極楽浄土の瞑想 第十三〈雑想観〉

文字数 696文字

仏陀はアーナンダとヴァイデーヒーの二人に向かってお告げになられた。

「もしも
心から“西方極楽浄土に生まれたい”と願うのでしたら

先ずは

一丈六尺の大きさの無量寿仏が
極楽の宝池の水の上にまします姿

を観想なさるのがよいでしょう。


先ほど詳しく説明しましたように

無量寿仏の身体の大きさは量り知れないもので
凡夫の“心の力”では
到底およびのつくものではありません。

しかし
かの如来の心内に秘めた“願いの力”によって
自らを憶想する者があれば
必ずその観想を成し遂げられるようになさるのです。


ただ“仏の姿を想う”だけでも
無量の福(功徳)を得せしめるのです。

ましてや
仏身に
様々な〈相〉や〈好〉や〈光明〉が備わって
満ちている様子を観ずるならば
どれほどの功徳を得られることになりましょうか。

阿弥陀仏の神通力とは自由自在なもので
十方のどの国でも変化して現れることが出来るのです。

ある時は
空を覆い尽くすほどの大きな姿となり

ある時は
小さくなって一丈六尺
もしくは八尺にまでなるのです。


その現れた身体は

“真の金色”

に輝きます。

背後の〈円光〉に満ちる化身仏たちも
その坐せる〈宝の蓮華台〉も
先ほど解き示した通りです。


観世音菩薩と大勢至菩薩は
その身体の様子がどこもかしこも同じなので

頭のてっぺんの特徴でもって
観世音か大勢至か見分けるしかありません。

この二大菩薩は
阿弥陀仏の

“普く一切を助け導く働き”

を助けているのです。


これが第十三の瞑想たる

〈行者の想いと仏の想いとが雑(まじ)わる観想〉

です」
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