エマニュエル

文字数 2,196文字

1995年1月28日土曜日、午前8時 
UNHCRンガラ事務所会議室

 定例会議ではブルンディの国内情勢とその対応がメインだった。
 昨日、UNHCRはンガラから小型機によりブルンディ東部の国境地帯を偵察し、国境の町に多くの避難民が集結しているのが確認できたという。上空からでは彼らがどのような状態で、どこから来たのかは不明というが、少なくとも多くの人を国境に追いやる状況があるには違いない。

 UNHCRは今後ブルンディ東部に多くのIDPが集結していてンガラに流出する可能性が高いと不吉な予想をした。
 このため、午後には国連各機関と国際NGOによる合同の緊急対応計画のための会合が合意された。
 いよいよ、ブルンディ難民の大量流入が始まるのかと思い、緊張した。
 それにはベンとグレイスが出席することになった。

 一方、夕方にはUNHCRが7月以来のンガラ全体の難民キャンプの人口集計のための登録リハーサルを兼ねた会議がK9で行われるので、自分が最近ACESに入ったタンザニア人運転手エディの運転でエリザベスと参加した。


 UNHCRの担当者の説明ではベナコの配給所に各キャンプから難民、全員を集めて来週の週末、二日に分けて登録を実施するという。その際、各キャンプの難民に配給所の入口でリストバンドを付け、出口でそれを回収し、集まったバンドの数で人口を確定するというのだ。

 各キャンプの出入りを一時的に封鎖するが、何度も集計することを防ぐため、リストバンドの回収で一度集計された難民には手の甲には無害だが、数日は消えないインクで集計済みスタンプを押すという。これは内戦後に行われる総選挙などで用いられる方法と同じだった。
 UNHCRが難民の実数の把握に腐心しているのがよく分かった。これで何度も登録された幽霊難民分を把握し、実態に合った援助物資の手配と配給が出来る。

 ただ、現時点での人口は把握出来ても難民キャンプへの出入りが自由な限り、これからも何度も難民は登録される。今後の展開はフツ人難民組織の誠実さによるが、難民キャンプでの富と支配の根源である、水増し可能なこのシステムを簡単に手放すことはないだろう。

 登録に際してタンザニア警察も配置され警護に当たるというが、フツ人強硬派が自分たちの利益が奪われることに反発して暴動を企図したらひとたまりもない。 
 UNHCRはフツ人難民組織と登録作業の実施について積極的な協力をせずとも少なくとも妨害しないよう交渉しているというが、登録が無事に終わることを祈るばかりだった。

 われわれNGO関係者は登録監視団として公正さを確保し、トラブルが発生しないよう監視する。そして、何かトラブルが発生した場合は速やかにUNHCRに連絡するという役割だった。
 監視そのものは難しくないが、数十万人という人数を登録するので、登録活動を監視するには相当の人数が要り、ンガラにいる援助団体総出で協力が求められた。

 翌週の作業の説明が終わり、各人の配置場所を確認して簡単なリハーサルを行った。その後、監視団員の腕章を受け取り、K9事務所を後にした。ACESからは4人のスタッフが参加する。

 助手席に乗り込み、エリザベスが後部座席に座ると、素早く運転手のエディがランドクルーザーを発進させ、ンガラ事務所に向け出発した。

 日は沈みかけ、オレンジ色の光は未舗装の赤茶けた道路と相まって全ての風景を赤い色調に包んでいた。まるで火星の上を走っているようだった。

 エディが前を行くタンザニア赤新月社の白いランドクルーザーを追い抜き、前に出る。前の車が巻き上げる土埃を避けるため、先へ行こうとして速度が上がっていく。
 前にはピンクの埃を砂嵐のように巻き上げて走る青いトラックが見えた。幌のない荷台の上に多くの人がいる。ンガラに向かうのはブルンディへの帰還難民である可能性が高い。

 数か月前のルワンダ内戦の最中でも作物の収穫を気にし、土地財産を心配して帰還しようとしていたルワンダ難民もかなりいたのを思い出した。 
 ブルンディが現在危険な状況で、帰還するのには相当の覚悟がいるはずだが、彼らはそれを知っているのだろうか。

 エディが埃を避けて追い抜こうとスピードを上げて徐々に車間距離が詰まっていく。追い越しのため右側車線に移ろうとハンドルを右に切ると、荷物の上に座って埃と風を避けるよう縮こまり身を寄せ合う難民が一斉に顔を上げた。
 そして、車体最後部のあおりに身を寄せていた子供が体を起こしこちらを向いた。

『エマニュエル!』 とっさに思った。
 彼はルコレ・キャンプでの開校式で難民キャンプのフツ人リーダーに向けて手榴弾を投げ、難民のセキュリティー担当者に身柄を取り押さえさられたあと、行方不明になっていた。

 エマニュエルは胸に抱えていた茶色い袋から何か黒いもの掴み出した。
 そしてこちらに向かって投げた。

「エディ!」 
 運転手に向かって叫ぶ。

 ゆっくりと黒いものが飛んできた。驚いたエディがフロントガラスに当たる直前、右へと大きく急ハンドルを切った。車体後部が前へと大きく滑り出す。

 エマニュエルが投げたものは、あの日学校で配った茶色のテディベアの首だった。
 その首が赤い夕日で黒く見えた。

 ランドクルーザーは急回転し、車体右後部が浮き上がった。
 その直後に全てが暗転した。


        「了」
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