第35談 Weather Report —— 史上最強のバンド

文字数 4,915文字

おはようございます。

今日はまた音楽の話です。

20世紀のバンドの中で、ザ・ビートルズを知らない人はいないでしょうし、彼らこそ史上最強のバンドと思う人も少なくないでしょう。
一方で、今日書かせていただくウエザーリポート。
『ジョジョの奇妙な冒険』とも、岩崎良美とも関係ありませんし、名前が「天気予報」だからって、『おかえりモネ』で思い出したわけでもありません。(笑)
かつて20世紀に活動していた彼らを超えるバンドは、21世紀の今に至っても現れていないと私は感じています。

Wikipediaにはこうあります。
——ウェザー・リポート (Weather Report) は、ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターの2人が中心になり、1970年に結成されたエレクトリック系サウンドをメインとしたアメリカのジャズ、フュージョン・グループである。

これだけだとわからないですね。
あ、ジャズ、フュージョンか。カシオペアやスクエアみたいな感じね? と思う人もいるでしょう。

とりあえず、Wikipediaでもう少し探ってみましょう。

ジョー・ザヴィヌル
——ジョー・ザヴィヌル(Joe Zawinul、本名:ヨーゼフ・エーリッヒ・ツァヴィヌル、1932年7月7日 - 2007年9月11日)は、オーストリアのウィーン生まれのジャズ・フュージョン・ピアノ・シンセサイザー奏者。
1970年代よりシンセサイザーを駆使してきた彼がその発展に貢献したものは大きく、現代のミュージシャンにも多大な影響を与えている。
アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの支配下にあったウィーンで育つが、その才能を見出され奨学生としてウィーン音楽院に入学する。まもなく自分の求めるものがクラシック音楽ではない事を悟ると、すぐにジャズに心惹かれるようになる。(中略)1959年にダウンビート紙上のバークリー音楽院の奨学生募集の記事を見つけ、これを利用してボストンへ渡るが、そこに学ぶべきことはないとすぐに分かり、3週間後にはメイナード・ファーガソンのバンドオーデションに合格しボストンを後にした。
——早い話がはみ出し者の天才です。

ウェイン・ショーター
——ウェイン・ショーター(Wayne Shorter、1933年8月25日 - )は、ジャズのテナーサックス・ソプラノサックス奏者。アメリカ合衆国ニュージャージー州ニューアーク生まれ。
幼少期は絵を描く事や映画を好み、12歳で油絵を州の美術展に出して入賞、15歳で長編漫画を描きあげる。しかし同時期にラジオで耳にしたビバップに強い啓示を受け音楽に興味を持つようになり、15歳の頃に楽器(クラリネット)を手に取って本格的なレッスンを受ける。ハイスクール卒業後はニューヨーク大学(音楽教育を専攻)への学費を得るためにミシン工場の在庫品係として働く。大学を出た彼はまもなく軍隊に徴兵される。陸軍に入隊し名狙撃手と呼ばれ、軍に残るよう説得されるも1958年に除隊する。その後、ナイトクラブ等で演奏しジョン・コルトレーンとも知り合うなど腕を磨いた。
——分かり易く言うと苦労して大学で音楽を学んだ叩き上げのエリート・ジャズミュージシャン。

結成時はもう一人の天才がいました。
——ミロスラフ・ヴィトウス(Miroslav Vitouš, 1947年12月6日 - )は、チェコ出身のジャズミュージシャン、コントラバス奏者、ベーシスト、作曲家。米ジャズフュージョン・バンド「ウェザー・リポート」の創設メンバーとして活躍。その後はソロに転向し、アルバム毎に様々な演奏家と組んだ秀逸な作品を残している。
プラハ生まれ。6歳からヴァイオリン、10歳からはピアノ、そして14歳からはコントラバスを本格的に習い始め、当時チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の著名なコントラバス奏者であったフランチシェク・ポシュタの弟子となるが、次第にジャズへの傾倒を見せ始める。
(中略)若くして期待のアコースティック・ベース奏者として頭角を現す。
アメリカ合衆国に渡った後チック・コリアのアルバム『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』に参加すると、その超絶的な演奏が反響を呼びジャズシーンに彼の名が知れ渡るようになる。また短期間ではあるがマイルス・デイヴィスのバンドにも参加した。

