第35話 何でもないようなカサンが、幸せだったと思う

文字数 3,318文字

知力・魔力・体力の限界など、とうに超えている。
 自分は世界一位の勇者だ――それを(かて)に精神力だけで、リーナは戦っていた。
 上等ミノタウロス達の露出した顔目掛けて飛び上がりながら剣を振るい、何とか前進を遅らせている。
 リザードマンは左利きで、右利きの相手とは戦い慣れている。
 裏返せば、同じ左利きとは戦い慣れていない。
 だからリーナは上等リザードマンと戦うとき、剣を左手に持ち替えて戦い、相手の動揺を誘って前進を遅らせている。
 悪鬼・バルログは、炎が燃え盛った鞭を振るってくる。
 その鞭を何とか剣と盾で防ぎながら、前進を遅らせている。

 しかし、もう限界だ。
 退却に退却を重ね、都市の半分を捨てた。
 無辜(むこ)の民達が、カサンから逃げ出す時間稼ぎはできた。
 だが、それだけだ。
 都市を殲滅(せんめつ)せんとする敵の進軍は、止められない。
 領主の館を中心とする最終防衛線まで負傷兵を連れて撤退し、兵站を補給して、仕切り直すしかない。
 問題は、どうやって自分達が最終防衛線まで撤退するか、だ。
 負傷兵を置き去りにするという非情な選択をしても、敵は空と地上から、撤退する自分達を攻めてくる。
 丁度今(ちょうどいま)、食らっている猛攻のように。

 こんな時、敵の攻撃力や速度を落としたりできれば。
 何匹か混乱させて、同士討ちさせることができれば。
 それができれば、撤退の隙が生まれるのに。


 リーナは

「今ここに、グランがいてくれたら!」

 と本心が叫ぶ渇望と真正面から向き合う。

 グランなら、どんな戦術を実行するか?
 彼なら、どうやって、この状況をひっくり返す一手を打つ?
 だが、いくら考えても徒労に終わることに気付いた。
 自分は、グランではないのだから。

 リーナは世界一位の勇者だけあり、最強破壊魔法・マダンテの使い手だ。
 マダンテは光属性の魔法で、(いにしえ)に伝説の魔法都市で生み出された。
 しかし、そのあまりの破壊力に、当時の魔法都市の(おさ)、つまり魔女が封印してしまったほどだ。
 マダンテを放てば、敵は全滅に追い込める。
 だが、カサンも消滅する。
 何より根本的な問題として、マダンテを放つ魔力が、もう残っていない。
 いや、軽傷を治す治癒魔法を放つのすら、やっとの魔力しか残っていない。

 万策尽きた。

 バルログの懐に入り込み、前宙しながら脚と腹に一太刀食らわせて着地する。
 が、足がよろめく。

「はあはあ……ここで、ここで死ぬんだ
 ……吸血鬼の女王に最も近い場所で、私は死ぬんだ」

 誰に聞かせるわけでもなく、けれどリーナは思いを言葉にしていた。

 届かなかったなあ。
 ちょっと、悔しいなあ。
 不思議と恐くないし、悔し涙も出ないけど。
 どうせ死ぬなら、吸血鬼の城・ボスコだよねえ。
 吸血鬼の女王・ローラと、せめて刺し違えたかったなあ。
 それが贅沢なら、せめて……せめて、ブラムスの地に侵攻して……。

 いつの間にか、リーナは泣いていた。
 泣きながら、それでも戦いを止めない。

「グランに会いたいよ!
 最後に会わせてよ!」

 本心を叫ぶ。
 泣き叫びながら、上等リザードマンの首を斬り落とし、上等ミノタウロスの腹部を深々と突き刺す。
 敵に致命傷をあたえる大打撃は、剣を振るモーションが大きくなってしまう。
 まして、体力は底をついている。
 リーナの体が、泳いでしまう。
 そこに、バルログが鞭が振り下ろす。

