高齢そうな方がおられたので早速聞き込み。お年は90歳ということなので、当時10歳くらいだ。
よっしゃあ、何かご存じかもと期待!!
しかし、ここ江東区には最近引っ越してきたとのこと。残念。
風呂からあがり、番台の方にも話を聞いた。古くからある銭湯のようだったが、さすがに戦前のことはわからなかった。
また、私が銭湯で調査をしている頃、石川記者と夫は、町内をめぐり聞き込みをしていた。なんと、偶然にも大島2丁目の町内会長さんにも出会えたそうで、親切にお話を聞いてくださったそうだが、中村鶴吉さんのことはご存じなかったようだ。
さて、元「中村鶴吉邸」があったと思われる目的地へ。当時の番地ひとつ分は、現在では、3つ位の番地に相当するようだ。その3つの番地のちょうど真ん中あたりにあるのが、中華料理店「千島軒」さんだった。
いざ出陣!
私たち3人は「ごめんくださ〜い」と暖簾をくぐった。