13. キガリ、三日目

文字数 708文字

1994年8月5日金曜日、午前8時
キガリ市内

 この日の朝は、一番にUNHCRキガリ事務所に向かった。
 市街中心にある事務所は引越しの真最中で、中は無数のダンボール箱が山積みになっていた。
 応対してくれたキガリ事務所の次長は手短にルワンダ難民の状況を説明してくれた。そして幾つかの懸案事項を指摘した。

 まずはウガンダとルワンダ北部、かつてウガンダに逃れたルワンダ難民とIDPの帰還だった。現在、キガリを目指して約10万人が移動しているという。内戦の影響で都市機能が麻痺している、今のキガリに大量の人口が流入するとキガリの生活状況が悪化する。しばらくは北部に留めておきたいと言う。

 キガリに入る前に見たキャンプに誰も居なかったのはこの理由だった。アンワルが言っていた、見たことのない人々、というのはこうした帰還者だろう。

 また、レターの宛先だったUNREOは国連機関との調整や情報提供などの便宜を図っており、必要情報やサービスを受けるとよい、と助言してくれた。
 毎週火曜日夕方5時から、その会議室でNGOとの調整会議が開催されるという。

 UNHCRの事務所を出る際に穀物会社のロバートが出入りするのを見かけた。早くも商売に入っているようだ。彼はオテル・デ・ミルコリーヌに泊まっているという。

 この夜、ポールの家で出された食事は牛肉のトマトシチューにゆでたジャガイモ、それに炒めた後にゆでたご飯だった。戦闘が終結したばかりのキガリでは文句の付けようのない食事だ。

 この日も長い一日だったので、みな食欲は旺盛だった。
 ただ、グレイスは元気がなく皿のシチューが一向に減らない。キガリに暮らすという親戚に会えなかったのだろうか。
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