第50話 ルートマップ
文字数 1,202文字
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このマップでは、大田さんに教えていただいた各地点を、私が単純に直線で結んでしまっているが、実際には、山や谷の連続。近い集落への移動も、かなりの遠回りをしたことだろう。その道中について、鶴吉さんは次のように記している。
「山又山、谷又谷約二十里、続いて昼なお暗き山路を狸の香のする、何となく気味悪い道無き山を、人の踏んだと思う草の踏みつけられた所を、毒蛇を払いながら……」と。
道路事情が整った現代においても、このあたりは道幅は狭く、樹木が鬱蒼と茂り、今にもイノシシやサルやクマが出てきそうな雰囲気なのである。
今回、大田さんも実際に回られて、「中村鶴吉さんが、当時このルートを徒歩だけで現地探査されていたかと思うと、そのご苦労は想像を絶します」とおっしゃっている。
中村鶴吉さんに対して、「東京に送らせた」と、あたかも人を使っていたかのような表現もあるが、そうではないことがこの資料で十分にわかる。
そして、「犬を商売にしていた」という声。
百万歩譲って、中村鶴吉さんが「犬で商売していた」として何がいけないのだろうか。莫大な資産家やお大尽ならともかく、歯科医という職業をおいて、遠方からの交通費や長期の滞在費、何より大切な犬を譲り受けるための費用など、相当な実費がかかっただろう。
実際に、石州犬を飼っていたのは、その多くが猟師であり、彼らにとって猟犬は、生活の糧を生む存在でもあったのだ。 その大切なパートナーであり家族である猟犬を譲り受けるために、飼い主を説得するには、かなりの時間やエネルギーもかかったことだろう。
よほどの情熱や志がない限り、そのような苦労をただのビジネスとしていたとは、この探査記録を見る限りとても思えない。
さらに、中村鶴吉さんをネガティブに捉える人に私は問いたい。
それならば、中村鶴吉さんが、石州犬を東京へと連れてきて、日本犬保存会に登録しないほうがよかったのだろうか。 石号は、あのまま石見にいたほうがよかったのだろうか。
そうであれば「不滅の種雄」アカ号も、「戦後柴犬中興の祖」、あのハンパ無い犬「中号」も存在していない。
ならば、現在の柴犬は、どうなっていただろうか?
もっと言うなら、鶴吉さんが石州犬を山出ししなかったら、現在、島根県に石州犬が残っていただろうか。伝染病や戦争などあらゆる災禍(柳尾さんも、石州犬が滅んだ原因は戦時中に犬を食べたからとおっしゃっている)を逃れ、雑種化もせず生き延びていたと。
日本犬は、日本の文化として世界的にも人気が高まっている。その日本犬の頭数の九割近くは柴犬だとのこと。質量ともに、天然記念物日本犬の中心的な存在である柴犬。
その柴犬が今あるのは、中村鶴吉さんのおかげでもある。愛犬家の一人として、私は感謝せずにはいられない。
次号に続く。