第15話 プチメタボ逃走キター!

文字数 2,126文字

 「あいつ、そんなに腹痛かったのか?」

 「金を下ろしに行った」

 トンチンカン北条に、上杉が青息吐息で答える。

 「あ、そだ。お前、木島のこと全部吐け。お前の(メン)は、俺達に割れた。隠しても無駄だ」
 
 北条の軽口に、直下型地震の如く山本が震え出す。
 唖然とする北条と上杉。

 「お、おい。いくら雪国でも、今日はそんなに寒くねえ」

 「殺される。……まだ死ねないんだ」

 北条が真顔になる。

 山本は、根拠なく怯えていない。
 プチメタボだが、北で訓練を受けた工作員だ。
 具体的に殺される心当たりがある。

 店内に爆発物がないのは、入店した時に確認した。
 陰気マスターに不審な動きがないのも、視野の隅でずっと捉えている。
 下りているブラインドや周囲の建造物との配置上、狙撃も不可能。

 山本は毒殺を警戒して、コーヒーに口をつけていない。

 山本が店の奥に陣取ったのは、背後からの攻撃を防ぎ、店内全てを視野に入れるため。
 ただし、殺される可能性はゼロではない。
 武装した者や集団に突入されれば、蜂の巣にされる。

 (上等、上等)

 北条の体中に、アドレナリンが満ちる。
 そんな北条の前を、小さな山が突風のように通過した。
 プチメタボだが、山本の逃げ足は神風だった。

 (やれやれ。で、上杉は?)

 と見ると案の定だった。

 悠然と座り、コーヒーを堪能している。

 (「さっさと捕まえてこい」ってか、警部補さん?)

 ポケットに手を突っ込んだ北条が、よっこらしょと立ち上がる。

 山本が店外へ走り出る。
 そのまま駆け出そうとして――すぐ後ろに北条がいた。

 北条が山本の尻を軽く蹴飛ばす。
 山本が地面の上を転がる。

 「デカの目の前で逃げ出すなんざあ、お前って度胸あるな」
 
 そう言う北条のすぐ後ろに、いつの間にか上杉が立っていた。
 上杉の射るような視線と北条の圧迫感。
 北の工作員でも、気持ちが折れる。

 「何ビビってんだ? デカが三人もいんだぞ。そりゃあ、一人はキツネ目で柄悪いよ? そりゃあ、一人は皮肉ばっかで何もしねえよ? でも俺がいるじゃねえか。必ず守り通す!」
 
 北条の言葉は、山本の心に響いた。
 その言葉に、修羅場をくぐった者特有の強さと義理人情が溢れていたから。

 明智が手の中の紙幣を数えながら、小走りで向かってくる。

 「おーい、こっちだ!」

 北条が明智に大声で知らせる。

 「な、何しとんや、お前等!? 何があったんや!?」

 次の瞬間、山本がまた駆け出した。

 「え? ちょ、ちょっと待てよ、おい! 人相悪いけど、あいつもデカだ! 待てって!」
 
 一瞬の隙をつかれた北条が、山本に怒鳴る。

 明智が山本を追走し出す。

 「上杉警部補は右の角から先回り! 北条ついてこい!」
 
 そう怒鳴りながら、明智は二人の間を走り抜けようとして――上杉と、派手にぶつかる。
 すぐに体勢を立て直す二人。
 明智の勢いに押されて、北条が後に続く。
 上杉は右の角に入っていった。

 山本は戦闘員ではなく、諜報員だろう。
 筋力と身のこなしは、履歴書より雄弁だ。
 あの体型で疾風の如く走れるのは、偉大なる将軍様の慈悲深き地獄訓練の賜物。

 それでも北条は、捕らえる自信があった。
 北条にとって、ストリートは歩くにあらず。
 ヤンチャ坊主が毎日毎日『ド突き合い』をするために存在する。

 けれど北条は、山本に追いつけない。
 明智の『金魚のフン』状態で追跡しているから。

 この春から福井に赴任した北条には、土地勘がない。
 追跡は挟撃が基本。
 そのために必須の『地の利』がある明智の背中を追うしかない。
 ましてこの界隈は、迷路のようだ。
 
 でも、嬉しかった。
 明智の背中を見ながら、北条は嬉しかった。
 本当に嬉しかった。

 新人警察官の八割が大卒になって久しい。
 不景気の恵みで、良好な人材を苦もなく確保できる。
 彼等は公務員の安定性より、やりがいに魅力を感じて任官する。

 そんな現代警察で、『更正組』への風当たりの強さは加速度的に強くなっている。
 鈍感が服着て歩く北条でさえ、突き刺さる冷たい視線の多さに、激しい怒りと苦痛を感じる。
 それでも、警察にいる。

 同じ更正組の明智が、必死に走っている。
 一心不乱に走っている。

 (怒りで体震わせている更正組は、俺だけじゃねえんだ!)
 
 明智、悪人(ヅラ)で走るの遅いけど、あっぱれ。

 その時、北条はふと違和感を覚えた。 
 前を走る明智はしんどそうだが、北条はこの程度の「ランニング」なら何時間でも走れる。
 明智がバテても、山本が迷宮のような裏道に入り込む前に取り押さえればいい。
 
 何も問題ない。
 けれど、得体の知れない違和感を確かに感じる。

 山本が妙に、この辺りの地理に精通しているから? 

 そこは元工作員。
 待ち伏せや迎撃、撤退の下見は完璧で当たり前。

 (何かよく分かんねえ。ま、いっか。どうせ捕まえるし)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み