第59話 走れ! エロス!

文字数 6,199文字

 ネット率いるカートン侵攻軍が、進軍している。
 その両側には、森が広がっていた。
 木の幹が太過ぎるので、全てを()ぎ払うのは骨が折れる。
 しかも木々は、水分を多く含んでいる。
 よって、燃やし尽くすには、多大な魔力がいる。
 カートン到着時に、兵が疲労困憊では困る。
 それでなくても強行軍で、兵達に疲れが見え始めている。
 ネット達は森の間の、細い道を進軍するしかない。

 カサンからカートンへのルートで、その道は待ち伏せに最も適していた。
 だから部隊のリーダー、ピュリは迷わずここを奇襲地点に決めた。
 ピュリは無精髭(ぶしょうひげ)を生やした精悍(せいかん)な男だ。
 そんなピュリが率いる部隊のメンバー達は、厳選された精鋭集団だ。
 皆、元世界ランキング上位の冒険者か、大国の軍隊出身者だ。
 そんな精鋭が二百名も集まれば、首脳会議が定めた四匹の標的を倒せる。

 ブラムス副将軍・侵攻軍指揮官、ネット。
 高等吸血鬼・侵攻軍副官、ゾーフ。
 魔法部隊指揮官・魔女、サバト。
 特級インキュバス・遊撃、エトー。

 いずれも強敵だ。
 だがピュリは、仲間達を信じていた。
 ピュリは元々、女勇者のアビスが率いる世界ランキング二位パーティのメンバーだった。
 アビスが突然、行方不明になり、パーティは自然消滅した。
 世界ランキング一位の黒魔導士からレイプを受けたと噂が立ったが、真相は未だ謎だ。
 その後ピュリは、ソロで戦い続けた。
 愚直に、戦い続けた。
 その姿は、悲運にして心折れない戦士として、他のパーティや兵士達から尊敬を集めた。
 そうやって戦っていくうちに、心を許せる仲間が増えていった。
 仲間入りの際、当然ながら、強さは考慮した。
 ピュリは進んで、危険地帯で戦っていたからだ。
 弱い者が加わっても、死ぬだけだ。
 それでもこれまで、何人かの尊い犠牲は出した。
 そうして修羅の道を進み、気付けば、仲間は二百人にまで増えていた。
 今回の参戦は、首脳会議の懸賞金を、冒険や戦争で家族を失った人々への義援金に()てるためだ。
 (とみ)の前に、屈したわけではない。
 何より、標的の四名を殺せば、人間側が有利になる。

 進軍する敵の間隔が、空いた一画があった。
 ピュリは、遠目の魔法でその一画を見る。
 いた。
 所詮、吸血鬼と魔物だ。
 標的四人が、固まっている。
 無能なのか、人間を舐めているのか。
 どちらにせよ、ピュリ達にとっては好都合だ。
 ピュリ達はあらかじめ、伝心魔法をかけている。
 よって奇襲の合図も、標的に知られない……はずだった。

「(弓組は矢を射よ! 続いて火矢を放て! 魔法班、詠唱始め!)」

 ピュリの合図で、二百人が一斉に動く。
 弓組が、矢を放とうとしたとき。

「(人間って美味しいけど、アンポンタン過ぎてドン引きするよね)」

「(これ、エトー。
 人間が仕掛けるまで、気付かないお芝居を続ける約束だったはず)」

 何だ、これは……。
 伝心は、あらかじめ魔法をかけた者同士しか会話できない。
 その伝心に侵入するなど、不可能だ。
 非常識な程の魔力を持っていない限り、不可能なのだ。
 矢を射ようとしていた仲間達が、固まってしまっている。

(いけない! 心乱れて、勝てる相手ではない!)

