4.難民キャンプでの年越し

文字数 1,611文字

1994年12月22日木曜日、午後4時
ンガラ

 その後、UNHCRなどとの協議の結果、帰還促進とルワンダ復興支援のためのクロスボーダー・オペレーションの開始は2月からと決まった。年明けから本格的な準備作業に入ることにした。

 このころになると、多くの援助団体の外国人スタッフがクリスマスと新年の休暇を過ごすためにンガラを離れ、キャンプで見かける姿もかなり減った。
 会議などでも出席者が少なくなり、交代要員が参加することも多かった。

 幸いキャンプでは治安が悪いながらも安定した日々が過ぎ、ACESも家族のいるスタッフを優先して休暇を取ることにした。
 結局、ンガラに残されたのは怪我療養中の自分とクリスマスも関係ないイスラム教徒のアンワルのみで、年明けしばらくまで二人で留守番になった。

1995年1月1日日曜日、午前8時
ACESンガラ事務所

 ンガラの静まり返った事務所で独りの新年の朝を迎えた。アンワルはプライバシー確保のため外部に部屋を借りていたので、玄関外の門番以外は誰も事務所いなかった。お手伝いの女性たちも実家に帰っていた。

 濃く淹れたインスタントコーヒーを飲みながら怒涛の如く過ぎた昨年を思い返し、今年は一体どんな年になるのかカップから立つ湯気を見ながらボーっと考えた。


 午後はミキの団体のスタッフが正月パーティーを開くというので招待してくれた。料理好きのスタッフが作ってくれた雑煮と日本酒に少しありつけ、思いがけず正月気分を味わえた。

 彼らの多くはンガラで過ごしていた。ヨーロッパか東南アジア経由で帰国するには乗り継ぎで丸二日かかり、少しばかりの休暇では帰れなかったからだ。まして井戸の掘削が遅れているのであればなおさらだろう。

 最後はビートルズファンのスタッフが日本から持参した彼のギターで数曲歌ってお開きとなった。
 イエスタデイを歌いながら目まぐるしく過ぎた日々に思いを巡らす。ここでの生活は1年も経っていないのに、何年も前からいるよう感じた。
 まるで、浦島太郎が玉手箱を開けた瞬間のように夢から覚めて突然、一気に歳を取ったように体が重くなる感覚になった。


1995年1月9日月曜日、午前9時
ACESンガラ事務所

 ACESのスタッフも続々と休暇から戻り、ほぼ通常通りの業務になった。みな久しぶりに家族とゆっくり出来たせいか、誰もが休暇明け特有の穏やかな表情をしていた。
 また、他の援助団体の国際スタッフが戻りはじめ、現場でも見知った顔ぶれもそろい出した。

 ただ、目下の関心は今後のブルンディの行方だった。UNHCRの情報では、今にでも民族対立での内戦に陥り、多数の難民を流出させてもおかしくない状況が続いていたからだ。

 ACESの事務所の前を歩いていくブルンディ難民の数が全く減らないことからも、それは実感していた。ブルンディが完全な内戦へと突入し、大量の難民が流入しても今の体制では受け入れは不可能だ。ブルンディ難民を受け入れる、受け入れないとの選択肢はないのは承知していたが、せめてルワンダ難民の状況が落ち着くまで持ち堪えて欲しいと誰もが願っていた。
 ACESはンガラでの活動を縮小し、ルワンダへとその重点を移すのだからなおさらだった。


 ACESは年明けから1月末までは移行期間としてUNHCRをはじめとする国連機関への報告と、業務をキャンプにいるブルンディ難民とルワンダ難民のスタッフへの移管作業を進めた。
 ルワンダに支援活動をシフトするのであって、後ろめたさなど微塵も感じることなどないが、これまで一緒に困難を共にした仲間を置いていく感じがして少し心が(とが)めた。

「ハクナマタタ、ケン。気にするな。何にでもいつか終わりは来る」 
 ベンが自分の暗い気持ちを察したのか声を掛けてきた。
「ハクナマタタ」 ベンのその言葉に何度救われてきただろう。

『ハクナマタタ、No Problem』 自分でも呟くと少し気が楽になった。
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