ベーシストだったヴィトウスは、よりファンキーなサウンドを求めるザヴィヌルとの音楽性の違いからバンドを離れ、しばらく後に革新的ベーシスト、ジャコ・パストリアスがそのメンバーとなります。
——ジャコ・パストリアス (Jaco Pastorius、本名 ジョン・フランシス・パストリアスIII世、1951年12月1日 - 1987年9月21日) は、ジャズとフュージョンのエレクトリックベース・プレーヤー及び作編曲家。
1970年代半ばに頭角を現し、1975年にはパット・メセニーの初リーダー作に参加、翌1976年にはファースト・ソロ・アルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』を発表すると共にウェザー・リポートにベーシストとして参加。革新的なテクニックを持ち、エレクトリック・ベースの中でも少数派であるフレットレス・ベースを用いて、アンサンブルでの花形楽器にまで昇華させたことで知られる。フォークからジャズ路線へと足を踏み入れていた70年代後半のジョニ·ミッチェルとの活動も有名。

・キーボード:ジョー・ザヴィヌル
・テナー&ソプラノ・サックス:ウエイン・ショーター
・エレクトリック・ベース:ジャコ・パストリアス

その3人がメインとなって活動した1976年から1982年の7年間は彼らの黄金時代と言えるでしょう。
バンドと言っても、彼らはドラマーを殆ど固定せず、ドラムパートやパーカッションには様々なプレイヤーを起用しました。
その中で、唯一正規メンバーとして加入したドラマー、ピーター・アースキンをコンサートツアーに帯同した4年間は最強でした。

その名を知らなくても、ジャズとしては珍しく大ヒットし、その後マンハッタントランスファーなど多くのプレイヤーやボーカリストにカヴァーされた「バードランド」を聴いたことのある人は少なくないと思います。
動画を見れば一目瞭然なので、Youtube動画のURLを記しておきます。

https://www.youtube.com/watch?v=pqashW66D7o
(例によって、ブラウザーにコピペしてください)

この「バードランド」は彼らの曲としては一番陽気で分かり易い曲ですが、セールスのために軟弱フュージョンを演奏したジャズ・ミュージシャンとは真逆の存在であることは、演奏を聴けば(見れば)お判り頂けるでしょう。

この最強メンバーでの日本公演に私は3度立ち会いました。
よくある爺さんの自慢話ですが。(笑)
それが全部同じ1978年。分かり易く言うと追っかけですが、チケット代に散財してしばらく他のコンサートに行けませんでした。(苦笑)

グラミー賞を受賞したライブアルバム『8:30』を聴けば、同じメンバーでほぼ同じ楽曲を演奏している来日コンサートの様子はなんとなく想像出来る筈ですが、実はこの3回の公演の演奏が全く異なります。

比較的小規模の郵便貯金会館では、サックスのウエイン・ショーターによるアンプラグド(マイク無しの生演奏)のソロ演奏でオープニング。
ザヴィヌルもアコースティック・ピアノでインタープレイ(掛け合い)に応じ、ジャコのベースも大人しくそれを追いかける感じ。後にダイアナ・クラールのバックでも演奏したピーターのドラムは、気持ちよくスイングして土台を支えていました。
他の楽曲もジャズ的なインプロヴィゼーション(即興)とインタープレイ(掛け合い)を重視していて、やっぱりウェザーリポートは生粋のジャズバンドだったと納得しながら家に帰りました。

