最初の説法

文字数 2,454文字

「比丘(修行者)たちよ、出家した者は〈二つの極端な行き方〉を避けなくてはならない。〈二つの極端な行き方〉とは何かというと、一つは〈欲楽にふけること〉である。これは低く卑しく、〈聖なる道の人〉にはふさわしくない。二つは〈自らを苦しめるための行〉である。これは神霊とのつながりを拒むことになり、いつまでも〈修行の目的(さとり)〉にたどり着くことはできない。
〈如来(真理にたどり着いた者)〉は、この両極端に偏らないようにして、〈中道(二つの間を行く修行の道)〉を悟ったのだ。
〈中道〉こそが“眼を開き、認識を生み、心を静め、智慧をもたらし、悟りを開かせ、涅槃(真の安らぎ)にいたらせる”道である。
 
 比丘たちよ、如来が悟った〈中道(偏らない修行の道)〉、すなわち“眼を開き、平安と智慧と開悟と涅槃にいたらせる道”とは何かというと、それは〈八正道〉である。
(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく物事を見ること(正見)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく物事を考えること(正思惟)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく語ること(正語)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しくふるまうこと(正業)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しい目標を持って生活すること(正命)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく努力すること(正精進)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく信念・知見を持つこと(正念)、(欲に溺れず、自責にもかられないで)正しく心を静めて瞑想すること(正定)である。
〈如来〉が悟った、この〈中道(偏らない修行の道)〉こそが“眼を開き、認識を生み、心を静め、智慧をもたらし、悟りを開かせ、涅槃(真の安らぎ)にいたらせる”道なのだ。

〈(如来の目にあきらかな、世間に満ちている)苦しみ〉という真理がある。“生まれるときの苦しみ・恐れ・苦痛”“老いるときの苦しみ・恐れ・苦痛”“病むときの苦しみ・恐れ・苦痛”“死ぬときの苦しみ・恐れ・苦痛”である。また、“嫌な人に会うときの苦しみ・恐れ・苦痛”“好きな人と別れるときの苦しみ・恐れ・苦痛”“欲しいものが得られないときの苦しみ・恐れ・苦痛”である。つまりは、〈肉体や、刺激や、経験や、好き嫌いや、知識〉がさかんに煩悩を生みだすことが、〈(如来の目にあきらかな、世間に満ちている)苦しみ〉なのだ。
〈(如来の目にあきらかな、世間に満ちている)苦しみをかき集めるもの〉という真理がある。これこそが〈生き死にのくりかえし(輪廻転生)〉をもたらすのだ。すなわち、〈悦楽を貪欲に求めようとする、“渇愛(渇きをいやそうと欲しがること)”というとらわれ〉である。“渇愛”によって、愛欲を満たそうと躍起になり、“自分が存在するということ”に深く執着し、“自分の死を恐れること”に深く執着するのである。
〈(如来の目にあきらかな、世間に満ちている)苦しみの連鎖を止めること〉という真理がある。この“渇愛”から離れて、“渇愛”の働きを止め、消滅させることである。“渇愛”を捨て去り、放棄すること。苦しみを解いて脱け出すこと、執着から脱け出すことである。
〈(如来の目にあきらかな、世間に満ちている)苦しみの連鎖を滅ぼし尽くすことに到る道〉という真理がある。これこそが、八正道である。すなわち“正しく物事を見ること(正見)、正しく物事を考えること(正思惟)、正しく語ること(正語)、正しくふるまうこと(正業)、正しい目標を持って生活すること(正命)、正しく努力すること(正精進)、正しく信念・知見を持つこと(正念)、正しく心を静めて瞑想すること(正定)”なのだ。

 私はこの〈四つの聖なる真理〉を“ありありと知り、身に付けようとして、心の底から身に付けること”ができなかったうちは、「輝く神々、力ある悪魔、崇高な梵天(創造主)、清らかな沙門、伝統を守る婆羅門(バラモン教の僧)、様々な精霊たち、そして人間――あらゆる生き物のなかで、この上もない最高の悟りを開いた」とは言うことができなかった。だが、この〈四つの聖なる真理〉を“ありありと知り、身に付けようとして、心の底から身に付けること”ができたので、私は「輝く神々、力ある悪魔、崇高な梵天、清らかな沙門、伝統を守る婆羅門、様々な精霊たち、そして人間――あらゆる生き物のなかで、この上もない最高の悟りを開いた」と宣言したのだ。そして、つぎのようにはっきりと知り得た。“私の心は解脱して、決して揺らぐことはない。これが私の最後の生存である。再び輪廻の中に生まれて来ることはない”と」

 仏陀は、かつて共に苦行に励んだ五人の比丘たちにこのように説いた。五人は歓喜し、仏陀の教えを受け入れた。そして仏陀の言葉を聞いて、五比丘の長である尊者コーンダニャは〈汚れのない清浄なダルマ(真理)を見る目〉を開いた。彼は“すべて生まれたものは、やがてすべて滅びる運命を持つ”と、あきらかに知ったのである。

 仏陀が〈あらゆる煩悩を打ち砕く完全なる真理(法)〉を、“無敵なる戦闘馬車の車輪のごとく”回転させたとき、地の神々は歓声を上げた。その声を聞いて、四王天の神々も歓声を上げた。その声を聞いて、三十三天の神々も歓声を上げた。そうして次々と、夜摩天の神々、兜率天の神々、化楽天の神々、他化自在天の神々、梵衆天の神々も歓声を上げたのだった。それから、口をそろえて仏陀の偉業を誉め讃えるのだった。
「世尊は、ベナレスの“仙人たちの住む処・鹿野苑”において、初めて〈無上の法輪〉を転じられた!沙門も婆羅門も、神であっても悪魔であっても、梵天さえも――この世のだれにも、この〈法の車輪〉を止めて逆に回転させることはできない!」と。
 この歓喜の声々は、かの梵天の世界にまで届いたのだった。また〈千の十倍の世界〉はすべて動き、震い、揺れた。あらゆる神々の威力をも凌ぐ、無量の光明が世界に現われたのだった。 (了)
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