2.東京北部空襲

文字数 1,658文字

1945年4月14日土曜日、未明
東京都城北地区

「ズーン、ズーン」
 B29による空襲は続いていた。爆弾がどこかで爆発する度に狭い防空壕は揺れ、その度にほの暗いロウソクの火も大きく振れる。

 バラバラと、むき出しの天井からは土片が落ち、埃が舞った。同時に小さな悲鳴があちこちから上がり、まだ乳飲み子だった妹の泣き声がした。
 男の子はどれだけ防空壕にいればいいのか気が気でなかった。数時間に及んでいる空襲で豪内の空気は人いきれの湿気と熱気で淀み、埃と混ざってぜん息の発作はいつ起きてもおかしくなかった。

「このまま外に出ないと発作が起きる」 
 そう呟き、一緒にいた家族にそっと目配せをして暗い豪内の人混みをかき分けて出口に向かった。冷たい粘土質の地面を四つん這いに這いながら戦車兵になる夢は一気に遠のいた気がした。

「坊や、まだ危ないよ」 やっとたどり着いた出口で近所のおじさんが彼を制した。

「外の空気を吸わせてください」
 その手を振り切って、豪から這い出した。
 外は爆撃の火災による煙と煤の匂いが混じった重い空気が立ち込めていた。しかし、豪内より乾いた空気はよっぽどマシと、何度も深呼吸をした。

 窮屈だった豪から解放され、伸びをして周りを見渡した。見慣れた町は一面がれきの山と化してくすぶっている。夜明け前の薄明かりが周囲を照らし、火災による炎と煙で赤黒く滲んでいた。

 この東京都城北地区には陸軍工廠が点在していた。一月前に起きた下町への大空襲では多数の民間人の死傷者が出ていたが、今回アメリカ軍は日本軍の兵器製造能力の破壊を狙っているようだ。

 沖縄戦が激化する中、既に南方からの資源の輸送もほぼ途絶え、兵器の生産にも大きな支障が出ていたが、民間人に多くの犠牲者の出た下町への空襲とともに今夜の爆撃が戦略的にどれだけ意味があるのか疑問だった。

 それよりも完膚なきまでに日本の国土と日本人を破壊するというアメリカ軍側の強い意思表示に見えた。

「ギィ―ン!」 
 甲高いエンジン音に気付き上を見ると、爆撃の効果を確認するためだろうか、アメリカ軍戦闘機が上空をゆっくり旋回していた。
 胴体後方の下にある大きな出っ張りがある細い銀色の機体は一瞬、三式戦と見紛う。
 
 さっきの近所のおじさんは、どこで聞いたのか、硫黄島の守備隊が先月玉砕してからアメリカ軍の飛行場が出来、そこから出撃した多数の戦闘機がB29を護衛していると言っていた。その戦闘機だろうか。

 風防越しにパイロットが薄笑いをしたように見えた。同時に顎を彼に向かってしゃくり上げた。銀色の戦闘機はゆっくり上昇しながら旋回し始めた。

『あの表情は何なのだろう』 
 混乱して立ちすくんでいると、いつの間にか甲高い音が彼の後ろに迫っていた。

『やられる!』 
 とっさにそう思い走り出した。後ろを振り向く余裕はなかった。
 爆撃の被害と共に戦闘機の機銃掃射で多くの民間人に犠牲者が出ていると聞いていた。

 真っ直ぐ走れば撃たれると思い、とっさに走る方向を右に変えた。一瞬、地面から物体が突き出ているのが見えたが、よけ切れずそのまま足を取られて前のめりに倒れた。

「ダッダッダッダッ!」 
 眼前に土煙が立ち上がる。
 間一髪、足が何かに引っかかり倒れたおかげで機銃掃射を避けられた。だが、そのショックからかぜん息の発作が始まった。

 どれ程たっただろう、発作が収まり浅い呼吸をしながら周囲を見渡した。戦闘機はどこかに去っていた。彼の目の前には機銃弾によって地面が大きくえぐられていた。あの時倒れていなければ当たっていたはずだ。

『危なかった』 
 ホッとして、つまずいたものに目をやった。地面から突き出ていたのは黒く焦げた子供のものらしい小さな体だった。

 男の子はひたすら泣いた。初めて見た黒く焼けた遺体への恐怖というよりも小さな子供に妹が重なり、子供まで容赦なく焼き殺す爆撃を行うアメリカ軍への怒り。それにも関わらず、その小さな死のおかげで自分が救われたという、とてつもない不条理を理解出来なかったからだ。
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