10.キガリ

文字数 2,281文字

1994年8月3日水曜日、午後5時
キガリ市内

 アンワルは「オテル・デ・ミルコリーヌ」に車を向けた。
 ベルギーの国営航空会社が経営するルワンダ一番の高級ホテルだ。

 フロントのベルギー人マネージャーによると、まだ正式な営業再開はしておらず、電気、水道はなく、水は庭にあるプールからバケツで部屋まで運んで使えるという。 
 ベッドだけの最低限の状態だが、援助関係者は無料だという。

 このホテルは虐殺が行われていた最中、ツチ人や一部のフツ人を「ゲスト」として匿っていたというが、案内してくれた客室はそんなことを微塵に感じさせないほど壁のペンキも新しく、きれいに維持されていた。
 さすがに電気と水道がないのは不便な暮らしに慣れているとはいえ、全く拠点のないこの状況では難しいと思った。

 みなで思案していると、アンワルが近くに知り合いの家があるからそこに行ってみようと提案した。ダメもとで彼に従った。


 そこはタンザニア大使館員の家だった。それを示すように鉄扉には緑と青の地に黒い斜線が入ったタンザニアの国旗が小さく描かれていた。

 クラクションを鳴らすと、しばらくしてかなり若い男性が中から出てきた。人が住んでいるらしい。鉄扉を開けると中の駐車スペースの横には大きな木が茂り、その下に2台の車が停まっていた。それぞれ外交官ナンバーが付いていた。

 われわれの訪問に気付いて家の中から男性が二人出てきた。二人ともアンワルの知り合いで、一人はここの主人でタンザニア大使館一等書記官のポール。もう一人はウガンダ人のリックで彼はウガンダの輸出入専門の国営企業に勤めていた。

 事情を話すとポールは快く泊めてくれという。有り難いことに食事もここでしていいという。なんと、水が出るというからホっとした。

 荷物を車から降ろし、持ってきた食料を提供した。奥の二つある部屋を男女に分かれて使わせてもらうことになった。
 

 寝床の次は燃料の確保だった。夜間戒厳令は一週間前に解除されたというので、夕暮れ近かったが出されたルワンダ産の紅茶を飲んで一服して再び市内に出た。

オテル・デ・ミルコリーヌ近くのガソリンスタンドでは一台につき20リットルまでしか売ってくれなかったが、2台とも制限一杯まで給油した。

 市内中心部では兵士は見ないが、パトロール中らしいジープを見かける。交差点の角々には穴が掘られ、その周囲に土嚢が積まれた簡単な検問所のようなものが目についた。戦闘の痕跡らしいものはなく、直前まで市内は内戦状態にあったとは思えなかった。

 先ほど通った官庁街へ再び戻り初めて戦闘の跡を目にした。幾つかの政府の建物には銃撃や砲撃の跡があり、黒く焦げた壁が崩れ落ちている。
 その中の大統領府だという建物は、時計台のように高くなっている部分がえぐられ破壊されていた。4月6日に撃墜された大統領機が墜落する直前に衝突し、その後、地上に激突したという。偶然とはいえ信じがたいような出来事だ。

 もちろん、ここも人がいなかった。われわれの乗った2台の車両がゆっくりと走るだけだった。

 やっと「CNN TV」と、緑色のビニールテープでボンネットと車体に記した銀色のパジェロを見かけた。のろのろと走る車の後ろの窓からは赤いロゴのCNNの入った小さな白い旗が垂れ下がっている。
 まだ戦闘が続いているのか、狙撃兵でもいるのか。少し緊張する。

「CNN! ここが今、世界で一番ホットだからな!」 と、ベンが力を込めて言った。
「ベン、ライブインタビューを受けるかもよ」 ステイシーが笑って反応した。

 世界中の紛争の現場から放送されるCNNの映像はよく視ていたが、初めて彼らが取材する現場を見て、ここは最前線だという実感が沸いて来た。

 その後、商店街の多い地域へ向かった。アンワルが友人や知人の安否を確かめたいというのだ。
 商店街の真ん中には破壊され、焼け焦げた車が放置されていた。ここで市街戦があったようだ。しかし、店は破壊されておらず、多くの店が営業を再開していた。だが、電気がなく店先は暗かった。
 少しだったが人通りも出ている。

 アンワルが車を停めて彼の知り合いの店に入る。しかし、出てきた彼の表情は暗かった。何軒かの店に入るが、同じ状況が続いた。

 しばらく、通りを車で走っていると、「アッ」と、彼が急に声を上げたと思うと、そのまま道の真ん中で車を止め走り出した。
 そして、彼は通りを歩いていた男と強く肩を抱き合った。
 友人を見つけたのだ。二人は抱き合ってお互いが生きている驚きと嬉しさを確認した。

 ルワンダ国内ではまだ内戦が続いていたが、キガリは平穏さを取り戻しているようだ。ただ、人出が異常なまでに少ないということを省いては。

 感動的な再会の後は営業を再開していたアメリカ大使館近くの「ロアシス」というバーに行った。キガリに無事到着したことをみなで乾杯した。これから何が起きるか懸念も大きかったが、まずはここまで無事にたどり着いたことは大きな成果に違いない。

 よく冷えたルワンダ製アムステルビールは琥珀色でほんのり甘く、口当たりが良い。内戦もまだ終わるか終わらないかの国で、こんな贅沢が出来るのかと思いながらも店頭で焼いていた牛の串焼き、ブルシェットと共にお代りをする。
 小瓶で1本5ドルのビールは一般のルワンダ人には高額なのか、客は援助関係者や外交官らしい欧米人だけだった。

 祝杯の後、ポールの家に帰ると住人が増えていた。ピーターというリックの同僚のウガンダ人だった。
 こうしてキガリでの国際色豊かな奇妙な共同生活が始まった。
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