第92話 誘拐事件解決のご報告
文字数 3,323文字
鑑識課員が総動員され、菅野家内外の鑑識が行われている。
押し寄せる野次馬には地域課員が、交通整理には交通課員が総出であたっている。
マスコミとの報道協定は、人質が解放された時点で解除となる。
県警と本部が設置された東署は、マスコミの猛攻に落城寸前の有様だった。
静かに落ち着いて話せる場所などなく、上杉は覆面を走らせながら、北条と話すことにした。
町を抜け、林道を覆面は走っていた。
「タイキックだか時計屋の話なら、今は聞く気ねえ。それより、俺の質問に答えろ」
北条がいくつか上杉に問いを投げる。
上杉が、丁寧に答える。
北条への答えは奇しくも、美和がレナに追われている最中に、脳裏に浮かんだものと重なっていた。
上杉の説明中、北条は一言も言葉を挟まなかった。
「分からねえのは、何で身代金授受なんて、回りくどいことすんだ? 娘を誘拐したのは、管野へのプレッシャーだろ。けどよ、管野が作ったSDなんて、それこそ力づくで奪えばいいじゃねえか」
上杉はジッと北条の目を見た。それから答えた。
「フォートが、お前の見えない所で強奪を防いでいた」
「またかよ。今度はフォードアがどうのこうのと。ツードアより使い勝手いいけど。買いモンの時とか……一体いくつ、ワケ分かんねえ連中がいるんだ」
「対立しているのは、二つの組織。帝国とフォート。帝国の実働部隊が、キャノン機関だ。そして俺は、フォートに属している」
それは、上杉の賭けだった。
北条はまだ『試されている』最中だ。
しかも水面下で、帝国とフォートによる、北条争奪戦が繰り広げられている。
北条が帝国側の人間になる可能性は、決してゼロではない。
上杉はもう一つ、カードを切った。
「今回戦ったフォートの中心にいたのは、真田だ。お前達はかつて、SATで同じチームだったな?」
強烈な衝撃と驚愕。
北条が、呆然となる。
毎晩悪夢で見る、あの忌まわしいバス。
そのバスで柴田を刺し殺した藤間を、共に射殺した、真田。
査問委員会の後、真田は行方不明になっていた。
その真田が、自分も知らない奥深い闇の中で、戦っている……。
静かな林道を、静かに覆面が走っていく。
小汚さが隠し味の県警地下食堂は、今日も混み合っていた。
北条が力ずくで確保したテーブルに、上杉とレナが座り、昼食を摂っていた。
三人での昼食は恒例化しているので、気にする者は、誰もいない。
後に『自決誘拐』と呼ばれる事件から、一ヶ月が経った。
あまりに多くの人命が失われ過ぎた。
マスコミは死体の山を築いたこの誘拐を、加熱を超えて灼熱報道した。
誘拐が解決した途端、大阪での暴走組大量殺人もピタリと止まった。
まるで期間限定のような殺戮から、残虐以外のキナ臭さを嗅ぎ取る警官は多数いた。
多数のマル被自決に、本部内での殺人、マル害――菅野の死亡。
北条達三人は、ハムや監察から、徹底した聴取を受けた。
査問委員会を何とか免れたのは、武田の力だけとは考えづらい。
北条が一生拝めない、全国本社や東京本社の最高幹部が動いたのは、まず間違いない。
誘拐をビジネスとする集団が、暴走・仲間割れした結果として、さつき誘拐は処理させられようとしている。
春と同じ。
隠蔽。
「やっぱ夏は、カレーに限るなあ」
Tシャツにハーフパンツ姿の北条が、スプーンを次々に口に運ぶ。
「季節の問題じゃない。単にカレーが好きなだけだろ」
クールビズ姿の上杉は、スマートで清潔感が漂っている。
「あんた、モノ口に入れて喋るのやめや!」
夏用制服姿のレナが、おにぎりを頬張りながら怒る。
ここ数日、やっと三人は落ち着いた時間を過ごせている。
「北条、あんたタクシー強盗は解決したんかっ?」
次のおにぎりをかじりながら、レナが急所をつく。
