「愛というとらわれ」より
文字数 2,523文字
16「愛というとらわれ」より
愛というとらわれから憂いが生じ、愛というとらわれから恐れが生じる。
愛というとらわれを離れたならば、憂いは存在しない。
(愛する者と離れることを)どうして恐ることがあろうか?
“長い旅に出ていた人”が遠くから帰ってくると、親族や友人たちはかれの帰りを祝う。
同じ様に、善い行いをして、この世からのちの世におもむいた人を、〈善い業〉が迎え入れる。
あたかも“親族が愛する者の帰りを迎え入れる”ように。
*
17「怒り」より
〈怒り〉を捨てよ。〈高慢さ〉を離れよ。
“あらゆる束縛”に打ち勝つがよい。
〈名と姿(それぞれの存在の区別)〉に振り回されることなく、“なにも所有しない者”となったならば、
もはや〈苦悩〉に追い回されることはない。
〈決して怒らないこと〉によって、〈怒り〉に打ち勝つがよい。
〈善いおこない〉によって、〈悪いおこない〉に打ち勝つがよい。
〈分かち与える心〉によって、〈物惜しみする心〉に打ち勝つがよい。
〈真実のことばを話すこと〉によって、〈虚言を語る者〉に打ち勝つがよい。
〈真実を語る〉。
〈怒らない〉。
〈求めに応じて、乏しいなかからでも分かち与える〉。
――この三つによって、(死後は天の)神々のところにいたるだろう。
生きものを傷つけることなく、
自らの全存在をよく制御し続ける聖者は、
不死の領域へとたどり着く。
そこへと至れば、もはや憂えることはない。
行ないを慎み、言葉を慎み、思いを慎む。
思慮深い者は、よく自らを守っている。
*
18「世の汚れ」より
(あなたは、やがて死王の支配下に入ろうとしている。)
だからこそ、自分の拠りどころを築き上げなければならない。
今すぐに努力を始めなければならない。賢明でなければならない。
汚れを払い、罪を離れて、天の聖地へと至るがよい。
鉄から生じた錆は、鉄から出たものなのに、鉄そのものを損なう。
それと同じように、悪をなしたならば
自分の〈業(行為)〉がその罪人自身を“悪い所(地獄)”へと導いてゆく。
恥じを知らず、烏のように厚かましく、礼儀をわきまえず
悪いことは人のせいにして、自分勝手で、心の汚れた人は
この世で生きて行きやすい。
恥を知り、常に清らかであろうとし、執着をはなれ
謙虚で無垢に暮らそうとする人は
この世を生きて行きにくい。
生きものを殺し、嘘をつき
自分に与えられていないものを盗み
不義を犯し、酒に溺れる人は
この世での自分の根元を掘り崩している。
〈情欲〉ほどの“激しい火”はほかにない。
〈怒り〉よりもひどい“不運のサイコロ”はほかにない。
〈おろかな思い込み(迷妄)〉よりも“巧みにからめとる網”はほかにない。
〈間違ったことへの執着(妄執)〉よりも恐ろしい“飲み込み押し流す大河”はほかにない。
“他人の過ち”は目につきやすいが、“自分の過ち”は目につきにくい。
他人をうっすらと汚している“埃”は、たとえわずかでも叩きだそうとするが
“自分の過ち”については、上手に隠そうとする。
――ずる賢い賭博師が不利な賽の目を隠してしまうように。
他人の過失を探し求めて、常に怒っている人は
“煩悩の汚れ”が増してゆく。
その人は、〈“煩悩の汚れの消滅”=解脱〉から遠く離れている。
“虚空には足跡が残せない(修行の成果を実感出来ない)”などと思って
外面的な生活ばかり気にしているのは
〈道の人(修行者)〉ではない。
人々は“道ならぬ汚れ”を楽しんでいるが
〈道を歩みきった修行者たち〉は、“道ならぬ汚れ”を楽しみなどしない。
“虚空には足跡が残せない(修行の成果を実感出来ない)”などと思って
外面的な生活ばかり気にしているのは
〈道の人(修行者)〉ではない。
“作られて存在するものに、永遠であるものなどありえない。”
この真理を体得した修行者たちは、もはや動揺することがない。
*
19「道を歩む人」より
多くのことを説くからと言って、〈賢者〉なのではない。