 ピュリも、世界ランキング二位まで上り詰めた冒険者だ。
 得体が知れない敵と遭遇した経験は、数多く持っている。
 よって、対処法も心得ている。
 それは余計なことを考えないこと。
 当初の戦術通り、攻撃することだ。
 それで今まで、生き延びてきた。

「弓組、放て! 火矢も放て!」

 もう、伝心は使わない。
 相手に筒抜けなら、伝心は意味がない。
 ピュリの意図を組んだ仲間達が、一斉に攻撃する。
 百を超える弓が放たれた。
 それに火矢も加わり、投げ槍まで標的目掛けて飛んでいく。
 矢の大軍が、標的である四人に届く直前。
 (まばた)きより早く、四人組の姿は消えていた。
 それでもピュリは、取り乱さない。

「全員抜刀! 白兵戦に備えよ!」

 ピュリの号令で、それぞれが「得物」を構える。
 ここに集いし二百の人間は、全員が精鋭だ。
 先程の伝心への侵入や、標的が転移の如く消えてしまっても、戦意は落ちない。
 武器を構え、仲間同士で死角となる背後をフォローし合う。
 周囲を隙のない目で探る。

 そうであっても。
 五匹の出現は、人間達にとって転移の如く唐突だった。



「あら、そんな(ほう)けた顔をする必要はないわ。
 あなた達の行動が充分、呆けているんですから」

 サバトが口元に手を当て、甲高い笑い声を上げる。

「……! 魔女狩りだ! 全員かかれ! ……え?」

「誰が誰にかかるの?」

 サバトが、心底おかしそうに笑う。

「な、何だ!? から……体が動かない……」

「動かないだけじゃない! 手先が凍っていく!」

「俺は足先が凍っていく!」

「さ、寒い! ここは南部のはずだろ!? 寒くて仕方ない!」

 遂に、人間達は悲鳴を上げた。
 南部でやや暑いくらいだが、吐息が白く凍る。

「あら、ありがちな凍結の魔法よ?
 ただ私の凍結は、生け捕りに向いているだけ。
 人間の体温を急激に下げて、体の末端から凍らせていくの。
 だからあなた達は、生きたまま凍ることができる。
 生きたまま、ブラムスで血を抜かれ、お料理の材料にされるのよ」

 サディスティックな笑みを浮かべたサバトと対照的に、人間達は恐慌を来たしていた。

「……い、嫌だ! 生きたままなんて嫌だ!」

 一人があげてしまった悲鳴が連鎖を生む。

「生きたまま、吸血鬼に料理なんて……助けて!」

「寒い寒い寒い寒い! 気がおかしくなる! 頼むから助けてくれ!」

「し、死にたくない! 助けて! 助けて……ください」

 そんな人間達の悲鳴を聞き、サバトの高笑いに拍車がかかる。

「私は本当に、この魔法が好きよ!
 だって醜いくせに、
 プライドだけは高い人間達の悲鳴が、聞き放題なんですもの!」

 凍りゆく戦士達を尻目に、魔女の甲高い笑いが森に吸い込まれていく。



 ヨトゥンはまず、槍を払った。
 ただ、横に払った。
 それで生まれる風圧だけで、人間達は立っていられなかった。
 ()ぎ倒された人間達が逃げられぬよう、手足を槍で器用に切り取っていく。
 ヨトゥンは、人間全員を生け捕りにするつもりだった。
 だが、何人かを踏み潰してしまった。
 ヨトゥンは気落ちしながらも、几帳面に人間の手足を切り取っていく。



