日想観について、すごいと思うこと。  ~監修者のひとりごと

文字数 745文字

ちょっと、タイミングがずれてしまってますが、
〈日想観〉に関しまして
「これだけは言っておかなくっちゃ!」
ということがあるのです。

夕日をじっと見る修行なんですけど、
じっと見た夕日を、目を閉じても再現できるように、と言うことは

ありありとまぶたの裏に想い出せるように、想い描けるように

ということですよね。


その続きに、

「目を開いても」その夕日をはっきりと思い浮かべる

とあるんです。


順番が逆なんじゃない?
あれ?また話が戻った?

いえいえ。
この、極めてアッサリした表現のなかに、実はとっても深い瞑想の奥義が隠されているのです。
(と、個人的に深読みしているのです。)

つまりですね、まずはリアルに夕日を見る。
それを克明に見る、というのは、映像だけじゃなく、
夕日を見た時に心の内に湧き起こってくる感覚・感情までも、
明瞭に感じ取る、ということ。

目を閉じてもありありと夕日を見る、とは、
ですからそのような感覚まで含めて再現出来るように、ということ。

そして、です。
再び「目を開く」とは、

夕日のないところでも、
つまり、いつでも、どこでも、
夕日を見た時の感情・感覚を保持し続ける、ということ・・・。


皆さん、夕日をありありと見つめたことがありますか?

・・・昔、見たっけなあ。

いや、最近見ましたか?

見ていなければ、是非、明日、明後日でも見てみてください!

きっと、
今想像している夕日とは違ったイメージが
多かれ少なかれ見つかるのではないか、と思います!


夕日に貫かれた感覚をはっきりと保持し続けること。
これこそが、〈極楽を見る〉ための第一歩であり、
〈“極楽へ往生することを願う”念仏の行者〉たる第一歩だと思うのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み