“心穏やか”で、“恨みを結ぶことなく”、“恐れに支配されることのない者”
――彼こそが〈賢者〉と呼ばれる。
*
20「道」より
さまざまな〈道〉のなかで
最も優れているのが
〈八つからなる正しい道(八正道)〉である。
【1まっすぐに見つめ、2片寄らずに考え、3透き通った言葉で語り、
4清らかに行い、5純粋な使命を抱き、6正しい努力をして、
7力ある想念を養って、8完全な精神統一(瞑想状態)を得ること。】
さまざまな〈真理〉のなかで
最も優れているのが
〈4つの明らかな真理(四諦)〉である。
【1“この世は〈苦しみ〉によって成り立っている”と明らかに見つめ
2“〈苦しみ〉は〈執着やとらわれなどの煩悩〉から起こっている”と明らかに知り
3“〈執着〉を断つことによって〈苦しみ〉から解放され、〈安らかな覚りの境地〉へと到達する”と明らかに理解して
4“その覚りを実現するためには、〈8つからなる正しい道〉を修行すべきである”と明らかに知って実践すること】
さまざまな〈徳〉のなかで
最も優れているのが
〈情欲から離れること〉である。
〈二本の足で立ち上がる者(=人間)〉のなかで
最も優れているのが
〈真実の目のある者(=仏)〉である。
あなたたちがこの〈道〉を進むならば
〈苦しみの終わり〉にいたる。
私は〈煩悩の棘の矢〉を抜くことが出来たので
あなたたちにこの〈道〉を説くのだ。
「形作られたものすべては〈無常〉である」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。
「形作られたものすべては〈苦しみ〉である」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。
「すべての存在は、〈それそのもの〉というものを持たない」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。
愛というとらわれから憂いが生じ、愛というとらわれから恐れが生じる。
愛というとらわれを離れたならば、憂いは存在しない。
(愛する者と離れることを)どうして恐ることがあろうか?
“長い旅に出ていた人”が遠くから帰ってくると、親族や友人たちはかれの帰りを祝う。
同じ様に、善い行いをして、この世からのちの世におもむいた人を、〈善い業〉が迎え入れる。
あたかも“親族が愛する者の帰りを迎え入れる”ように。
*
17「怒り」より
〈怒り〉を捨てよ。〈高慢さ〉を離れよ。
“あらゆる束縛”に打ち勝つがよい。
〈名と姿(それぞれの存在の区別)〉に振り回されることなく、“なにも所有しない者”となったならば、
もはや〈苦悩〉に追い回されることはない。
〈決して怒らないこと〉によって、〈怒り〉に打ち勝つがよい。
〈善いおこない〉によって、〈悪いおこない〉に打ち勝つがよい。
〈分かち与える心〉によって、〈物惜しみする心〉に打ち勝つがよい。
〈真実のことばを話すこと〉によって、〈虚言を語る者〉に打ち勝つがよい。
〈真実を語る〉。
〈怒らない〉。
〈求めに応じて、乏しいなかからでも分かち与える〉。
――この三つによって、(死後は天の)神々のところにいたるだろう。
生きものを傷つけることなく、
自らの全存在をよく制御し続ける聖者は、
不死の領域へとたどり着く。
そこへと至れば、もはや憂えることはない。
行ないを慎み、言葉を慎み、思いを慎む。
思慮深い者は、よく自らを守っている。
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18「世の汚れ」より
(あなたは、やがて死王の支配下に入ろうとしている。)
だからこそ、自分の拠りどころを築き上げなければならない。
今すぐに努力を始めなければならない。賢明でなければならない。
汚れを払い、罪を離れて、天の聖地へと至るがよい。
鉄から生じた錆は、鉄から出たものなのに、鉄そのものを損なう。
