『法華経を終えて』  ~監修者のひとりごと

文字数 1,364文字

 いかがでしたか?有名な『法華経』の、「ここだけは…!」という部分をご紹介しました。
(もちろん、ヘビーユーザーの方々には「おい、ここなんでとりあげへんねん!」という箇所もあろうかとは思いますが…)

 法華経をさわっていて感じたのは、「大乗仏教の生まれたての息吹」。

最初は、お釈迦様。
そして、お弟子様。
でも、お釈迦様はいなくなる。
お弟子たちは、お釈迦様をとっても大事にする。(ので、同じ立場には絶対に立とうとしない。)

(お釈迦様の他にも、いろんな聖者様があらわれて、弟子を持ったり、持たなかったり。)

お弟子も増えて、考えもいろいろになる。
「お釈迦様があれだけ特別な方だったのは、前世でもすごいおこない(自己犠牲)をされ続けてきたからだ!」
(前世でのお姿はヒトに限らない。「私が鷹の王子だった時の話…」「…この猿の王こそ、私の前世である」などなど。膨大な前世譚(ジャータカといいます)が世界に広まって語り継がれ、「イソップ物語」や「アラビアン・ナイト」などのひとつの源流となっている、と言われています。)
(お釈迦様はずっとずっと悟りを求め続けて生まれ変わりを繰り返してこられた。この、「悟りを求める者(菩薩)」の修行とは、いったいどのようなものだろうか!?――徹底的な修行「波羅蜜多(完成)」の考案・発展・整理が進む)

「お釈迦様は過去に偉大な仏様たちがおられた、とおっしゃっている。お釈迦様の次にこの娑婆世界に仏様が現れるのは遠い未来だけれど、ここではない、はるかに遠い世界には、今いらっしゃって、今「法」を説いておられる仏様がいらっしゃるに違いない!(他方仏といいます)」

「実は今、我々の周りにも他の世界から菩薩様がいらっしゃっていて、修行をしておられるのかもしれない」

そして・・・
「実は、私たちこそ、その「菩薩」なのかもしれない・・・!」
しかし、こう宣言するのは畏れ多いことだったでしょう。並んじゃいけないお方と並ぶ、という話ですから。そう主張した人々は、周りのまじめな僧侶たちから非難・攻撃・迫害までされたのでしょう。それだけ、「危険思想」とみなされた。
そこで、彼らは自分たちの発想・信念・生き方に「お墨付き」を欲しがった。そう、お釈迦様ご自身の!!
というわけで、「誰もが菩薩となれる、そして将来は(どれほど未来かはわからないけど)誰もが仏となれる」と、お釈迦様が秘密裏におっしゃったお経が生まれるわけです。そのお経には、自分たちの信念をお釈迦様が約束して下さっている、そして何より、今も私たちを守り続けて下さっている、ということが主張されてくるわけです(久遠実成の釈迦文仏)。

おことわりしておきますが、監修者は「法華経は一部の人々がでっちあげたお経に過ぎない」なんて言っているのではありません。むしろ、主張しにくい、しかし尊い信念を貫き通して下さった大先輩たちが、命がけで修行し、主張し続けるなかで、仏様から賜ったインスピレーションの結晶が『法華経』だと考えております。『法華経』がなければ、大乗仏教精神が大きく興隆することもなかったでしょうし、現代の日本のあり方も全然違ったものとなっていたでしょう。「経中の王」たるゆえんです。

長くなりましたので、言い残しは次回に。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み