 私、死んじゃうんだね……グラン、ごめんね……。

 そう思った、その時。

 緑色の光を放ちながら、高速回転する塊がバルログの右腕に激突する。
 そのまま、右腕を粉砕した。
 凄まじい破壊力だ。
 バルログの悲鳴を聞きながら、リーナは呆然と立っていた。
 そんなリーナは、隙だらけだった。
 間違いなく、上等リザードマンや上等ミノタウロスに殺される。
 が、そうはならなかった。
 勇ましい雄叫びを上げながら、最終防衛線内に待機していた兵士達が現れ、戦い始めたからだ。
 まず騎馬兵が現れ、馬で走り抜ける勢いそのままに、魔物達に激突していく。
 中には、槍で魔物を突き刺す強者もいる。
 次いで歩兵や弓兵、少ないが魔法使いも現れ、順次攻撃を開始する。
 ジリジリ後退するだけだった戦線が、混戦になっていた。

「リーナ殿!」

 そう言って近づいてきたのは、パシだった。
 彼がバルログにシールドクラッシュを食らわせるのを、この目で見た。
 高レベルな冒険者だ。
 ただ先程の攻撃は、特攻だった。
 差し違える覚悟で放ったからこそ、バルログの片腕を粉砕するという結果を残せた。

「パシ殿……。あなたは……」

 リーナはパシだけではなく、周囲で戦う最終防衛線内の兵士達を見回す。
 どの兵士達の目も澄み渡り、輝いていた。
 死を受け入れて戦う者達だけがその目に宿す、尊き聖なる光。

「カサンは、ここまでです」

 パシの口調は淡々としていたが、奥底に強い芯を感じる。
 運命を受け入れた者特有の声音。

「あなたのパーティは至急、カサンから脱出してください」

「しかし!」

 リーナの抵抗にパシは、静かに首を振る。
 そして天まで届けと祈るかのように、声を張り上げる。

「この国滅びれど、人類滅びるわけでなく!」

 その言葉に、また一人また一人と倒れていく兵士達から、勝ち(どき)が上がった。

 頬をひっぱたかれた気分だった。
 パシの意志が、信念が伝わってくる。
 この都市は、吸血鬼にくれてやる。
 だが必ず奪還し、次はお前達の国そのものを破壊する。

「承知! ご武運を!」

 パシの目を真っ直ぐ見詰めて、リーナもまた意志を伝える。
 その目に、もう涙はない。
 リーナの目もまた、澄んでいた。
 英霊の思いを背負い、聖戦に身を投じる覚悟を持った者の目だ。


 あなた方の犠牲は無駄にしない。
 吸血鬼は女王を筆頭に、殲滅(せんめつ)する。
 必ず、殲滅させてみせる。

 一瞬、二人は戦士として見詰め合い、少し微笑んだ。
 一人は未来に希望を託し、ここで散る。
 一人は未来の希望のため、ここを去る。
 それ以上、二人に言葉は不要だった。
 リーナは撤退のため、パシに背を向ける。
 そして、駆け出す。

 その背に、

「リーナ殿! パーティ編成に口を挟むつもりはない!
 だが決戦に挑むなら、
 あなたは本当に心から信頼できる仲間とともに戦わねばならない!
 勇気だけでは勝てぬ相手! 友情もまた必須!」

 背に遺言を聞きながら、リーナは再び涙を流していた。



 都市・カサン。
 その裏門。
 今そこに、リーナパーティが集結していた。
 全員負傷し、ボロボロだった。
 だが、移動に支障はない。

「私達は、カサンを一旦離れるわ」

 リーナは、あえてその表現を使った。
 カサンを捨てるわけではない。
 一時的に離れるが、また戻ってくる。
 そして、取り戻す。

「次に来るときは、もう遅れは取らねえ。
 俺の槍と剣だけで、この都市は取り戻す」

 ムサイが低い声で、宣言する。
 その声音に、強靭な意志を含ませて。

「お前一人では無理だ。俺がいないとな」

 ウザイもまた、覚悟を決めていた。

「お前等前衛だけで、何ができる。
 俺の魔法は、必ず必要になる」

 ターリロもまた、次の決戦を見据えている。

「早く撤退した方がいいじゃろ。
 長居して、また戦闘に巻き込まれたら、どうするのじゃ!」

 ニンチの発言に、一同の体から力が抜ける。
 言うとおりにせよ、この賢者は空気を読めない。
 読む気もない。

「ではみんな、出発しょう」

 リーナの言葉にメンバー全員が頷き、カサンの裏門をくぐる。

 世界ランキング一位パーティは、ブラムス一個旅団に敗北し、カサンから脱出した。



 それから一日とたたず、カサンは陥落した。
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