「婆羅門」より

文字数 1,462文字

25「婆羅門」より(上)

〈婆羅門〉よ、勇敢に〈愛執の流れ〉を断ち切れ。〈もろもろの欲望〉より去るがよい。
「どのようなものも、すべては滅びる」と知って、〈作られざるもの=涅槃〉を知る者となれ。
(註…「古代インドにおけるバラモン教の最高位の祭祀者としての〈バラモン〉」以上に、
“真理に目覚めて俗世を断ち切った理想的人格”として「婆羅門」は考えられている。)


〈婆羅門〉が
“心をまったく静め切り(止)”
“あらゆる事象を透徹して見渡しその真相を知ること(観)”によって
やがて〈彼岸=涅槃〉に達したなら
彼こそは〈真理を知る者〉であり、すべての束縛は消え去るであろう。


“彼岸(あちらがわ)”もなく、“此岸(こちらがわ)”もなく、“あちらとこちらを行き来すること”もなく
あらゆる恐れもなく、いかなる束縛もない人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


“悪を取り除く(バーヒタパーパ)”から“婆羅門(ブラーフマナ)”という。
“おこないが静かで安らかである(サマチャリャー)”から“沙門(サマナ)”という。
“自らの汚れを除く(パパージャヤム)”から“出家(パッバジタ)”という。
(註…これは“音がよく似ている”と言った、一種の言葉遊びである。
このなかで、最後の〈出家〉だけが語源的にも関連がある。)


〈婆羅門〉を叩いてはいけない。そして〈婆羅門〉は叩かれても、怒ってはいけない。
“〈婆羅門〉を叩く者”には災いがある。しかし“叩かれて怒る者”には、もっと大きな災いがある。


〈婆羅門〉が“自らの愛執するもの”から遠ざかろうとすることは、〈婆羅門〉として少なからず素晴らしいことである。
“餓え乾きによる心の痛み”がなくなるにつれて、苦悩は静まってゆく。


すべての束縛を断ち切り、恐れることなく
執着を乗り越えて、すべてから解き放たれた人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


罪がないのに罵られ、殴られ
幾重にもがんじがらめに縛られたとしても
怒りを耐え、辱めを忍ぶ力のある、心猛き人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。





26「婆羅門」より (下)

敵意ある者たちのなかにあって敵意なく
乱暴な者たちのなかにあって心穏やかで
執着する者たちのなかにあって執着なき人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


執着することなく
悟り終わって
疑いや迷いもなく
不死の深みに至った人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


この世の幸いと災いのどちらにも執着することなく
憂いもなく、貪らず、清らかである人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


この世の欲望を断ち
出家して定まるところなく遊行し
欲望の生活の尽きた人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


人間の持つ〈欲望の絆〉を捨て
神々の持つ〈神通力の絆〉も超え
ありとあらゆる絆を離れた人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


〈神々〉にも
〈次の生を待つ死者たち〉にも
〈この世に生きる者たち〉にも
その行く先を知ることの出来ない人、煩悩の汚れを滅してしまった聖者――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。


〈過去〉にも〈未来〉にも〈現在〉にも
一つの物をも所有せず
無一物で
どのような物にも執着することのない人――
彼を私は婆羅門と呼ぶ。


〈過去世のすべての生涯〉を知り
〈神々の世界と地獄の底〉までをも見て
〈生の終滅=輪廻の終焉〉へと至って、最上の智慧に達した聖者
なすべきことをすべてなしおえた人――
彼を私は〈婆羅門〉と呼ぶ。

(了)
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