法蔵菩薩の修行 その1

文字数 980文字

〈欲望の芽〉、〈怒りの芽〉、〈悪意の芽〉を
心の中に生えさせないようにしました。

ですから
〈欲の想い〉も、〈怒りの想い〉も、〈悪意の想い〉も
起こらないのです。

そうして
〈姿かたち〉にも、〈音〉にも、〈香り〉にも、〈味〉にも、〈感触〉にも、〈物事〉にも
とらわれることがなくなりました。


法蔵菩薩は
〈耐え忍ぶ力〉を完成させました。

“どんな苦しみ”をも恐れず
“必要なものがわずかで足りること”を知り
“怒りに染まること”も
“愚かさに染まること”もありません。

心が常に〈三昧の境地〉に入っていて
静まりかえっているからです。
さらに
〈智慧〉にも妨げがありません。

又〈偽ったり、物事を曲げてしまおうという心〉もなく
いつも〈柔和な表情で心ある言葉を語り〉ます。(和顔愛語)

何よりもまず
“相手の言葉に耳を傾け、その意に沿おうとする”のです。


しかし
その〈志す誓願〉については
決して倦むことなく
勇ましく猛々しく精進なさいました。

ひたすらに
〈清らかな仏法〉を求めて
“命あるものすべて”に恵みを与えようとなさったのです。


その〈清らかな仏法〉とはこのようなものです。

〈仏(煩悩を断ち切った覚者)〉と〈法(仏の説き給う真理)〉と〈僧(仏法を順守する聖者たち)〉とを
“かけがえのない宝”として恭しく敬い続けること。

「世自在王仏」を師として、長として、仕え奉ること。

〈四十八もの誓願〉を
“鎧”のように、“衣”のように身にまとって
様々な修行をおさめ、
“生きとし生けるものたちすべて”のために功徳を完成させること。

“一、物事が個別であるという思い込みも離れ(空)”
“二、それらが現れて来る姿の差異性もないものとし(無相)”
“三、そうすることで今まで心の内に湧き起こっていた煩悩の欲望を止める(無願)”という
〈三解脱門〉と呼ばれる法門に常にとどまり
「本来作られたものも起こってくるものもなく
ありとあるものはあたかも幻の如くである」
と観じること。

〈粗暴な言葉〉が
人を傷つけ
自らも害し
時に両方同時に害することを知って
〈それらの言葉〉から遠ざかり、

〈善き言葉〉によって
人を救い
自らも整えられ
又、共に癒されることを知って
つとめて〈善き言葉〉を身に修めようとすること、など。
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