第3話 ペットロスはきつい
文字数 1,275文字
でも、私も57歳のいいおばさんだ。いつまでも落ち込んで一日中、泣いているわけにはいかない。世間的には、立ち直ったように振る舞って生きていかないといけない。
特に年度末になると、委員会や講演で出かけることが多くなる。NPO時代のように、バリバリに地域活動をやっていた頃ほどではないが、それでもこの2月、3月だけでも、県や民間の委員会がいくつもあり、講演も兵庫と鳥取に行くこととなっている。ちゃんとしないと、委員会や講演で泣いていたら、頭のおかしいおばさんだ。社会では普通に振るまおう。そして、家に帰って、酒飲んでオフに切り替えて、思いきり号泣しよう。
ポンが死んで5カ月目、初めてポンの夢を見た。そして、ポンが死んで以来、ポンの夢を見ていなかったことに気がついた。起きている時は、ずっとポンのことが頭から離れないのに…。
一日中考えていることは、意外と夢に見ないものなのかもしれない。
夢の中のポンは、たくさんの犬たちとじゃれていて、すっかり私のことは忘れていた。私は、それがさみしいと思うより、「ちゃんと食べてるかな」「ケガしてないかな」「病気になってないかな」「幸せでいてほしいな…」と、遠くから眺めているだけだった。
きっと、いつまでも悲しんでいる私を見かねたポンが「幸せだから大丈夫だよ」と、決別のために夢に出てきてくれたのだと思う。
そして半年がたった頃、あの日から一度も笑っていないことに、気がついた。こんなんじゃいけない。無理にでも笑わなくっちゃ、と、笑おうとしたが頰があがらない。
人間、半年笑わないと、筋肉が衰えて、笑うことすらできなくなるのだなあ。
そして春になった。
私が住んでいる町は、桜江町(さくらえちょう)といって、その名のとおり、大きな川が流れる桜の美しい里。東京からここに移住してきて16年。
一度も欠かしたことのないお花見だが、この年は、桜を見るのもつらかった。
夏が来た。
おばさんになっても、田舎暮らしに夢中だった私は、毎年、日本海での海水浴が楽しみだった。でも今年はとてもそんな気になれない。心も身体も急激に萎縮して、老け込んで、しぼんで消えていきそうだ。
さらに秋となり、ポンが死んだお彼岸だ。1年も経てば、気持ちも変わるかと思ったけれど、ポンが死んだ日と悲しみも苦しみも後悔も、何も変わらない。ポンが遊んだ庭には、近所のネコたちが、たくさん遊びに来るようになっていた。
なんとか、昼間は、できるだけ冷静で健全な振る舞いをした。
ブログも淡々と続けた。きっと周りの人は、もうペットロスから立ち直ったと思うだろう。でも、夜は逃げるように、お酒を飲んで、ただただ思いきり泣くばかり。
こんな号泣おばさんに、付き合う夫もお気の毒だけれど、夫のことすら思いやることもできずに58歳を迎えた。
そんな日々が1年以上続いた2015年の暮れ。夫が、地元紙の切り抜きを見せてくれた。「こんな選択肢もあるかもよ」と。
この一枚の新聞記事が、私の人生を意外な方向に切り替えてくれた。
第4話に続きます