「そろそろ、詠唱は終わったよね?
 全員、全力でボクに魔法をぶつけてね!」

 エトーは、ニヤニヤと笑っている。
 エトーが担当した人間のエリアは、魔力が強く感じられた。
 つまり、人間達の魔法部隊だ。

「おのれ、淫魔の分際で! 喰らえ!」

 何人かが、大小様々な火球を放つ。
 その火球一つでも、上等の魔物を倒せるほどの威力を秘めている。

「全員揃って火魔法とか、単細胞過ぎだよ?
 ツマんないや」

 口でそう言いつつも、火球は次々とエトーに直撃する。
 人間達から喝采(かっさい)が起きる

「やったぞ! 淫魔ごときに……」

「……あんま、淫魔って言うな……あ! ゴメン!
 今のサムイ駄洒落(だじゃれ)じゃないからね」

 エトーが舌をペロリと出す。
 直後、火球を放った人間達を水(ムチ)が襲う。
 水鞭は人間の目を潰し、首に絡みつく。

「その水鞭、便利なんだよ。
 死にそうになったら、締める力が弱まるんだ。
 生け捕りにグッジョブな魔法だよね?」

 無数の火球を受けても、かすり傷一つないエトーは、ニヤニヤ笑ったままだ。

「あらゆる属性の魔法を、一気に放て!」

 魔法班のリーダーが指示する。
 それに従い、残った魔法使い達がエトー目掛けて魔法を放つ。
 その全てが、エトーを直撃した。
 だがエトーは、全くダメージを負わない。
 逆に魔法攻撃を放った人間達を、カウンターのように魔法が襲う。
 エトーは、指一本動かしていないのに。
 水属性の魔法を放った者達は、稲妻で体を麻痺させられた。
 (いかづち)属性の魔法を放った者達の足元が、不意に割れる。
 直後、割れた地面から岩石が飛び出し、人間達を直撃する。
 ただし頭部は巧妙に避け、手足や肋骨を粉砕する。
 土魔法を使った者達の体に、竜巻が巻き付く。
 全身の骨が砕かれる。
 吐血しながら、次々と倒れていった。
 風魔法を使った者達は、下半身を炭になるまで焼かれた。

「やっぱ人間って、アンポンタンだよね。
 それともボクが、天才過ぎるだけ?」

 エトーは終始、ニヤニヤ笑っているだけだった。



 キィンッと音を立てて、ゾーフは両手の短刀を腰の(さや)に収める。
 周囲には、無力化された人間達が四十人ほどいる。
 倒れている者もいれば、立ったまま泡を吹いて気絶している者もいる。
 彼等にとってゾーフの攻撃は、一瞬の出来事だった。
 目で追える代物ではなかった。
 それほど、動きは素早過ぎた。
 それほど、正確無比な攻撃だった。
 ゾーフは短剣と魔法を使い、多くの生け捕りを得た。



「残りは、お前一人のようだが?」

 そう言うネットの声に、感情は(こも)っていない。
 彼の後ろには、人間達が多数倒れている。
 ただ誰一人、死亡した者はいない。
 ネット、ゾーフ、サバト、ヨトゥン、さらにはエトーまでが、女王・ローラの命令を守っている。
 多くの人間を生け捕りにせよとの、命令を。
 ネットとゾーフは吸血鬼なので、ローラの命令に従うのは当然だ。
 しかし他の者達も、従っている。
 それはローラの強さに、他の種族が恐怖を抱いている(あかし)だった。
 ピュリは血が出る程、下唇を噛み締めていた。
 二百人の仲間全員が生き残れるとは、思っていなかった。
 むしろ、多大な犠牲が出るのを覚悟していた。
 それでも、人間の精鋭が約四十人、それぞれの標的に立ち向かった。
 結果は、全滅だ。

(……いや、まだ全滅ではない。この私が、いるではないか!
 最後まで、あきらめるな!
 『いつか我々のパーティリーダであり、
 美しくて優しかった勇者・アビスが、この世界に戻ってきたら。
 吸血鬼も魔物もいない世界を、彼女に捧げよう』。
 当時のパーティメンバーで、そう誓ったはずだ!
 あきらめんぞ、アビス! 見ていてくれ!)