「……二件増えて、合わせて六件になっちまった」
泣きそうな顔の北条。
スプーンの動きは止まっていないが。
「上杉さん、ちょっと手伝ってあげてな。北条一人じゃ無理や。あ、それと、ウチのことは、レナって呼んでええよ」
「分かった。今後はそう呼ぶ」
レナの会話急カーブに少し慣れてきた上杉。
(これも、川村……レナをはるかに超える理解不能男のお陰で、免疫が多少できたからか。全く、どいつもこいつも)
上杉が内心でごちる。
「タクシー強盗な、遂に物証残しやがった。マル害の一人が、元自衛隊でよ。車内で派手にやったんだ。マル被には逃げられちまったけどよ。お陰さんで、マル被の指紋、皮膚片、唾液、血液、毛髪をゲットだ。おっと、カレーお替りしないと、なくなっちまう」
「ところで、北条。真面目な話がある」
北条アラーム、警報発令。
「一回目の身代金だがな。手榴弾が破裂しても、焼けた紙幣の破片は必ず残る。多かれ少なかれ、必ず残る。ところが一枚もない。どういうことだ?」
北条アラーム、一気にレベル3へ。
「手榴弾っつってもあれだ。色んな種類があっからな。スンゲー、強烈なやつだったんだろう」
苦しいにも程がある言い訳。
鑑識で、爆破力は通常のそれであると、結果が出ている。
「それなら、一回目はそうだと仮定しよう。では二回目は?」
上杉の波状攻撃。
北条警戒アラーム、最高のレベル4。
「それは、あれだっつーの。タイキックだかシャーペン屋だか何だかが、くすねたんだろ。おのれえ、あいつ等めえ」
「あんたが、ネコババしたやろ?」
四面楚歌。
その時、救いの神が降臨した。
胃腸に。
「あ!」
突然叫んだ北条が、腹を押さえなら慌てて駆け出す。
やれやれまたか。
呆れる上杉とレナ。
当時、誰も身代金が入ったスーツケースの鍵穴を確認していない。
誘拐犯からの要求は、「施錠して鍵を中で折る」。
だが北条は折るどころか、施錠自体をしていない。
身代金が目当てではないことを、北条は見抜いた。
トイレで、北条は金を移し変えた。
たすき掛けした、ショルダーバッグに。
菅野は、金入りスーツケースを二度、トイレに置いた。
そして北条は、その後にトイレに入っている。
トイレに設置したCCDの死角は、簡単に作れる。
「上杉さん、何で見逃すの?」
レナが初めて放つ、上杉への痛い質問。
やはりレナも気付いている。
そして上杉が気付いていることも、気付いている。
「川……レナ。その理由は、一枚のチラシを見れば分かる。春に俺と北条、それに明智が受け取ったものだ。いずれ、持ってきて見せる」
「それって……『春のモグラ狩り』に関係あるんやね?」
「そうだ。多くの人々の想いがこもった事情がある」
やっぱ便所は落ち着くなあ。
やっぱ上杉は嫌味だなあ。
やっぱレナは好きだなあ。
トイレで出すものを出し、悦に入る北条。
便所が落ち着く、か。
菅野のオッサンも、そんなこと言ってたな。
トイレに入る度、北条は思い出す。
菅野の仏頂面。
さつきの泣き顔。
そして何より、美和――イ・ヨンヒの目。
あの瞳。
あの目で、何人が狂っただろう。
あの瞳で、一体いくつのものが破壊されただろう。
捜査員達は皆出払っている。
捜一の部屋には今、小寺が一人佇んでいる。
初夏の日差しを避けるためブラインドは下りており、室内は薄暗い。
ズズズッと茶を啜りながら、小寺はまだ悔恨の念を捨て切れずにいた。
もっと早く、ホワートボードの写真に気付いていれば。
いや、写真が貼られた時点で、あの目に気付いていれば。
あの目は、なぜか人を狂わせる。
美和の目。
イ・ヨンヒの瞳。
その双眸が放つ、全てを惑わせる『色』。
初めて見たとき、その色を何と表現していいか分からなかった。
今なら分かる。
