第24話 石見犬が滅んだのは・・
文字数 1,042文字
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柳尾さんは、日本犬保存会で、長く審査員も務めておられ、自らも繁殖をされ、4頭の柴犬を飼っていらっしゃった。
80歳にお近いとのことであるが、複数の柴犬の飼育は体力がいるもの。見た目もお若く、大変お元気でダンディな印象の方だった。
それぞれ自己紹介の後、まずは、一番大切な、「ド緊張」の質問から。
「・・島根の地犬の『石号』が、現在の『柴犬の祖』であるということは、日本犬保存会の皆さんは、認識されていますか?」
「若い人はともかく、我々の年代の者は、すべて知っています」
きっぱりと、専門家の方に言っていただき、正直ホッとした。(どうしても一抹の不安があったのだ・・)
「石号については、どう思われますか?」
「私は実際に見たことはないですが、写真を見る限り、素晴らしい犬だと思いますよ」
「石見犬(石州犬)を実際にご覧になったことはありますか?」と、私は、持参した「石見犬」の創刊号のコピーを出して聞いてみた。
「ほう、こんな本が残っているんですね。石見犬を見たことはありますよ。当時の犬は、今の柴犬よりも精悍さがありました。気魄十分でした。近所にシロという犬がいて、昼前になると毎日、首に弁当をくくってやると、お父さんに届ける犬もいた。忠犬ハチ公みたいなもんです。賢かったですね」
「そうですか。この本によると、昭和30年代には『石見犬ブーム』がここ益田市で、起こっていたようですが・・」
「戦後、石見犬らしきものが、いなくなってきたので、復興させようと、グループができたようです。石見犬の展覧会などを行い、石見犬に近づけようと『先祖返り』を試みましたが、結局、石見犬の作出はできなかった」
「ということは、石見犬は、滅んだということですか? それはいつ頃?」
「昭和30年代には、完全にいなかった」
「その原因は、ジステンパーの流行ですか?」
「いや、石見犬が減ったのは、戦時中に食糧難で、犬を殺して食べたから。それが一番の原因ではないでしょうか」
まさか、そんな理由で・・・。
「でも、戦後になって、こういう本を作るくらい、石見犬を守ろうという機運が高まっていながら、創刊号で終わっています。どうしてでしょうか?」
「ここまで言ってもいいんかな…」
柳尾さんは、ちょっとためらって言葉を続けた。
次号に続きます。