ところが、次の中規模の新宿厚生年金会館では様子が違いました。
オープニングがどの曲かは思い出せないのですが、もしかしたらジャコのワンマンショーのようなアクトで始まったかもしれません。彼はまだ稀少だったデジタル・サンプラーを駆使して自分のベースの音をサンプリングし、それをループ再生しながら更に音を重ね(今では当たり前のこのプレイを発明したのはおそらくジャコです)、ベースを使ってジミ・ヘンドリックスのギタープレイのようなソロを聴かせてくれました。前日に聴いた楽曲も、まるで別のバンドが演奏するようにファンキーにグルーヴしていて、彼らはファンクバンドでもあるのだなと、その引き出しの多さに感心しながら家に帰りました。

そして最終公演となった中野サンプラザ。
一番スケールが大きいホールで彼らは自分たちの意志通りにコンサートを強行します。
世界中どこでも夜8;30から演奏を開始すると徹底していた彼らも、日本では消防法の関係で7時に開演せざるを得なかったのですが、それを無視してこの日は開演を1時間半遅らせたのです。
7時半になっても8時になっても会場に入れない観客達には苛立ちが。しかし、そこにジャコが現れると拍手喝采。ぴょんぴょん飛び跳ねながら歩いていた彼は見るからにハイになっていましたが、ポール・マッカートニーほど有名ではなかったのでお咎め無しだったのでしょう。
そして、演奏はピッタリ8時半から始まりました。ロケットの発射を模したカウントダウンからスタートした綿密に計算されたステージは、完全にロックバンドのそれでした。
ものすごく盛り上がったコンサート。私は終演の10時半頃から飲みに行ってしまったために終電に間に合わず、中野から港区の自宅までタクシーで帰る羽目になりましたが。(笑)

「三度行ったら三度、コンサートに行くたびに違う味が楽しめるウエザー・リポート」と友人たちに吹聴していた当時の私。
後にニューヨークで多くの偉大なジャズプレイヤーやロックバンド、ファンクバンドの生演奏に触れましたが、後にも先にも彼らほど幅広い音楽性を見せてくれたバンドユニットはありません。
ジャズもファンクもロックもクラシックも民族音楽も取り込んで、とんでもないスケールで展開するウエザー・リポート。

誰の言葉か判りませんが、Wikipediaのジョー・ザヴィヌルのページに、「バードランド」を含む彼らの代表作「へヴィー・ウェザー(1977年)」を表すこんな言葉がありました。
——現在に至るまで、これほどの地球上の幅広い音楽性の融合に成功している作品は多くは存在しないであろう。

私も同意します。

因みに、在籍時から奇行が目立った天才ジャコ・パストリアスは、グループ脱退後にドラッグやアルコールの依存症が更に激化し、ガードマンと乱闘した際に頭部に負った怪我が原因で植物状態となり、1987年に35歳でこの世を去りました。
今でも多くのベースプレイヤーが彼の演奏を手本とし、彼に捧げるトリビュートコンサートも度々開かれています。

1986年にウエザー・リポートは解散。
リーダー格のジョー・ザヴィヌルはソロアーティストとして活動しますが、皮膚癌のため2007年故郷のウィーンで死去。享年75歳でした。

もう一人のリーダー格、ウェイン・ショーターは87歳の現在も、ロバート・グラスパーなど現代のジャズミュージシャン達にインスピレーションを与えながら、ジャズ界のレジェンドとして活躍しています。


朝っぱらから、天気予報とは程遠い長ーい呟きになってしまいましたが、もしこれをきかっけに彼らに興味を持っていただけたら、是非深ーく掘り下げてあげてください。


老人は死なず、20世紀の巨星をもっと多くの人に知って欲しいと願う今日この頃
(2021.8.3)

追記:実はベーシストとしては、ミロスラフとジャコの間に加入していたアルフォンゾ・ジョンソンが私は一番好きです。アルバムとしても彼が参加していた『幻祭夜話(テイル・スピニン)』『ブラック・マーケット』の方が好みではあるのですが、黄金時代に比べるとスケールは少し劣るかな……と。でも、どちらも素晴らしいアルバムなので、是非聴いてみてください。

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