第80話 甲府の坂口登さんのお宅へ
文字数 950文字
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JR清水駅から甲府までは、特急「ワイドビューふじかわ」に乗車すると、乗り換えなしで行ける。このことも、東京経由でなく、清水経由とした大きな理由でもある。高齢になると乗り換えなど面倒なので、とにかく旅は楽チンが一番だ。
午前中に甲府駅へ着き、タクシーで坂口さん方へ。甲府駅からわずか数分で、坂口さんのお宅へ到着した。
ある日突然かかった、見知らぬ人間からの一本の電話。それだけで、この坂口さんという方は、会ってくださることになったのだ。もしかしたら私たちは怪しい二人組なのかもしれないのに、信じて頂けて本当にありがたい。
出迎えてくださったのは、「石号の子や孫」を飼育していた坂口仁さんの息子さんの登さんと奥様。奥様は私より年上とのことだが、10歳も20歳もお若く見え、はじめは、娘さんかと思ったほど。いったい何を普段から召しあがっているのか、若さの秘訣をお伺いしたいくらいだった。
お二人は、奥の部屋に私たちを案内してくださった。そこには、いろんな写真や資料がすでに並べられていて、それを次々に見せてくださった。
石号の子供の「アカ号」、孫の「紅子」、そしてひ孫の「中号」の写真もあった。石の血を引くこの名犬たちは、ここ坂口家の犬舎「赤石荘」の犬たちだ。
金指さんも、この「赤石荘」があったればこそ、今の柴犬があるとおっしゃっている。
当時まだお子さんだったという坂口さんは、その犬たちの思い出話をしてくださった。
「戦時中、人間でさえ食べるものがないのに、あの家は、犬を5頭も6頭も飼ってと、随分と言われました。近くに魚屋があって、残ったものをもらえましたね。とても助かりましたが、それでも大変だった。もちろん私たちだって、そんな食べられませんでしたよ」
戦時中に、日本犬を守ることができたのは、並外れて裕福な人たちのおかげかと思っていたが、とんでもない。坂口さんのお宅は、商店街の普通の燃料屋さんだった。
よくぞ、この名犬たちを守り抜いてくださった、どれほどのご苦労があったことか・・。
しかし、この後に坂口さんがおっしゃた事は、さらに衝撃的なものだった。
次号に続きます。