第19話 中号の系統にあらずんば・・
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最高位となった中号の名声は、日本中に響き渡り、愛犬家の憧憬の的となっていった。そうして、交配の依頼が相次ぎ、中号の子孫は、またたくまに全国に広まっていくこととなったのだ。
さらに、その子孫たちが、続々と展覧会で優秀な成績を上げていき、中号の人気はますます高まっていった。
そして、中号4歳。人間でいえば30代前半の立派な大人に成長した頃。
日本犬保存会の会誌によると、昭和27年、東京で国際展「日、英、米国際畜犬展覧会」が開催されている。
この展覧会で、中号は「小型優良一席(総合一席)」の栄誉を獲得し、外国にもその名を知らしめたとのことだ。同時に「英国ジャック・ブリンクリー賞」「米国ジョセフ・エー・ピーターソン賞」「日本愛犬の友社賞」なども受賞している。
また、昭和28年には、「愛情について」という東宝映画にも出演しているらしい。事実ならば、この映画を見てみたいと、東宝に問い合わせたところ次のようなお返事をいただいた。
「『愛情について』は、ブルーレイ・DVD化の弊社からの販売予定は、現在までのところございません。(中略)日本映画衛星放送等のケーブルテレビ等で古い映画作品は放送されることもございますので、そちらのホームページ等でお調べいただければと存じます。」とのこと。
あれからずっと探しているが、未だに見つけられない・・。
どなたかご存じないだろうか。
ところで、柴犬といえば「信州柴」だが、これは当時、中号が長野県の犬だったことから、その名が広まったようだ。(長野の柴犬は、戦前から有名であったが、戦後は「在来の信州柴」は、ほぼ絶滅していた。ここに中号が颯爽と登場。長野は、再び「柴犬王国」として復興することとなる)
このようにして、中号が、どうして「戦後柴犬中興の祖」と言われるようになったのか、その経緯がよくわかってきた。
まさに「中号の系統にあらずんば柴犬にあらず」というような風潮だったのだろう。
そして、この中号の曽祖父(ひいおじいちゃん)こそ、島根の石州犬「石号」なのである。
資料を元に、石号から中号に続く信州系柴犬の系統図を作ってみた。
「黄色の縁どり」が石の血をひく犬たちである。
さてさて、このように調査が進むことによって、面白いことがいろいろとわかってきたのだった!
次号に続きます。