「賢者」より

文字数 1,829文字

6「賢者」より

運河を作る人は水を導くことを考え、矢を作る人は曲がった矢を矯めて真っ直ぐにし、大工は木を良い木材へと整える。
同様に、賢者は自己を導き、真っ直ぐにして整えるのだ。


岩が風に揺るがないように、賢者は非難と称賛に動じない。


深い湖が静かに澄んでいるように、賢者は真理を聞き取って心を澄ませる。


高められた人は、どのような場面にも執着することはない。快楽を求めて何かをしようとはしない。
楽しみに会っても、苦しみに会っても、心が高ぶったり、沈み込んだりすることはない。


人々は多いが、彼岸にいたる人は少ない。多くの人々は“生まれ変わり死に変わりを繰り返す此岸”をさまよう。
正しく真理が説かれた時に、その真理に従う人々は“越えがたい死の領地”を越えて、彼岸へといたるのだ。


賢者たる者は、欲の楽しみを捨て、“なにも所有しない者”となり、心の汚れを取り去って、自分自身を清めよ。


悟りの勝れた特徴を心に正しく修め、執着せずに喜んで貪り心を捨て、
全ての煩悩を討ち滅ぼして輝く人は、この世において平安に解放されている。





7「敬われる人」より

人の世の旅路を終えて憂いをはなれ、あらゆるところに安らぎを見いだし、あらゆる束縛を断ち切った人には、悩みというものはない。


“この世の財”を蓄えることなく、“食物”というものの本性を見極めて、
“財・食”共に〈空(くう・本性のないこと)〉であり〈無相(むそう・定まった姿のないこと)〉であると理解する人の境地は、
凡人には計り知れない。
彼の足跡は、空を飛ぶ鳥の跡のように、見出しがたい。


御者が馬をよく馴らして調教し、仕立て上げるように、
(己の)感覚器官を静め、高ぶった想いを捨てて、すっかり(煩悩の)汚れを捨て去ってしまった人――
このような人を、神々でさえも羨む。


大地のごとくすべてを受け止めて耐え続け、閉じた門のように慎み深く、底知れぬ湖のように汚れた泥などない。
――このような境地にある人には、もはや生死の輪廻はない。


正しい智慧によって解き放たれ、安息にいたった人-その人は心静かであり、言葉も静かであり、行ないも静かである。


なにかを信仰するのではなく、ただ永遠不滅なる“作られざるもの(涅槃)”を知って、
輪廻の輪を断ち切り、何事をおこなうにも、欲望というものを吐き捨てた人――
このような人こそ、真実に最上の人である。


人のいない何もない林は楽しい。世間の人々が楽しめないところで、貪り心のない人々は楽しむのだ。
彼らは快楽を求めることもなく、また世間の人々に煩わされることもないからである。





8「千よりも、百よりも」より

愚かさに迷い、心乱れている人が百年生きるよりも、
智慧があって思いの静かな人が一日生きる方がすぐれている。


生まれ滅びゆくことわりを理解しないで百年生きるよりも、
生まれ滅びゆくことわりを理解して一日生きるほうがよい。


不死の道(悟りの境地)を見ないで百年生きるよりも、
不死の道を見て一日生きるほうがよい。





9「悪を見つめる」より

悪事の報いがまだ熟さないあいだは、悪人も幸福を味わうことがある。
しかし、悪事の報いが熟した時には、悪人は災いに見まわれる。


善事の報いがまだ熟さないあいだは、善人も災いに見まわれることがある。
しかし、善事の結果が熟した時には、善人に幸福が訪れる。


「この報いは私にはやってこないだろう」と思って、悪を軽んじてはならない。
水が一滴ずつ溜まってやがて水瓶が一杯になるように、少しずつ悪を溜めるならば、やがて災いに満たされる。


汚れのない人、清浄で、執着のない人を傷つけたならば、
風に逆らって投げた塵のように、災いはその愚か者に帰って行く。


ある人々はふたたび母胎に入り、悪事をなした者たちは地獄に落ち、
よい行ないをした人々は天に昇り、欲望の汚れをなくした人々は涅槃へと至る。





10「暴力」より

生きとし生ける者はみな、幸せを求めている。自分の幸せを求めるために暴力で生きものを害する者は、のちの世で幸せを得られない。


言葉を荒々しく使ってはならない。言われた人は、あなたに荒々しく言い返すだろう。
怒りの言葉を受けるのは苦しみである。その言葉の報復が、あなたの身におよぶことになるのだ。
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