般若波羅蜜の不思議

文字数 5,087文字

様々な神々たちも、仏陀とその弟子たちの座へと集まり始める。そして、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉のすばらしさを学び、喜んで、仏道を歩むことを誓う。
そして神々は、口々に「〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、唱え、広めようとする人々を守りましょう」と約束するのだった。

その時、仏陀は〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉に語り始めた。
「〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉には不思議な力がある。〈薬草・マギー〉が、すべての毒を消す力を持っているようなものだ。
 獲物を探していた毒蛇が、ある動物を見つけたとしよう。毒蛇はその獲物を追いかける。しかし、追いかけられた動物は、〈薬草・マギー〉の草むらに隠れる。そうすると、毒蛇はもう近づけないのだ。
 毒を持つ蛇は、薬草の香りゆえに近づくことができず、引き返すしかない。これはすなわち、“マギーの薬効が蛇の毒に勝っている”ということなのだ。
 同様に、心正しき人々が〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、唱えて、保ち続けるならば、たとえ問題や争いが起きたとしても、〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉の薬としての力、光輝く力によって、問題はすみやかにおさまり、争いはその場でなくなることだろう。
 なぜならば、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉とは、“どん欲な煩悩から涅槃への執着までも”鎮めるものであるからだ。
 〈仏法守護の四天王、神々の主・帝釈天、この世の創造主・梵天(ブラフマー)〉などの神々たちや、尊き仏たち菩薩たちも、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、唱えて、保とうとする心正しき人々を守るだろう。このように、現実に〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉によって、心正しき人々は功徳を得られるのだ。

 また、カウシカ(帝釈天の名)よ。
〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、心に銘じて唱え、理解して広めようとし、人々に教えようとする心正しい人々は、“耳に柔らかいことば・的確なことば・筋の通ったことば”を語る者となり、怒りや慢心に飲み込まれない者となるであろう。なぜならば、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉がその人を鍛え上げ、その人格を成熟させて、怒りや慢心を増長させないからである。その人は憎しみ・悪意を抱かず、おろかさに埋もれようとはしないのだ。
 このように振る舞おうとする心正しき人々は、細やかな配慮の深さとすべてのものへの慈しみの心が生まれ、そなわってくる。
 その人はこう思うであろう。
『もしもわたしが怒りやおろかさに身をゆだねるならば、わたしの心は外の世界へと開こうとはしなくなり、顔色は燃え上がることだろう。
 わたしは〈この上もなく完全なさとり(=般若波羅蜜)〉に向かって進み、学ぼうとしている。そのわたしが、怒りの力に従ってしまうのは、ふさわしいことではない』と。
 その人はいつでも、注意深さを取り戻すすべを身につける。このように、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、心に銘じて唱え、理解して広めようとし、人々に教えようとする心正しい人々は、現実に利益を得るのである。

 また、カウシカよ。
 心正しき人々が〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、唱えて、保ち続けながら、戦場へとおもむいたとしよう。その渦中にあっても、心を集中して〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、唱えて、保ち続けているかぎり、その人は命を絶たれることはないであろう。何者かがその人に刀や棒や土塊を投げ付けたとしても、それらが体に当たることはないだろう。
 それはなぜかというと、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉というものは、“大いなる祈り”だからなのだ。〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉とは、“はかり知れない祈り”であり、“この上もない祈り”であり、“比類ない祈り”であり、“至高なる祈り”であるのだ。
この“祈り”を学ぶ心正しき人々は、自分を損なおうとはせず、人を傷つけようとも思わない。
 カウシカよ。
 この“祈り”を学び続ける“大いなる菩薩”は、〈この上もなく完全なさとり(=般若波羅蜜)〉をさとるだろうし、〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉を得るだろう。そして、“あらゆる生き物の心を見通す者”となるであろう。
 なぜならば、この“祈り”を学び続ける“大いなる菩薩”には、把握されず、知られず、直観されないものなど、何一つないからである。であるから、〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉と呼ばれるのである。このように、現に利益を得るのである。

 また、カウシカよ。
 〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉を書き写した経典を供養し、安置した場所。そこは“神聖な地”となる。そこを訪れた人が、たとえそれを敬わず、読まず、学ぶことがなくとも、その場所では、他の者がその人に襲いかかろうにも、隙を見出すことはできないだろう。ただし、以前に行なった悪い行為の報いが返ってくる場合は例外ではあるが。
 カウシカよ。
 同様に、ある場所で心正しき人々が〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学び、心に銘じて唱え、理解して広めようとするならば、以前に行なった行為の報いが返ってくる場合を除いて、その人は他の人や人以外のものに傷つけられたり、恨まれたり、悪魔に憑かれることはないだろう。このように、現に利益を得るのである」