 ピュリが、最後の覚悟を決める。

「準備運動にもならなかった。だが多少、ストレス発散はできた」

 そう言うネットの表情も声音も、戦闘前と何ら変わっていない。
 仲間達が倒されている間、ピュリは黙って立っていたわけではない。
 彼も戦った。
 だがその全てが、無駄だった。
 ネットは攻守において、何か特別なことをしたわけではない。
 ピュリの目には、ネットが戦闘の教科書どおりに動いたようにしか見えない。
 そこに、凄味がある。
 強い者ほど、相手を静かに倒す。
 倒された本人すら、それに気付かないほどに。

「お前は確かに、化け物だ。だが、俺とお前はここで死ぬ」

 ピュリが、ニヤリと笑う。
 仲間達が倒れていくなか、魔法の詠唱は終えている。
 自爆魔法の詠唱を。
 この近距離で自爆を喰らえば、血吸いの女王とて無事では済まない程の威力だ。

「自爆、か。
 だがお前は、この魔法石が無ければ自爆魔法を発動できないだろう?」

 ネットが握った片手を開けると、五つの魔法石が地に落ちる。
 ピュリは驚愕で目を見開き、言葉も出ない。
 魔法防壁を張った革袋の中に、魔法石を入れていた。
 さらにその革袋は、背中の皮膚に直接縫い付けていた。
 ネットには、一度も背後に回られていないはずなのに。

 違い過ぎた。
 力の差ですら、ない。
 戦いの次元が、違い過ぎた。

「……アビス、すまない。俺は、ここまでだ」

「アビス?」

 ピュリにゆっくりと近づきながら、ネットが怪訝な声を出す。

「ああ、なるほど。
 お前は、同志・アビスが人間だった頃、同じパーティにいたのか」

 信じられない言葉を聞きながら、ピュリは泣いていた。
 自分の無力に、失望したのか。
 ただ、死にたくないだけなのか。
 それは、泣いているピュリ本人にも分からなかった。
 だが、やっと答えが出た。
 黙って消えたアビスに、何もしてあげられなかったから。
 そのアビスが、吸血鬼だと?

「同志・アビスは、元気だ。
 お前達人間が勝手につけた格付けでいえば、特級の吸血鬼としてな」

「イヤだっー!」

 叫ぶピュリの手足を、ネットは無表情に斬り落とした。



「生け捕り回収班が、ブラムスから派遣される。我々は引き続き、進軍だ」

 ネットが指示を出す。

「その回収班には、『十三の刺客』の奴等もいるんだよね?
 あいつ等、不愛想だし、キモイし、上から目線だし。
 女王さん、こき使えよ」

「エトー、口を慎め」

 ネットが注意すると、エトーはプイッと横を向く。
 それを見て、サバトは嘲笑し、ゾーフは怒りを覚える。
 人間の精鋭二百人と戦ったばかりだ。
 だがネット、ゾーフ、サバト、エトー、ヨトゥンは、変わらずに進軍する。
 何事も無かったかのように。
 実際に五人は、つい先程の人間の奇襲など、もう忘れていた。



 リーナ率いる世界ランキング一位パーティは、地を飛ぶように駆ける。
 もうじき、日が暮れる。

「悪い知らせがある!」

 駆ける速度を緩めずに、ターリロが報告を始める。

「カートン侵攻軍に、増援あり!
 カサン侵攻軍が補充され、さらに三万匹が増援された!」

 上位の世界ランキングパーティ達でも、(きびす)を返す凶報だ。
 だがリーナ達の速度は落ちるどころか、さらに早まる。

「さらに敵指揮官には、ブラムス副将軍のネットが就いた!」

 ターリロの使い魔が、やっと情報を拾ったらしい。
 「ニンチの使い魔は?」。
 そんな野暮な問いを発している暇はない。
 期待するだけ無駄だ。

「私達のときより、敵戦力は増強されてるよ!
 さらに気合い入れていくから!」

「オウ!」

 リーナの号令に、男三人が応える。
 ニンチは駆けながら眠るという、脅威の新技を披露している。
 しかも(よだれ)を垂らして、時々ニヤッと笑っている。

(どれだけ敵がいても。
 どれだけ敵が強くても。
 きっと、ううん、絶対に大丈夫。
 そうだよね、グラン?
 私達が着くまで待っててくれたら、それでいいから)

 もう、離れたくない。
 もう、離しはしない。
 リーナが力強く、地を蹴る。



 今日という一日が、終わろうとしている。

 開戦前最後の一日が、終わろうとしている。
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