第9話 刑事とひまわり、時々ハム
文字数 3,057文字
「おい、どこ行くんや?」
「ん? 面倒くせーから、さっさと終わらせる」
明智の問いにぶっきらぼうに答えてドアを開けた北条に、明智・上杉が猛攻を仕掛ける。
「ハムが|束__たば__#になってかかっても敵わん奴なんや! お前がブン殴ろうが蹴り飛ばそうが、効果ねえって。そもそも、いきなり木島に面 が割れるのはマズイんやのう」
「募金活動の邪魔になる。馬鹿を止める気はない。せめて終わってからにしろ」
しかし二人の制止や罵倒など、どこ吹く風。
北条が、車から降りる。
(この馬鹿……暴走させないように、監視役がいるな)
仕方なく、上杉も続く。
「全くアイツら……諜報の『ち』の字も分かってないんやのう」
毒づきながら、明智も外に出る。
意外なことに、背を向けた北条が明智を待っていた。
「蹴り飛ばすかもしれねえが、ブン殴りはしねえ」
それだけ言って、さっさと北条は木島のもとへ向かう。
意味が分からない明智は理解を放棄し、足を動かす。
三人の刑事達が横一列で、モグラに向かう。
くわえ煙草の北条。
黒目だけを隙なく動かし、周囲の状況を把握する上杉。
あらぬ方向に視線を向けながら、焦点を木島に合わせる明智。
「男同士、ケンカして腹割りゃあ解決する」程度の思惑だった北条。
その甘い考えは、直後に砕かれた。
突然、黄金色の鳥が降り立った……ように見えた。
その正体は、黄色いジャンパー姿の笑顔の女性。
化粧っ気はない。
だが、凛とした気高さを感じる。
加えて強さと優しさも。
彼女は北条の目を直視し、
「娘のカンナのために、どうかご協力お願いいたします」
と深々と腰を折る。
娘ということは……。
目の前の女性は、マル被である木島の妻らしい。
彼女は北条に一枚のチラシを手渡すと、一陣の風のように去っていった。
言葉は標準語だが、耳について離れないその声音は、明智と同じ福井弁だ。
武骨で、耳障りは決してよくない。
だがその武骨さに、誠実さが滲み出る。
温かみがある。
「あれが木島の妻、伸子や」
明智が、北条と上杉に囁く。
北条はチラシに目を落とした。
その文字が事情を説明する。
「私達の娘である『カンナ』は先天性の心疾患で……アメリカで手術を受けるには費用が……余命は……」
公園の集団の中で、小さなひまわりが咲いていた。
そのひまわりは、弾けるような笑顔で周囲を照らしている。
春の太陽のような、温かい笑顔。
あれがチラシに載っている、木島カンナ……。
マル被・木島から滲み出る誠実さ。
その妻・伸子の凛とした姿。
心臓に爆弾を抱える娘・カンナの屈託ない笑顔。
刑事三人は、完全に気勢をそがれた。
誰が言うでもなく、皆が回れ右をする。
「木島自身、心臓は弱いらしいで。そういう家系なんやのう」
「心臓が剛毛じゃねえと、ハムはやってらんねえだろ?」
明智とやり取りしていた北条がふと見ると、上杉もチラシを持っていた。
熱心に読み込んでいる。
北条もチラシに目を落す。
「ひ、ひろ、は、はり……かた……がた?」
「拡張型心筋症、だ」
上杉のパーフェクト・アンサー。
「左心室の壁が薄く広がってしまい、血液をうまく送り出せない。うっ血性心疾患を起こしてしまう可能性が高い。原因不明の難病で、心臓移植が必要だ。だが、日本で移植はできない。よって、アメリカで移植を受けるしかないが、三億円はかかる」
上杉の説明を二パーセントほどしか理解できない。
が、カンナちゃんを救うのに三億円が必要なのは分かった。
「北条。お前、義務教育は修了したんか?」
漢字を読めなかった北条を明智がからかう。
「お、お前こそ、九九言えんのか、あん?」
ヘラヘラ笑う明智に、北条が無力な反撃。
北条自身、七の段から怪しい。
「そう噛みつくなや。お互い、『更正組』なんやからのう」
明智が前を向いたまま放った一言に、凍りつく北条。
明智はそのまま歩いていく。
「どうした? アルファベットを最後まで言えるか確認中か?」
上杉の冷やかしも耳に入らない。
突然、北条の表情が真剣なそれに変わる。
比例して上杉の表情も凄みを帯びる。
「気がついたか?」
「あん?」
「木島の妻である伸子さんの行動だよ」
上杉が言いたいのは、伸子が北条にカンナのチラシを手渡したこと。
「突然現れたからな……。牽制だろ?」
「ご名答」
上杉が言うと、褒めるというより皮肉にしか聞こえない。