あの色は――。
小寺は空のマイ茶碗に、茶を入れに席を立った。
押し寄せる野次馬には地域課員が、交通整理には交通課員が総出であたっている。
マスコミとの報道協定は、人質が解放された時点で解除となる。
県警と本部が設置された東署は、マスコミの猛攻に落城寸前の有様だった。
静かに落ち着いて話せる場所などなく、上杉は覆面を走らせながら、北条と話すことにした。
町を抜け、林道を覆面は走っていた。
「タイキックだか時計屋の話なら、今は聞く気ねえ。それより、俺の質問に答えろ」
北条がいくつか上杉に問いを投げる。
上杉が、丁寧に答える。
北条への答えは奇しくも、美和がレナに追われている最中に、脳裏に浮かんだものと重なっていた。
上杉の説明中、北条は一言も言葉を挟まなかった。
「分からねえのは、何で身代金授受なんて、回りくどいことすんだ? 娘を誘拐したのは、管野へのプレッシャーだろ。けどよ、管野が作ったSDなんて、それこそ力づくで奪えばいいじゃねえか」
上杉はジッと北条の目を見た。それから答えた。
「フォートが、お前の見えない所で強奪を防いでいた」
「またかよ。今度はフォードアがどうのこうのと。ツードアより使い勝手いいけど。買いモンの時とか……一体いくつ、ワケ分かんねえ連中がいるんだ」
「対立しているのは、二つの組織。帝国とフォート。帝国の実働部隊が、キャノン機関だ。そして俺は、フォートに属している」
それは、上杉の賭けだった。
北条はまだ『試されている』最中だ。
しかも水面下で、帝国とフォートによる、北条争奪戦が繰り広げられている。
北条が帝国側の人間になる可能性は、決してゼロではない。
上杉はもう一つ、カードを切った。
「今回戦ったフォートの中心にいたのは、真田だ。お前達はかつて、SATで同じチームだったな?」
強烈な衝撃と驚愕。
北条が、呆然となる。
毎晩悪夢で見る、あの忌まわしいバス。
そのバスで柴田を刺し殺した藤間を、共に射殺した、真田。
査問委員会の後、真田は行方不明になっていた。
その真田が、自分も知らない奥深い闇の中で、戦っている……。
静かな林道を、静かに覆面が走っていく。
小汚さが隠し味の県警地下食堂は、今日も混み合っていた。
北条が力ずくで確保したテーブルに、上杉とレナが座り、昼食を摂っていた。
三人での昼食は恒例化しているので、気にする者は、誰もいない。
後に『自決誘拐』と呼ばれる事件から、一ヶ月が経った。
あまりに多くの人命が失われ過ぎた。
マスコミは死体の山を築いたこの誘拐を、加熱を超えて灼熱報道した。
誘拐が解決した途端、大阪での暴走組大量殺人もピタリと止まった。
まるで期間限定のような殺戮から、残虐以外のキナ臭さを嗅ぎ取る警官は多数いた。
多数のマル被自決に、本部内での殺人、マル害――菅野の死亡。
北条達三人は、ハムや監察から、徹底した聴取を受けた。
査問委員会を何とか免れたのは、武田の力だけとは考えづらい。
北条が一生拝めない、全国本社や東京本社の最高幹部が動いたのは、まず間違いない。
誘拐をビジネスとする集団が、暴走・仲間割れした結果として、さつき誘拐は処理させられようとしている。
春と同じ。
隠蔽。
「やっぱ夏は、カレーに限るなあ」
Tシャツにハーフパンツ姿の北条が、スプーンを次々に口に運ぶ。
「季節の問題じゃない。単にカレーが好きなだけだろ」
クールビズ姿の上杉は、スマートで清潔感が漂っている。
「あんた、モノ口に入れて喋るのやめや!」
夏用制服姿のレナが、おにぎりを頬張りながら怒る。
ここ数日、やっと三人は落ち着いた時間を過ごせている。
「北条、あんたタクシー強盗は解決したんかっ?」
次のおにぎりをかじりながら、レナが急所をつく。
「……二件増えて、合わせて六件になっちまった」
