第44話 岡田睦夫さんへの手紙
文字数 1,356文字
私は、著者の岡田睦夫さんの連絡先をあの手この手で探しだし、なんとか住所を見つけることができた。
よし、手紙を書こう!
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岡田 睦夫様
謹啓 突然お手紙を差し上げる失礼をお許しくださいませ。
(中略)
そうして「石州犬」や「石号」のことは、徐々にわかって参りましたが、一方で石州犬を東京へと山出しした「中村鶴吉さん」のことがほとんどわかりません。私は「中村鶴吉さん」の功績は、郷土の偉人にも匹敵するのではないかと思い、彼の人生や足跡を追っておりますが「石見の出身で、東京在住の歯科医」であったということくらいしかわかりませんでした。
その後、中村鶴吉さんの当時の住所を知ることができました。
住所がわかった以上は、いてもたってもいられなくなり、先日この地を訪ね、周辺を聞き込みしてきたところですが、何もわかりませんでした。戦前の戸籍も消失しているとのことで、やはり大都会東京で80年前の人捜しは無謀なことでありました。
この上京の際に、日本犬保存会にお伺いしたところ、審査部長様が「あの人は、帽子をかぶってなかなか洒落た人だね・・」というようなお話をされました。
私は「えー、見たことあるんですか!!」と、驚愕しました。「石号」の写真に写り込んだ「足先とコート」だけで大感動する私にとりましては、まさか中村鶴吉さんのお姿を、この目で見ることができるなどと信じられないことでした!
すると理事の方が岡田様のご著書「往古日本犬写真集」を見せてくださいました。そこには、この半年の間、寝ても覚めても捜し求めた「中村鶴吉」さんの姿がありました。本当に本当に感動いたしました。
また、書かれていらっしゃる内容も初めて知ることばかりで、びっくりいたしました。たとえば、歯科医とは知っていたのですが、その正式名称が「中村口腔外科医院」であったということ、エンペーカーという犬舎名は、日本犬保存会だけでなく、帝国軍用犬協会でも使用していたということ、さらにこれまで知らなかった多くの「石州犬」のお写真がたくさん掲載されていることにも驚きました。
同時に、この岡田睦夫さんという方は、どうしてこんな貴重な写真をたくさんお持ちで、しかも昔のことをご存じなのだろうかと不思議に思いました。
中村鶴吉さんは、会誌や書籍でも、昭和8年から12年の4年間にだけ頻繁に名前を見ることができるのですが、それ以降ピタッと名前が出てきません。岡田様のご本のお写真から見ると、まだお若い(30代後半から40代くらいでしょうか)ように見受けられますが、これだけ日本犬界で活躍されていた方が、なぜ忽然と消えてしまったのでしょうか。
その後、戦争に行かれたのか、お亡くなりになったのか、あるいは何かの事情で日本犬界から引退されたのか、まったくわかりません。
けれども、岡田様ならもしかすると何かご存じなのではないかと思いました。
(後略)
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と言うようなお手紙をお出ししたところ、すぐに岡田さんからお返事をいただいた。その中には、信じられないような貴重な写真が入っていたのだった。
次号に続きます。