「もろもろのこと」より

文字数 1,553文字

21「もろもろのこと」より

“他人を苦しめることで、自分の快楽を得ようとする人”は、
“恨みの絆”に縛られて、〈恨み〉から逃れることはできない。





22「象として」より

“戦場の象”が矢に射られても耐え忍ぶように、私も人々からの中傷を耐え忍ぼう。
多くの人々は“たちの悪い性質”を持ち合わせているものだから。
(古代インドでは、戦争の際、よく調教された象を戦車のように用いた。)


いかに素晴らしい驢馬や馬や象であっても、
“それらの乗り物では到達することの出来ない地(=涅槃の境地)”がある。
ただ〈慎みのある者〉だけが、自分を制御してそこへと到るのだ。


もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできるなら、ともに行くがよい。
ともにあらゆる苦難に打ち勝ち、喜び、歩むことだろう。


もしも〈思慮深く、正しく暮らす、確かな人〉を道連れとできないのならば、
“国を捨てた王”のように、“林のなかの象”のように、ひとりで行くがよい。





23「渇愛」より

たとえ木を切っても、しっかりと張った根を断ち切らなければ、木は再び生えてくる。
それと同じように、
〈渇愛〉の根である〈潜勢的形成力(無意識に無意識を形作る力)〉を断たなければ、
苦しみは繰り返し現われる。


世に〈快楽〉ははびこり、人は〈欲望〉で潤う。
まこと、人々は〈歓楽〉に耽り〈楽しみ〉を求めて、〈誕生と老い〉を繰り返す。


〈愛欲〉に駆り立てられた人々は、罠にかかった兎のようにじたばたする。
“束縛の縄”に縛られ、〈執着〉にまみれて、永い間繰り返し苦しみを受け続ける。


〈愛欲〉に駆り立てられた人々は、罠にかかった兎のように喘ぐ。
だからこそ、
修行者は“欲望から離れること”を求めて、〈愛欲〉を断ち切らねばならない。


過去を捨て、未来を捨て、今を捨てるがよい。
こうして〈生存〉を超えた者は、すべてから心が解脱して、
〈誕生と老いの繰り返し〉から離れる。
 

あれこれと考えて、心が乱れ、〈愛欲〉に激しく染まっているのに、
その〈愛欲〉を美しいものと見なす人は、〈愛執〉がますます増えていく。
このような人は、“束縛の絆”を強固なものにしている。





24「修行僧」より

手を慎み、足を慎み、言葉を慎み、出来うる限りを慎み
心の内で静かに思念を凝らして喜び、心を平安に統一させて
独り居を楽しみ満ち足りている――
このような人を〈修行僧〉と呼ぶ。


“名付けられるような目に見える形すべて”をまったく〈自分のもの〉とは思わず
だからといって“私は何も持たない”ということで苦悩することのない人――
このような人を〈修行僧〉と呼ぶ。


修行僧よ、舟から水をかき出せ。
水をかき出せば、舟は軽やかに進む。
貪りと怒りとを断ったならば、〈彼岸たる涅槃〉に至るだろう。
(舟は自己、水は煩悩の比喩)


〈輝く智慧〉のない者には〈精神集中の静まり〉はない。
〈精神集中の静まり〉のない者には〈輝く智慧〉はない。
〈精神集中の静まり〉と〈輝く智慧〉とをともに身につけた人は
すでに〈涅槃〉の近くに立つのだ。


身体が静かで、言葉が静かで、心が静かで
精神が統一されており、世俗での楽しみを捨て去った〈修行僧〉――
この人は“安らぎに満たされた人”と呼ばれる。


まことに、〈自己〉こそが“自分の主人”である。
〈自己〉こそが“自分の拠りどころ”である。
商人が馬を良馬に仕立てて調教するように、〈自己〉によって“自分自身”を整えよ。


喜びに満ちて仏の教えを喜ぶ修行僧は
やがて“無意識に輪廻の業を形作ってゆく力”の止んだ、
〈幸福な安らぎの境地=涅槃〉へと至るだろう。
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