「俺達三人が向かった途端、伸子……伸子さんが動いた。伸子さんは知ってんだよ。夫が警察に、徹底的に監視されてんのをな。てか、監視だけでは済まないかもしれねぇことも」
指摘した北条に、上杉がさらに深く問う。
「木島本人ではなく、妻の伸子さんが俺達に接触してきた。その意味を詳細に説明できるか?」
「伸子さんはアレだろ、偵察役と砦役だ。ハムの『急襲』を防ぐためだろう。伸子さんが足止めしている間に、伸子さんより足が速くて体力がある木島が、娘のカンナちゃんを連れて逃げんだろう」
「素晴らしいぞ、北条。しかも『急襲』なんて難しい言葉……ああ、特殊急襲部隊 にいたんだから、分かって当然か」
上杉の鳩尾に蹴りを叩き込みたい衝動と、北条は必死で戦う。
「もう一つ、異常な光景があった。何か分かるか?」
「ああいう団体ってよ、ハムの監視対象だろ? そこに、ハムの木島が堂々といやがった」
「冴えてるな! ご褒美に、後でプリンでも買ってやろうか?」
鳩尾じゃない。
首の骨を折ろう。
木島の娘・カンナを救うための団体はボランティア団体。
同時に、市民団体。
かつて、市民団体の大半が左翼勢力であったり、その隠れ蓑だった。
だが時代とともに、その性質は激変している。
それでも、警察が彼等に臨む体質は変わらない。
「伸子さんの動きは、尋常じゃない早さだった。非常に危険な状況であることは、承知している。それでも、外に打って出た。娘のカンナちゃんのために。カンナちゃんの為なら、命を賭 す覚悟だ」
上杉の発言を、北条は黙って聞いていた。
北条に子どもはいない。
結婚すらしていない。
だが、知的障害を抱える妹がいる。
心身にハンディを抱える身内がいる家族の気持ちが、分かる。
伸子のあの眼差し。
警戒心は感じた。
だがそれ以上に真摯であり、毅然としていた。
父・母・娘……。
父と娘……。
『来月、お前が親になんだよな。世も末だ。で、男の子? 女の子?』
(柴田、女の子だったぜ。母親似だ。ラッキーだな)
しばし感傷にふけった後、北条が生々しい現実に戻ってくる。
「何で負けたハムどもが、十七人も木島を監視してやがんだ。粘着な奴等だ」
吐き捨てて、北条が歩き出す。
上杉は固まってしまった。
様々な出で立ちの老若男女に扮したハムが、木島を監視している。
上杉は、九人まで視認した。
それで全員だと思っていた。
だが改めて集中し、観察すると――その数、十七人。
「ん? 面倒くせーから、さっさと終わらせる」
明智の問いにぶっきらぼうに答えてドアを開けた北条に、明智・上杉が猛攻を仕掛ける。
「ハムが|束__たば__#になってかかっても敵わん奴なんや! お前がブン殴ろうが蹴り飛ばそうが、効果ねえって。そもそも、いきなり木島に
「募金活動の邪魔になる。馬鹿を止める気はない。せめて終わってからにしろ」
しかし二人の制止や罵倒など、どこ吹く風。
北条が、車から降りる。
(この馬鹿……暴走させないように、監視役がいるな)
仕方なく、上杉も続く。
「全くアイツら……諜報の『ち』の字も分かってないんやのう」
毒づきながら、明智も外に出る。
意外なことに、背を向けた北条が明智を待っていた。
「蹴り飛ばすかもしれねえが、ブン殴りはしねえ」
それだけ言って、さっさと北条は木島のもとへ向かう。
意味が分からない明智は理解を放棄し、足を動かす。
三人の刑事達が横一列で、モグラに向かう。
くわえ煙草の北条。
黒目だけを隙なく動かし、周囲の状況を把握する上杉。
あらぬ方向に視線を向けながら、焦点を木島に合わせる明智。
「男同士、ケンカして腹割りゃあ解決する」程度の思惑だった北条。
その甘い考えは、直後に砕かれた。
突然、黄金色の鳥が降り立った……ように見えた。
その正体は、黄色いジャンパー姿の笑顔の女性。
化粧っ気はない。
だが、凛とした気高さを感じる。
加えて強さと優しさも。
彼女は北条の目を直視し、
「娘のカンナのために、どうかご協力お願いいたします」
と深々と腰を折る。
娘ということは……。
目の前の女性は、マル被である木島の妻らしい。
彼女は北条に一枚のチラシを手渡すと、一陣の風のように去っていった。
言葉は標準語だが、耳について離れないその声音は、明智と同じ福井弁だ。
武骨で、耳障りは決してよくない。
だがその武骨さに、誠実さが滲み出る。
温かみがある。
「あれが木島の妻、伸子や」
明智が、北条と上杉に囁く。
北条はチラシに目を落とした。
その文字が事情を説明する。
「私達の娘である『カンナ』は先天性の心疾患で……アメリカで手術を受けるには費用が……余命は……」