 このように仏陀が語り終えた時、〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉は仏陀に尋ねた。
「世尊よ。
 心正しき人々が、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を書き写して書物として安置し、神々しい花々やさまざまな香りを供え、灯明を点けて供養するとします。一方で、別の人々が、〈涅槃へと入った如来の遺骨(仏舎利)〉を塔のなかに安置して、花や香を供え、灯明を点けて供養するとします。この二通りの人々のうち、どちらの人々がより多くの福徳を得るのでしょうか?」
 仏陀は答える。
「カウシカよ、あなたはどう思うか。〈完全に悟りを開いた如来〉は、どのような道を修めて最高の悟りにいたったのか」
「世尊よ。〈完全に悟りを開いた如来〉は、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学んで、〈最高に完成された悟り〉〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉を得て、悟られました」
「その通りである、カウシカよ。
 “如来とは、〈如来という特別な身体〉を得て、如来と呼ばれる”のではなく、“〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉を得ることによって、如来と呼ばれる”のだ。
 カウシカよ。如来の〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉とは、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉によって生じたのだ。“如来の身体”とは、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を人々に教えるための〈方便(たくみな手段)〉として存在しているのだ。
 であるから、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を書き写して書物として安置し、神々しい花々やさまざまな香りを供え、灯明を点けて供養する心正しき人々のほうが、より多くの福徳を得ることになるだろう。なぜならば、これらの人々は〈全てを知る者の智慧(=般若波羅蜜)〉を供養したことになるからである。
 カウシカよ。
 すみやかに〈この上もなく完全なさとり(=般若波羅蜜)〉にいたろうとする心正しき人々は、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を、楽しみつつ繰り返し、聞いて学び、心に銘じて唱え、理解して広めようとすべきだ。
 なぜならば、その人は“なんぴとからも敬われる〈完全に悟りを開いた如来〉は、かつて〈菩薩の道〉を修めていたとき、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学ばれたのだ。私たちも〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉こそを学ばねばなるまい。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉こそが、私たちの〈師〉なのだ”と、知るのだから」
 
 そのとき、〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉と共に仏陀の説法を聞きに集まっていた四万の神々たちが、そろって〈神々の主〉に言うのだった。
「我らが主よ。
〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学ばねばなりますまい。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を心に銘じて唱えねばなりますまい。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を理解して広めねばなりますまい」
 仏陀も語りかける。
「カウシカよ。
〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を学ぶがいい。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を心に銘じて唱えるがいい。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を理解して広めるがいい。
 なぜならば、〈阿修羅たち〉【帝釈天率いる神々〈デーヴァ〉とは別系統の神々〈アスラ〉。帝釈天たちに常に戦いを挑み続ける攻撃的な戦いの神々。彼らの世界〈修羅道〉は、怒りに身をまかせたものが争いを続ける世界である】は、“〈三十三天の神々〉(世界の中央にそびえる〈須弥山〉の頂上に住む〈帝釈天〉と、帝釈天を主とする神々)を打ち滅ぼしてやろう!〈三十三天の神々〉の住まいを戦場として破壊してやろう!!”と企てているのだ。
 このときこそ、カウシカよ。〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉に心を集中して、〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉を唱えるのだ。
 そうすれば、阿修羅たちの猛り狂った戦意はたちどころに失せてしまうだろうから」

〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉は、仏陀に申し上げる。
「世尊よ。
 この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉とは、“大いなる祈り”なのですね!
 世尊よ。〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉とは、“はかり知れない祈り”であり、“この上もない祈り”であり、“比類ない祈り”であり、“至高なる祈り”なのですね!」
仏陀も答えて云う。
「その通りだ、カウシカよ。
 この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉とは、“大いなる祈り”なのだ。
 カウシカよ。〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉とは、“はかり知れない祈り”であり、“この上もない祈り”であり、“比類ない祈り”であり、“至高なる祈り”なのだ。
 なぜならば、過去の〈完全に悟りを開いた如来たち〉も、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉という“大いなる祈り”によって〈最高に完成された悟り〉を得たのであり、未来の〈完全な悟りを開く如来たち〉も、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉という“大いなる祈り”によって〈最高に完成された悟り〉を得るのであり、現在も、無数の三千大千世界の仏陀たちも、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉という“大いなる祈り”によって、〈最高に完成された悟り〉を悟っているのだから。
 カウシカよ。
 私も、この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉という“大いなる祈り”によって〈最高に完成された悟り〉を悟ったのである。

 また、カウシカよ。
、この“祈り”を学ぶ心正しき人々は、さまざまな現世の利益も得るだろう。これらの人々は、不慮の災難によって死ぬことはないであろう。毒によって、刀によって、火によって、水によって死ぬことはないであろう。この〈智慧の完成(=般若波羅蜜)〉に心を注ぎ、唱えている者には、災難は消え、弱点は守られ、慈愛の心があふれ出して、悪意を持って近づく者たちも、弱点を見つけられず、悪意を捨てて奉仕することを望むだろう。ただし、前世の行為の報いとして罰を受ける場合は除いて、であるが」

 その様子をうかがっていた邪悪な魔王は考える。
 “〈完全に悟りを開いた如来〉のもとに、仏教徒たちが集まり、座っているな。さらに〈欲界と色界の神々〉も周りを取り囲んでいる。かならずこの中から〈無上の悟りを開く大いなる菩薩〉が現れるであろう。ようし、わしが出かけていって、混乱を引き起こしてやろうではないか!”
 そして魔王は、おのれの軍勢を率いて、仏陀たちのところへと近づいていったのだった。

 そのことをいち早く気付いた〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉は、魔王の軍勢をよく観察して、こう念じるのだった。
 “どのような王の軍勢よりも、この魔王の軍勢は恐ろしく、隙がない。こうして邪悪な魔王は、長いあいだ仏陀の弱点を探し、また生き物を苦しめようとつきまとっているのだな。
 よし、私が心のなかで〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉に心を集中して、念じ唱えて、広めようではないか!”
 
 〈神々の主・帝釈天(シャクラ)〉が〈純粋なすばらしい智慧(=般若波羅蜜)〉に心を集中して、念じ唱えて、広めるにつれ、邪悪な魔王とその軍勢は立つ瀬がなくなってゆき、やがて、来た道を同じように去ってゆくのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み