第77話 誘拐犯が通信無双で心折れそうなんだが

文字数 1,855文字

 十四番席の前後・左隣、通路を挟んだ隣席には、すでに捜査員が座っている。
 北条と上杉は、通路を挟んだ前後の斜め席に別れる。

「北条、ショルダーバッグが重そうだな。何を仕込んでいる?」

「タクティカルベスト」

 上杉に一言答えて、北条が斜め前の席へ座る。

(タクティカルベスト、か)

 タクティカルベストは通常、防弾チョッキの上に着用する。
 拳銃や予備弾倉等の装備などを収納する。
 これの所持は、イコール臨戦体勢。

(北条の奴、いつ準備した? 『A1』は出動してないはずだが)

 頑健なボディを誇る『A1』。
 だが最大のウリは、車内の人質奪還グッズ。
 その質と量や種類は、走る『SIT』だ。
 福井県警も有しているが、出陣の報告は受けていない。

 上杉の疑問を抱えたまま、特急は走り続ける。

 ふと上杉が振り返ると、北条が鼻歌まじりに携帯をいじっている。
 そして――後方の車両に移動してしまった。
 北条の奇行にも慣れておかないと……無理だな。
 上杉は早々と結論を下した。



 奇行は、本部でも発生していた。
 小寺がのそのそと歩いて、各捜査員のパソコンをいじっている。
 
(何だよ、あのショボショボお目目の猫背野郎は。人類には理解できねえ)

 武田は早々と理解を放棄した。
 その武田の背後に、素早く静かに忍び寄る女がいた。
 女は武田に短く耳打ちすると、陽炎のごとく消えた。
 
 直後、武田の顔は真っ青になる。

「そんなバカな……。『三沢』と『ヤマ』でも拾えん電波なぞ……」

 声が洩れてしまう。

 聞いてしまった逆探班の面々が、蒼白となる。

 デジタル無線も含め、国内全ての無線を傍受可能な、警察庁外事課が運用する『ヤマ』。
 日本に設置されたエシュロンの『三沢』。

(この二つで捕らえられん通信能力だと! マル被の野郎どもは一体何者だ!? そんなもん、お手上げだろ!)

 声にならない武田の慟哭。



 管野の携帯が、メール受信を告げる。
 無線から、各捜査員に内容が流れる。

『トイレに行け。送料を置いて戻れ』。

 トイレの消毒! と振り返った上杉は、苦いものを感じた。
 デッキに通じるドアの窓から、『消毒済み』を目で合図してきた刑事。
 明らかにハムだ。
 見覚えはない。
 武田が配置した『余計な応援組』だろう。

 北条が戻ってくる。
 デレデレ顔で携帯をイジりながら、上杉の横を通過。
 管野の横で「行って」と小声で囁く。
 デレデレ顔は崩していない。
 元から締まりのない顔だが。

 緊張でガチガチになった管野が、ぎこちない動作で、デッキのトイレに向かう。



 デッキには、いちゃつくカップル。
 イヤホンで音楽を聞いている無愛想顔な若者。
 携帯で話しこむ営業マン風の男。
 四人全員が、捜査員だ。
 ハムもいる。
 
 平日で空席がある電車内。
 デッキに配置できるのは、四人が上限。
 カップルはいちゃつきながら、デッキ全体をビデオ録画。
 無愛想音楽は、非常時の本部との交信役。
 営業マンは、犯人制圧。
 四人全員が『余計な応援組』。
 だが、彼等同士の連携は取れている。

 分かる人間が見れば、分かる。
 四人に隙がないことを。



 管野が、トイレに入る。
 最も落ち着くトイレ。
 人間、そう長時間は緊張を維持できない。
 緊張が緩んだ瞬間、管野の腹も緩む。
 
 管野はスーツケースを放り投げて、急いでベルトを外した。
 
 管野には内密にしてあるが、トイレには小型CCDが設置してある。
 映像は本部に飛ばされ、それを見た捜査員から連絡が入る。
 保存もされる。
 
 下痢と切れ痔。
 犬と猿。
 竜と虎。

(管野! その死闘に勝て! そして無事に出て来い! 抱擁は勘弁だが、握手はしてやる……から、ちゃんと手は洗え!)

 この局面に相応しい、北条のエール。

 死闘を終えた管野が、内股で気まずそうに出てきた。 
 手鏡で後方を見ていた北条が、ブッと噴出す。
 そんな北条に、上杉は怒る気にもなれず、ただただ脱力する。



 本部で絶望のどん底にいる武田に、小寺がひょこひょこと近付く。
 武田の状態など、まるで眼中にないかの如く依頼を始める。

「機捜の片山班長。ハムの薄井君。それと生安の田中君、池田君。四名を今日の本部会議に入れてください。四人に何をしてもらうかは、私から話します」
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