不可思議なさとり

文字数 1,893文字

シャーリプトラは部屋のなかに椅子がないので、
 -大勢でやってきた菩薩や声聞たちは、どこに座ればいいのかな。
 と、思った。
 ヴィマラキールティはその心の中を見抜いて、
「シャーリプトラさん、あなたは〈法〉を求めているんですか、それとも椅子を求めて来たのですか」
 と、言った。
「〈法〉を求めているんですよ。椅子ではありません」
「〈法を求める〉とは、みずからの体や命をむさぼることではありません。ましてや、椅子をむさぼるなんて!
〈法を求める〉とは、〈肉体や、刺激や、経験や、好き嫌いや、知識〉を求めることではありません。〈眼や耳や鼻や舌や肌やこころ〉でつかめるもの、感じるものを求めることでもありません。〈欲望にとらわれた世界や、清らかな神的形姿の世界、それらを超えた無形態の神界〉を求めることですらありません。
かと言って、〈法を求める〉とは、仏に執着して求めてはいけませんし、法に執着して求めてもいけませんし、僧に執着して求めてもいけないのです。
〈法を求める〉とは、「全てが苦しみだ」と知って求めるのではなく、「苦しみの元を断ち切ろう」と思って求めるのでもなく、「苦しみの取り去り方を知って安心したい」と考えて求めるのでも、「苦しみをなくすために修行しよう」と行動をして求めるのですら、ありません。
なぜかというと、〈法〉とは〈たわむれにすぎない考え〉を離れたものだからです。
〈法〉とは〈静まりかえった〉〈澄み切った〉ものです。
〈法〉を「修行する」ことも「選り好みする」ことも「当てにする」こともできません。それどころか、〈法〉には「姿や形」もありませんし、「いつも留まっている場所」もありませんし、「見たり、聞いたり、感じたり」することもできません。
〈法〉とは、〈何もかもないもの〉と呼ぶことができます。
シャーリプトラさん、〈法〉を求めるのなら、〈あらゆるものの中に、何も求めてはなりません〉。」
 
ヴィマラキールティは今度は文殊に訊いた。
「ところで文殊さん、あなたは無数の仏国土を旅行されたことがありますが、もっともすぐれた功徳のある椅子はどこにありました?」
「東のほうに向かって、〈ガンジス川の砂の数の三十数倍の数の国土〉を過ぎたところに、須弥相という世界があります。そこには須弥灯王という如来がいます。ヴィマラキールティさん、この須弥相に、身の丈八万四千ヨージャナ(1ヨージャナは7km,11km,15kmなど諸説ある)もある須弥灯王如来のお座りになる、もっとも美しく、無数の仏国土の中で一番すぐれた玉座があります」
 そこで、ヴィマラキールティは神通力を使った。そうすると、須弥灯王如来が三万二千の大きく美しい椅子を送ってきて、それらの椅子はすべてヴィマラキールティの部屋に運び入れられた。それは菩薩たち、修行者たち、帝釈天、梵天、四天王、その他の神々、天人たちも見たことのない光景だった。それらの巨大な椅子(高さ八万四千ヨージャナ)はヴィマラキールティの部屋にすっかりと入って窮屈にはならず、部屋は広々としている。ところが、ヴァイシャーリーの町も、四つの大陸も、元のままで、窮屈には見えなかった。
 ヴィマラキールティは文殊に、
「どうぞ、椅子にふさわしい身長になってお座りください」
 と、言った。
 それで、神通力のある菩薩たちは、身長四万二千ヨージャナになって椅子に座った。ところが、新米の菩薩たちや声聞たちは椅子に昇れない。
「どうぞ、お座りください」
 と、ヴィマラキールティはシャーリプトラに言う。
「この椅子は高くて、座れないですよ」
「それなら、須弥灯王如来を礼拝してごらんなさい」
 そう言われて須弥灯王如来を礼拝すると、シャーリプトラたちもみんなこの椅子に座ることができた。
「ヴィマラキールティさん、これは未曾有なことですなあ。こんな小さな部屋に、こんなに大きな椅子が入ったのに、ヴァイシャーリーの町はなんともありませんよ。ジャンブー島の町々も四大陸も、天界の宮殿も龍王の宮殿も鬼神の宮殿も窮屈になっていませんよ」
 と、シャーリプトラは言った。
「シャーリプトラさん、仏や菩薩には〈不可思議な解脱(思いめぐらすこともできないさとり)〉というのがあるんですよ。菩薩がこの解脱にいたったなら、宇宙一高いスメール山も芥子粒のなかに入れることができ、その芥子粒の大きさは増えも減りもしません。しかも、スメール山の姿は元のままです。さらには、スメール山に住む四天王や三十三天の神々でさえ、自分たちがどこに入ったのか分からないのです」
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