護国経典、文化を生む・・・!  ~監修者のひとりごと

文字数 1,074文字

 さて、以前に
〉日本仏教は『法華経』に強く影響されている
と書きましたが、何よりもまず、護国経典である、ということ。

『法華経』を日本国を守るための護国経典とされたのは、比叡山を開かれた最澄さまでした。最澄さまは、日本を平和に治め、災いを退けるために、日本各地に『法華経』を供養する塔を建て、それぞれに一千巻の『法華経』を埋めたのでした。日本の東西南北と、その中央(比叡山西塔)、そして“日本のすべてを安らかに鎮めるため”の近江宝塔院(比叡山東塔)、合計六か所です(六所宝塔といいます)。

また、最澄さまのお弟子の円仁さまは、不治の病を克服するために、一文字書くたびに三回、最高の礼拝をしながら、『法華経』を写経されたそうです。文字数なんと七万字!三年越しの写経を終えて、霊夢により天人から妙薬を賜り、奇跡的に回復されたそうです。(それから中国へ足かけ九年も旅され、日本仏教の発展に大貢献されました!)そして病で隠棲していた比叡山の奥地に、自筆の『法華経』を納めた宝塔(根本如法塔といいます)を建て、そこが「横川」として発展してゆくのです!(比叡山上の三つの地区を「三塔」と呼ぶ、理由がおわかりいただけたでしょうか?)

この『法華経』による国家の護持、という考え方は、日蓮聖人へと受け継がれてゆき、現在進行形で活力のある信仰やその他もろもろが展開されています。


『法華経』は日本の文化へも大きな影響を与えました。信仰としての写経の頂点は、疑いなく前述の円仁さまによる「如法写経」ですが(貴族たちもこれにならった「如法写経会(にょほうしゃきょうえ)」を派手におこなっております)、美術・工芸品としての写経作品の精華といえば、やはり平家一門による『法華経』写経でしょう。


また、忘れてならないのは、江戸時代のマルチ・アート・ディレクター、本阿弥光悦とその仲間たち、および光悦リスペクトの後輩たち(つまり琳派)、でしょう。
今の私たちが、「これぞ日本の芸術!」と世界に誇れるような、琳派のすばらしい作品群。これらの根底には、
「この世を浄土に変えてやろう!」という、法華信者である町衆たちの心意気が息づいているのです!

どうですか?日本に『法華経』が与えた影響って、大きいでしょ?

・・・でも、やっぱり、あの「法華経こそ正しい教え!正しいからこそ迫害される!」ってのは、ちょっとつらいかなあ…。


さて、次回から『華厳経』です!壮大なお釈迦さまの覚りの境地を、これでもか!これでもか!と書き連ねた長大な経典です。その一端をご紹介…♪
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