泣きそうな顔の北条。
スプーンの動きは止まっていないが。
「上杉さん、ちょっと手伝ってあげてな。北条一人じゃ無理や。あ、それと、ウチのことは、レナって呼んでええよ」
「分かった。今後はそう呼ぶ」
レナの会話急カーブに少し慣れてきた上杉。
(これも、川村……レナをはるかに超える理解不能男のお陰で、免疫が多少できたからか。全く、どいつもこいつも)
上杉が内心でごちる。
「タクシー強盗な、遂に物証残しやがった。マル害の一人が、元自衛隊でよ。車内で派手にやったんだ。マル被には逃げられちまったけどよ。お陰さんで、マル被の指紋、皮膚片、唾液、血液、毛髪をゲットだ。おっと、カレーお替りしないと、なくなっちまう」
「ところで、北条。真面目な話がある」
北条アラーム、警報発令。
「一回目の身代金だがな。手榴弾が破裂しても、焼けた紙幣の破片は必ず残る。多かれ少なかれ、必ず残る。ところが一枚もない。どういうことだ?」
北条アラーム、一気にレベル3へ。
「手榴弾っつってもあれだ。色んな種類があっからな。スンゲー、強烈なやつだったんだろう」
苦しいにも程がある言い訳。
鑑識で、爆破力は通常のそれであると、結果が出ている。
「それなら、一回目はそうだと仮定しよう。では二回目は?」
上杉の波状攻撃。
北条警戒アラーム、最高のレベル4。
「それは、あれだっつーの。タイキックだかシャーペン屋だか何だかが、くすねたんだろ。おのれえ、あいつ等めえ」
「あんたが、ネコババしたやろ?」
四面楚歌。
その時、救いの神が降臨した。
胃腸に。
「あ!」
突然叫んだ北条が、腹を押さえなら慌てて駆け出す。
やれやれまたか。
呆れる上杉とレナ。
当時、誰も身代金が入ったスーツケースの鍵穴を確認していない。
誘拐犯からの要求は、「施錠して鍵を中で折る」。
だが北条は折るどころか、施錠自体をしていない。
身代金が目当てではないことを、北条は見抜いた。
トイレで、北条は金を移し変えた。
たすき掛けした、ショルダーバッグに。
菅野は、金入りスーツケースを二度、トイレに置いた。
そして北条は、その後にトイレに入っている。
トイレに設置したCCDの死角は、簡単に作れる。
「上杉さん、何で見逃すの?」
レナが初めて放つ、上杉への痛い質問。
やはりレナも気付いている。
そして上杉が気付いていることも、気付いている。
「川……レナ。その理由は、一枚のチラシを見れば分かる。春に俺と北条、それに明智が受け取ったものだ。いずれ、持ってきて見せる」
「それって……『春のモグラ狩り』に関係あるんやね?」
「そうだ。多くの人々の想いがこもった事情がある」
やっぱ便所は落ち着くなあ。
やっぱ上杉は嫌味だなあ。
やっぱレナは好きだなあ。
トイレで出すものを出し、悦に入る北条。
便所が落ち着く、か。
菅野のオッサンも、そんなこと言ってたな。
トイレに入る度、北条は思い出す。
菅野の仏頂面。
さつきの泣き顔。
そして何より、美和――イ・ヨンヒの目。
あの瞳。
あの目で、何人が狂っただろう。
あの瞳で、一体いくつのものが破壊されただろう。
捜査員達は皆出払っている。
捜一の部屋には今、小寺が一人佇んでいる。
初夏の日差しを避けるためブラインドは下りており、室内は薄暗い。
ズズズッと茶を啜りながら、小寺はまだ悔恨の念を捨て切れずにいた。
もっと早く、ホワートボードの写真に気付いていれば。
いや、写真が貼られた時点で、あの目に気付いていれば。
あの目は、なぜか人を狂わせる。
美和の目。
イ・ヨンヒの瞳。
その双眸が放つ、全てを惑わせる『色』。
初めて見たとき、その色を何と表現していいか分からなかった。
今なら分かる。
あの色は――。
小寺は空のマイ茶碗に、茶を入れに席を立った。