公園の集団の中で、小さなひまわりが咲いていた。
そのひまわりは、弾けるような笑顔で周囲を照らしている。
春の太陽のような、温かい笑顔。
あれがチラシに載っている、木島カンナ……。
マル被・木島から滲み出る誠実さ。
その妻・伸子の凛とした姿。
心臓に爆弾を抱える娘・カンナの屈託ない笑顔。
刑事三人は、完全に気勢をそがれた。
誰が言うでもなく、皆が回れ右をする。
「木島自身、心臓は弱いらしいで。そういう家系なんやのう」
「心臓が剛毛じゃねえと、ハムはやってらんねえだろ?」
明智とやり取りしていた北条がふと見ると、上杉もチラシを持っていた。
熱心に読み込んでいる。
北条もチラシに目を落す。
「ひ、ひろ、は、はり……かた……がた?」
「拡張型心筋症、だ」
上杉のパーフェクト・アンサー。
「左心室の壁が薄く広がってしまい、血液をうまく送り出せない。うっ血性心疾患を起こしてしまう可能性が高い。原因不明の難病で、心臓移植が必要だ。だが、日本で移植はできない。よって、アメリカで移植を受けるしかないが、三億円はかかる」
上杉の説明を二パーセントほどしか理解できない。
が、カンナちゃんを救うのに三億円が必要なのは分かった。
「北条。お前、義務教育は修了したんか?」
漢字を読めなかった北条を明智がからかう。
「お、お前こそ、九九言えんのか、あん?」
ヘラヘラ笑う明智に、北条が無力な反撃。
北条自身、七の段から怪しい。
「そう噛みつくなや。お互い、『更正組』なんやからのう」
明智が前を向いたまま放った一言に、凍りつく北条。
明智はそのまま歩いていく。
「どうした? アルファベットを最後まで言えるか確認中か?」
上杉の冷やかしも耳に入らない。
突然、北条の表情が真剣なそれに変わる。
比例して上杉の表情も凄みを帯びる。
「気がついたか?」
「あん?」
「木島の妻である伸子さんの行動だよ」
上杉が言いたいのは、伸子が北条にカンナのチラシを手渡したこと。
「突然現れたからな……。牽制だろ?」
「ご名答」
上杉が言うと、褒めるというより皮肉にしか聞こえない。
「俺達三人が向かった途端、伸子……伸子さんが動いた。伸子さんは知ってんだよ。夫が警察に、徹底的に監視されてんのをな。てか、監視だけでは済まないかもしれねぇことも」
指摘した北条に、上杉がさらに深く問う。
「木島本人ではなく、妻の伸子さんが俺達に接触してきた。その意味を詳細に説明できるか?」
「伸子さんはアレだろ、偵察役と砦役だ。ハムの『急襲』を防ぐためだろう。伸子さんが足止めしている間に、伸子さんより足が速くて体力がある木島が、娘のカンナちゃんを連れて逃げんだろう」
「素晴らしいぞ、北条。しかも『急襲』なんて難しい言葉……ああ、
上杉の鳩尾に蹴りを叩き込みたい衝動と、北条は必死で戦う。
「もう一つ、異常な光景があった。何か分かるか?」
「ああいう団体ってよ、ハムの監視対象だろ? そこに、ハムの木島が堂々といやがった」
「冴えてるな! ご褒美に、後でプリンでも買ってやろうか?」
鳩尾じゃない。
首の骨を折ろう。
木島の娘・カンナを救うための団体はボランティア団体。
同時に、市民団体。
かつて、市民団体の大半が左翼勢力であったり、その隠れ蓑だった。
だが時代とともに、その性質は激変している。
それでも、警察が彼等に臨む体質は変わらない。
「伸子さんの動きは、尋常じゃない早さだった。非常に危険な状況であることは、承知している。それでも、外に打って出た。娘のカンナちゃんのために。カンナちゃんの為なら、命を
上杉の発言を、北条は黙って聞いていた。
北条に子どもはいない。
結婚すらしていない。
だが、知的障害を抱える妹がいる。
心身にハンディを抱える身内がいる家族の気持ちが、分かる。
伸子のあの眼差し。
警戒心は感じた。
だがそれ以上に真摯であり、毅然としていた。
父・母・娘……。
父と娘……。
『来月、お前が親になんだよな。世も末だ。で、男の子? 女の子?』
(柴田、女の子だったぜ。母親似だ。ラッキーだな)
しばし感傷にふけった後、北条が生々しい現実に戻ってくる。
「何で負けたハムどもが、十七人も木島を監視してやがんだ。粘着な奴等だ」
吐き捨てて、北条が歩き出す。
上杉は固まってしまった。
様々な出で立ちの老若男女に扮したハムが、木島を監視している。
上杉は、九人まで視認した。
それで全員だと思っていた。
だが改めて集中し、観察すると――その数、十七人。