第18話 股間って自分で殴っても痛いのな

文字数 2,258文字

 再び股間を殴りつけた北条が、一人で悶絶する。

 婦警の顔つきから険しさが消え、恐怖が浮かぶ。

(変態や! でも、なんか同僚っぽいで? まさかな。有り得へん!)

 「何者なん?」

 婦警が直球を投げる。

 「検討はついてるだろ」

 そう言って、北条が帳面――警察手帳を見せる。

 「北条巡査部長か。ウチは、河村レナ巡査長」

 「レナちゃんだと! 名前すら絶品グルメじゃねえか!」

(あ、相手のペースに乗ったらアカンで! 帳面に捜査一課ってあったやん! 一課の刑事なら、あの手この手で攻めてきよるで!)

「で、帳面が何やの!? 同業者やから見逃す時代はな、昭和で終わりやで! そんなモンより免許見せてや!」
 
 (あ、ヤベ。ますますドキドキ。俺ってM?)

 甘い激流に翻弄されそうだが、踏ん張れた。
 二度の股間打ちが効いたらしい。
 反撃開始。

 「ここで今日、轢き逃げあったのは知ってんだろ? その捜査だ」

 「それがおかしいねん! 見通しはええし、日中はそれなりに他の車が走っとるから、飛ばせへんよ! オービス(自動速度違反取締装置)も、そこら中に設置してあるし」

 北条は考えをまとめようと―――無理だった。

 レナが片手を腰にあて、北条を見据えている。
 好意的な視線ではない。
 だがレナに見詰められると、北条の心臓が肋骨狭しと暴れ狂う。

「グゥウオォワァー! 捜査だー! あの手を使うしかねえ!」

 次の瞬間、隕石落下並みの衝撃がレナを襲う。
 北条が突然、腕立て伏せを始めたから。

 街灯に照らされた一角。
 轢き逃げ現場。
 腕立て伏せする、スカジャンを着た刑事。
 その横で呆然自失の婦警。
 シュール、ここに極まれれり。

 ようやく我にかえったレナが、何とか口を開く。

 「……あんた、何やっとんの?」

 疑問を超えた警戒のレベル。
 まともじゃない、絶対に。
 帳面も本物か確かめないと。

 三十秒で百回の腕立て伏せを終えると、北条は自分が冷静になったことを確認した。
 SAT所属中、自衛隊の空挺レンジャー課程を受けた。
 
 受けて正解だった。
 
 課程中は、息するだけで鬼教官から『腕立て!』と怒鳴られる。
 結果、ウデタテーズ・ハイになる。
 腕立て伏せが、いつしか安定剤となる。

 「……帳面、もう一度見せてくれへん?」

 レナが腰の特殊警棒に手をかける。

 「上司どこ?」

 北条の声音が冷静を取り戻す。
 刑事が幅をきかせるのは、全国共通。
 レナは苛ついたが、北条に俗な差別意識はない。

 『自分は誰よりも有名人だ!』という根拠なき自意識。
 故に、他の警官なら自分を知っていると思っただけ。
 その警官と直に話した方が早い。

 いつもならレナにとろけている。
 とろけて溶けている。
 だが、さすがに山本の事件はこたえた。 

 レナへの変態妄想は、解決した後でいい。

 「上司なんかおらへん。同僚もおらんわ」

 燃える北条に、レナが暗く冷たい水を浴びせる。

 「え? じゃあレナちゃん、こんなトコで何してんだ?」

 「……ネズミや、ネズミ! それと! 次、ちゃん付けで呼んだら、マジ逮捕やで!」

 レナが顔を引き攣らせる。

 「わ、分かった。もう、ちゃん付けしねぇから。……名前、呼び捨てにしたら怒る?」

 顔を真っ赤にして激怒するレナ。
 逆に、北条は意外と冷静。
 
 「ネズミ捕りって、一人でやんねぇだろ? ていうか、一人は禁止だろ?」
 
 この夜、地球に二つ目の隕石が落下した。
 北条の指摘が、的を射ている。

 「しゃあないやろ! ノルマに届かんのや! 大体何や、ノルマってっ!? ネズミは営業か! しかもや! あみだクジで負けてここや! 誰もスピード出せへんって! しかも同僚達は花粉症やら何やらでダウンしまくりやで!? 一人でネズミ捕りなんて有り得へん! よしっ、スッキリした! おおきに。あんた帰ってええよ」

 愚痴マシンガン、最後は慈悲で撃ち尽くし。

 そこで北条は思い出した。

 (あ、そっか。交通部長は点取り屋だ。お飾り本部長も、興味ねえんだろ)

 検挙件数至上主義者―――点数稼ぎの出世至上主義者は、貪欲に数字を欲する。

 さらに、福井県警本部長は国土交通省からの出向組みでお飾り。

 「いや、あのな。レナ……川村巡査長」
 
 北条の方が諭す立場という状況は、人類史上、これが最後だろう。

 「邪魔はしねえ。けど、こっちも捜査が……てか、やっぱここで人身なんか有り得ねえか?」

 「有り得へん」

 念押しに、きっぱり返答するレナ。
 交通を生業(なりわい)とする者からの断言。

 「『やっぱり』ってどういう意味なん?」

 「野郎、轢いた後に一瞬停まりやがった」

 「それはあれや……『あ、やってもうた』って恐くなって逃げたんちゃうか? 典型的やん。その線で、捜一(捜査一課)は動いとるって聞いたで。何であんたは……」

 「特命だ」

 ピシャリと言う北条。
 レナが気圧される。

 「あいつが一瞬止まったのは……確認のためだ。轢き殺せたかどうか、な。デカの前でよ。ナメた真似しやがる」

 言葉にこもる怒気と憤怒に、大気がビリビリと震える。

 目の前に刑事がいる。
 この刑事は……
 変態なのか?
 闘士なのか?
 レナは頭痛を覚えた。
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