病気のお見舞い

文字数 1,989文字

美しいヴァイシャーリーの町に、ヴィマラキールティ(維摩詰)という在家の仏教徒(居士)が住んでいた。
 あるとき、彼は方便(人々を仏の覚りへと近づけて救うための巧みな方法)で病気になってみた。
そして、
 -わたしが病の床に就いているのに、慈悲深い仏陀が、弟子たちを見舞いによこさないことがあろうか。
 と、思った。
 ヴィマラキールティの心の中を察した仏陀は、
「見舞いに行ってきてくれませんか」
 と、弟子たちに言った。
 ところが、弟子たちは見舞いに行くのを次々に断るのだった。みんな、仏道修行に関しての問答でヴィマラキールティにやりこめられた苦い思い出があるので、見舞いに行くのが嫌なのだった。
そこで仏陀は文殊菩薩に訊いた。
「では、君が見舞いに行ってくれませんか」
「いや、ヴィマラキールティさんは、どうも難しい人なんですよ。ものの本質をよく洞察しておりまして、おまけに弁舌が巧みなんです。知恵が深く、菩薩の行ないをあますところなく修めており、如来の神秘の教えにもことごとく精通しています。悪魔たちを打ち破り、神通力をもって遊戯(自由自在に仏の境地に遊ぶこと)していて、知恵も方便もたいしたものなんですよ。
 まあ、でも世尊がおっしゃるのですから、見舞いに行ってみましょう」
 文殊がそう答えると、そこにいた菩薩たちや声聞たちや帝釈天や梵天はみんな、
 -これは、おもしろい。文殊とヴィマラキールティの対談なら、きっとすごいことが語られるにちがいない。
 と、喜んだ。
 -是非お供して聞きに行かなくっちゃ!
 こうして菩薩(仏を目指す修行者)八千人、声聞(僧形の仏弟子)五百人、それに帝釈天(神々の王)、梵天(世界を創った神)、その他の神々、天人たちが、文殊のあとについて、ヴァイシャーリーに向かったのだった。

 この様子を不思議な心の目で見つけたヴィマラキールティは、 
 -おや、文殊さんが大勢の者たちと一緒にやってくるな。よし、それなら、わたしの部屋をからっぽにしておかなくては。
 と、思い、ベッドから起き上がることなくその通りにしたのだった。
 ヴィマラキールティが神通力で部屋をからっぽにしたので、調度品も召し使いたちも消えてなくなり、ベッドにヴィマラキールティが寝ているだけになった。
 文殊たち一行がヴィマラキールティの家に着いて中に入ると、からっぽだった。家具もないし、番人もいない。ヴィマラキールティがただひとり、ベッドに伏している。
「やあ、文殊さん、いらっしゃいませ。あなたは来ることなく来て、会うことなく会うんですね」
 と、ヴィマラキールティは挨拶した。
「ヴィマラキールティさん、そのとおり。すでに来ておりますので、さらには来ません。すでに去っておりますので、さらには去りません。もうお会いしておりますので、さらにはお会いできませんね。
 まあ、それはそれとして、維摩さん、病気の具合はいかがです?世尊が心配なさっていますよ。あなたの病気の原因は何ですか?病気になってから、どれくらい経ちますか?その病気は治りそうですか?」
「痴(おろかさ)から愛(とらわれ)が起こるので、私は病気になったんです。全ての生き物が病んでいるから、私は病気になっているのですよ。全ての生き物の病が癒えれば、私の病気も治ります。それはなぜかといいますとですねえ、菩薩は衆生(全ての生き物)のために生き死にしているからです。生き死にがあれば、病気もありますよ。衆生が病まなくなったら、菩薩も病気になりません。
 たとえば、ある人に一人の子がいるとしましょう。その子が病気になると、父母も病みます。その子の病気が治れば、父母も癒えます。菩薩も、これと同じなんです。わが子のように、衆生を愛しているんです。衆生が病気になれば、菩薩も病みます。衆生の病気が治れば、菩薩も癒えるんです」
「なるほど。それで、病気の原因は?」
「大悲(大いなる同情心)ゆえの病です」

「ところで、ヴィマラキールティさん、なぜこの部屋はからっぽで、召し使いもいないのですか」
「仏の国土だって、みな〈空〉ですよ」
「どうして、〈空〉なんですか」
「〈空っぽ〉をもって〈空〉です」
「なぜ、〈空〉は〈空っぽ〉なんですか」
「分けへだてなく〈空っぽ〉だから〈空〉なんです」
「〈空〉を分別することはできますか?」
「分別も〈空〉です(あれこれと考えるものではありません)」
「ではヴィマラキールティさん、〈空〉をどこに求めたらいいのでしょう」
「六十二種の邪見(ありとあらゆる人々の物の見方)のなかに求めなさるがよい」
「六十二種の邪見は、どこに求められますか」
「如来の解脱(さとり)のなかです」
「如来の解脱を、どこに求めるべきなんでしょう」
「衆生の心の働きのなかに求めなされませ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み