如来の寿命

文字数 2,373文字

 仏陀は大勢の菩薩たち、すべての集まっている人々に向かって三回、「あなたたちは如来の誠のことば、真実のことばを信じて、よく味わうがいい」と呼びかけた。
そのことばに対して、弥勒菩薩をはじめとして大勢の人々が「どうかそのおことばをお話しください。私たちは敬って聞き入れます。」と答えた。
 その様子を見て、仏陀はこう語り出した。
「如来の〈神通力の秘密〉を、明らかに聞くがよい。天人たちも人間たちも阿修羅たちも、“いまの釈迦牟尼仏は釈迦族の宮殿を出て、ガヤーに近い地(ブッダガヤ)に座って初めて〈阿耨多羅三藐三菩提(最高の悟り)〉を開き、〈仏となった〉”と思っている。しかし実は、善男子(心正しき弟子たち)よ、私は〈仏となって〉から〈無量無辺百千万億那由多カルパ(一説には、1カルパ=43億2千万年)〉が過ぎているのだ。
 善男子諸君、如来は“徳(才能)が少なく、重い垢(罪のよごれ)を背負っているので〈器の小さな教え〉の方を喜び願う者たち”をまのあたりにして、彼らのために「私は年若くして出家し、〈阿耨多羅三藐三菩提(最高の悟り)〉を得た」と説いたのだ。だが、実は「私が仏となったのは〈久遠(遠いむかしのこと)〉」なのだ。
 そうして、実際には「如来はこの世の身体を滅ぼして真実の悟りの世界へと渡ってしまう」のではないのだけれども、「これから私のこの世の身体は滅び、真実の悟りの世界へとおもむくだろう」と語り、これらの方便によって、人々を教え導いてきたのだ。
 というのも、もし仏がいつまでもこの世にとどまるならば、“徳(才能)の少ない人は、なかなか善いこころを育てようとせず、貧しさきわまったいやしいこころのままで、からだの欲を満たすことだけにとらわれてしまい、〈でたらめな見方にもとづいてものごとを考えてしまうこと〉という網に捕らわれたままになってしまう”のだから。
 もし、彼らが“如来は常に存在していて、滅び去ることはない”ということをはっきり知ったならば、すぐに気まぐれにさ迷いだしたり、いやになってなまけたりしてしまって、「会いがたい仏法に出会えた」と思ったり、「仏法をつつしみ敬おう」という心を起こすことはできないだろう。
だからこそ如来は方便として説くのだ、「修行者たちよ、知りなさい。この世の中で仏たちに出会うことはむずかしい」と。

 たとえば、優秀な医者がいるとする。彼は智慧が明らかに深くて、的確な薬の処方でどんな人の病気でも上手に治療することができた。その人は子だくさんで、十人、二十人、もしくは百人もの子どもたちがいた。彼は縁あって、遠い外国へとおもむいた。その後で、子供たちは勝手にさまざまな毒薬を飲んでしまった。薬はそれぞれに作用して、子どもたちは身悶えして取り乱し、地面を転げまわってしまう。ちょうどこの時、父は家に帰ってきた。子どもたちは毒を飲んでいるので、正気を失ってしまった者たちも、また正気を失っていない者たちもいた。
 遠くに父の姿を見て、みんな大いに喜んでひざまずき、「よくご無事で帰宅なさいました。わたしたちは愚かにも誤って毒薬を飲んでしまいました。どうか、死なないように治してください」と、すがりついた。
 父は子どもたちがさまざまに苦しんでいるのを見て、それぞれの症状に合わせて、色も香りも味もよい薬草を擦り潰し、混ぜ合わせて子どもたちに与え、「これはとても良い薬で、色も香りも味もよいよ。子どもたちよ、さあ飲みなさい。すぐに苦しみも除かれて、どんな病気でも治ってしまうよ」と、言った。
 正気を失っていない子どもたちは、その色も香りもよい良薬を一目見てすぐに飲み、病気がすっかり治ってしまった。
 ところが正気を失った子どもたちは、父が帰って来て喜び、病気を治してほしいと願ったはずなのに、その薬を飲もうとしなかった。彼らは毒気が深く入って正気を失ってしまっているので、この色も香りもよいはずの薬を見ても、「なんだかきもちわるくて飲めない」と言うのだった。
父は思った。“この子たちは哀れだ。毒に当てられて、心が転倒してしまっている。私を見て喜び、救いを求めながら、この良薬を飲もうとはしない。こうなったら方便を使って、この薬を飲ませるしかない”と。
 そして、「子どもたちよ、私は年老いてしまい、死ぬ時が近づいている。この色も香りも味もよい良薬をここに置いておくから、飲みなさい。病気が治らない、と悲しまなくていいからね」と、言った。
 そう教えて、また他の国へ行き、使いの者に、「君たちのお父さんは死んだよ」と、告げさせた。
 子供たちは父が死んでしまったと聞いて、それぞれが心大いに悲しみ悩んで、こう思った。“もし父さんがいたら、わたしたちを哀れんで、助けてくれただろう。いま、わたしたちを置き去りにしたまま、遠いよその国で死んでしまった。考えてみれば、わたしたちはみなしごなのだ。だれもかばってくれる人はいないのだ”と。
ずっと悲しみ歎いているうちに、ついに心が目覚めた。薬の色、香り、味がよいことを知って、これを飲んだ。そして、毒ゆえの病気はすっかり治ってしまった。
 父は子どもたちの病気がすっかり治ったと聞いて、すぐに帰ってきて、子どもたちみんなと再会したのだった。

 善男子諸君、どう思われるか。“この良医は、嘘つきの罪を犯した”と、多くの人は考えるだろうか?」「世尊よ、そんなことはありません」
そこで仏は答えた。
「私も、またそうなのだ。真実は、私が〈仏となって〉から〈無量無辺百千万億那由多カルパ〉が過ぎているのだ。そして人々のためを思って、方便として、“やがてこの世を去り、悟りの世界へとおもむくだろう”と言ってきたのだ。私の虚妄の罪を責める者はいないだろう」(了)
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