極楽浄土の瞑想 第九〈遍観一切色身想〉

文字数 1,612文字

仏陀はアーナンダとヴァイデーヒーの二人に向かってお告げになられた。

「この観想を成し終えたなら
さらに無量寿仏(=阿弥陀仏)の身体とその様々な特徴
そしてそこから溢れる光明を観察なさって下さい。

アーナンダよ
まさしくお知りなさい。
〈無量寿仏の身体〉とは
“夜摩天を輝かせる閻浮檀金が百千万億も合わさったごとく”なのです。
〈仏身の高さ〉は
六十万億那由他恒河沙由旬(1ヨージャナを約7kmとして、約444×10の111乗光年。参考として、現代科学が測定できる宇宙の大きさは約930×10の8乗光年。1光年=約946×10の10乗km)。
眉間の〈白毫〉は
右回りにたおやかに回転し続け
〈スメール山(世界の中心にそびえる、神々の住まう霊峰。高さ約56万km。須弥山)〉を五つ重ねたほどの大きさです。
〈仏の眼(まなこ)〉は
“世界を覆う四つの大海原のごとく”であり
青と白とに明瞭に分かれて澄んでいます。
〈身体中の毛穴から発せられる光明〉は
須弥山一つ分ほどの大きさです。
かの仏の背後に広がる〈円光〉は
“三千大千世界を百億集めたほど(三千大千世界とは、一つの六道世界が10億あつまったもの)”の大きさです。

この〈円光〉の中には
百万億那由他恒河沙(10の126乗)の数の〈化身の阿弥陀仏〉が満ちています。
その一々の〈化身仏〉にも
数多くの測り知れないほどの〈化身の菩薩〉たちが
侍者としてつき従っているのです。

無量寿仏には八万四千もの〈勝れた特徴(相)〉があります。
その一つ一つの〈相〉には
それぞれ八万四千もの〈勝れた細やかな特徴(好・こう)〉が付随しています。
そして一々の〈好〉が
さらに八万四千の〈光明〉を放つのです。
一々の〈光明〉は
あまねく十方の世界を照らして
阿弥陀仏を念(おも)う人々や神々を一人残らず収め取るのです。

これら〈光明〉と〈相好〉
および〈化身の阿弥陀仏〉について
つぶさに説明し尽くすことは出来ません。
ただただ
この記述を手掛かりとして観想し
まさに瞑想によって〈心の眼〉を開いて目の当たりになさって下さい。

“このことを目の当たりにする者”は、〈一切の仏身を観察する者〉と呼ばれます。


〈仏身を観察する〉ということは
〈仏心に見(まみ)える〉ということです。
〈仏の心〉とは
〈大いなる慈しみと憐れみ(大慈悲)〉に他なりません。
全く分け隔てすることなく慈しみを垂れて
〈あらゆる命あるもの(衆生)〉を救ってゆくのです。


この観想を成し遂げた者は
〈輪廻の中での他の世での生まれかわり〉を捨て
〈もろもろの仏たちの前に生まれること〉が出来て
〈“本来何ものも生じることがない”という真理を甘受出来る境地(無生法忍)〉を得られるのです。

ですので
“この事実を知る者”よ。
まさに
心をつなげて諦(あき)らかに〈無量寿仏の観想〉をなさって下さい。


無量寿仏を観想なさるには
一つの〈相好〉から入ってゆけばよいでしょう。
〈相好〉の中でも
ただただ眉間の〈白毫〉を観想するのが宜しいでしょう。

眉間の〈白毫〉を極めて明瞭に観想することが出来ましたら
〈白毫〉そのものを目の当たりにすることになるでしょう。

そうしましたら
八万四千の〈相〉も〈好〉も
おのずから現れてゆくのです。


無量寿仏に見(まみ)えることが出来たなら
〈十方の量り知れない数の仏たち〉をも目の当たりにすることになります。

〈無量の諸仏たち〉と見(まみ)える

ということは
諸仏の現前にて〈未来に仏となることを約束される(授記)〉ということなのです。


これが第九の瞑想たる〈遍観一切色身想(あまねく無量寿仏を観察して、一切の仏の色身の想いをなし、諸仏にまみえること)〉です。
これこそが〈正しい観法〉なのです。
このようでなければ、それらは〈邪法〉に過ぎません」
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