それと同じように、悪をなしたならば
自分の〈業(行為)〉がその罪人自身を“悪い所(地獄)”へと導いてゆく。
恥じを知らず、烏のように厚かましく、礼儀をわきまえず
悪いことは人のせいにして、自分勝手で、心の汚れた人は
この世で生きて行きやすい。
恥を知り、常に清らかであろうとし、執着をはなれ
謙虚で無垢に暮らそうとする人は
この世を生きて行きにくい。
生きものを殺し、嘘をつき
自分に与えられていないものを盗み
不義を犯し、酒に溺れる人は
この世での自分の根元を掘り崩している。
〈情欲〉ほどの“激しい火”はほかにない。
〈怒り〉よりもひどい“不運のサイコロ”はほかにない。
〈おろかな思い込み(迷妄)〉よりも“巧みにからめとる網”はほかにない。
〈間違ったことへの執着(妄執)〉よりも恐ろしい“飲み込み押し流す大河”はほかにない。
“他人の過ち”は目につきやすいが、“自分の過ち”は目につきにくい。
他人をうっすらと汚している“埃”は、たとえわずかでも叩きだそうとするが
“自分の過ち”については、上手に隠そうとする。
――ずる賢い賭博師が不利な賽の目を隠してしまうように。
他人の過失を探し求めて、常に怒っている人は
“煩悩の汚れ”が増してゆく。
その人は、〈“煩悩の汚れの消滅”=解脱〉から遠く離れている。
“虚空には足跡が残せない(修行の成果を実感出来ない)”などと思って
外面的な生活ばかり気にしているのは
〈道の人(修行者)〉ではない。
人々は“道ならぬ汚れ”を楽しんでいるが
〈道を歩みきった修行者たち〉は、“道ならぬ汚れ”を楽しみなどしない。
“虚空には足跡が残せない(修行の成果を実感出来ない)”などと思って
外面的な生活ばかり気にしているのは
〈道の人(修行者)〉ではない。
“作られて存在するものに、永遠であるものなどありえない。”
この真理を体得した修行者たちは、もはや動揺することがない。
*
19「道を歩む人」より
多くのことを説くからと言って、〈賢者〉なのではない。
“心穏やか”で、“恨みを結ぶことなく”、“恐れに支配されることのない者”
――彼こそが〈賢者〉と呼ばれる。
*
20「道」より
さまざまな〈道〉のなかで
最も優れているのが
〈八つからなる正しい道(八正道)〉である。
【1まっすぐに見つめ、2片寄らずに考え、3透き通った言葉で語り、
4清らかに行い、5純粋な使命を抱き、6正しい努力をして、
7力ある想念を養って、8完全な精神統一(瞑想状態)を得ること。】
さまざまな〈真理〉のなかで
最も優れているのが
〈4つの明らかな真理(四諦)〉である。
【1“この世は〈苦しみ〉によって成り立っている”と明らかに見つめ
2“〈苦しみ〉は〈執着やとらわれなどの煩悩〉から起こっている”と明らかに知り
3“〈執着〉を断つことによって〈苦しみ〉から解放され、〈安らかな覚りの境地〉へと到達する”と明らかに理解して
4“その覚りを実現するためには、〈8つからなる正しい道〉を修行すべきである”と明らかに知って実践すること】
さまざまな〈徳〉のなかで
最も優れているのが
〈情欲から離れること〉である。
〈二本の足で立ち上がる者(=人間)〉のなかで
最も優れているのが
〈真実の目のある者(=仏)〉である。
あなたたちがこの〈道〉を進むならば
〈苦しみの終わり〉にいたる。
私は〈煩悩の棘の矢〉を抜くことが出来たので
あなたたちにこの〈道〉を説くのだ。
「形作られたものすべては〈無常〉である」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。
「形作られたものすべては〈苦しみ〉である」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。
「すべての存在は、〈それそのもの〉というものを持たない」と〈明らかな智慧〉で見る時
人は〈苦しみ〉から離れる。
これこそが〈清らかさにいたる道〉である。