12.突然のキャンプからの撤退

文字数 1,423文字

1994年12月6日火曜日、午後8時
ACESンガラ事務所

 夕食が終わり、食堂で一息ついた午後8時過ぎだったろうか。玄関前にエンジン音がして止まった。ノックがあり、扉が開いた。

「ボン・ソワール、こんばんは。ちょっといいですか?」 
 そこには国境なき医師団・フランスの白地に赤の大きなロゴが入ったTシャツに白いベストを着た二人の男性が立っていた。二人ともフランス人医師で、会議でもよく見かけた。

「ジャンボ、座ってください」 ベンはそう言うと二人を食堂に案内した。
 そしてお手伝いの女性にお茶を準備するよう指示した。ステイシーとチャールズも参加する。

「お二人揃ってうちの事務所に来るとは珍しい。何か急用でも?」 
 ベンが二人とも座ったのを見て言った。
「アロー、それでは端的に言おう」 
 ピエールというリーダー格の白い髭面の50代の男が話し始めた。

「うちのベナコの病院を引き継ぐ気はないか?」 ピエールが言った。
「引き継までの期間は?」 ベンが驚いた顔をしながらも動揺を悟られないように沈着に答えた。
「二週間で完了だ」 右に座る丸い銀縁眼鏡を掛けたロベールという痩せた金髪の男が言った。
「二週間!?」 ビックリしてわれわれ四人が同時に声を上げた。
「そう。二週間だ」 ピエールが静かに返事をした。

「厳しい日程だ。しかし、なぜそれほど急ぐ?」 ベンがそう言って深く座り直した。
「おたくの実績のあることを見込んでオファーしているが、そちらの事情もあるだろうから無理にとは言わない」 ピエールの高飛車な言い方にムッとさせられる。

「ご心配ありがとう。そちらの病院は大きなオペレーションになるから、いくら実績があっても即答は出来ない。回答期限は?」 ベンが応酬した。
「金曜日までにもらいたい」 ピエールが髭を撫でながら答えた。
「分かった。検討しよう」 ベンが言った。

 ベンはそう言ったが、断る理由を探しているのだろう。どう考えても今の状況で病院を引き継ぐのは無理だ。


 次に訪れる団体があるのだろう。フランス人二人は出されたお茶にも手を付けず、出て行った。走り去る車のエンジン音が周囲にこだました。


「ベン、それにしても急な話だ。まるで夜逃げだね」 チャールズが驚いて言った。
「ああ、先月はゴマから撤退したからな。その流れだろう」 ベンが答える。
「ここもゴマのキャンプのように軍事基地化することを懸念してかしら」 ステイシーが心配げに言った。
「それにしても今さらという感じもする」 チャールズが嫌味っぽく言った。

「彼らのベナコの病院は大き過ぎてうちには手に負えない。虻蜂取らずになるのが落ちだ」 
 ベンが言った。
「あれだけ大きいと、資金もかなり付くだろうけど、クロスボーダー・オペレーションの準備もあるし難しいよ」 今の状況で事業を急拡大することのリスクがあると思った。
「その通りだ。ベナコの病院を引き継ぎたいという団体はいくらでもいるさ。金曜日に答えを確認に来るのも怪しい」 ベンが冷ややかに言った。

 ベンの言うとおり、今、ルワンダ難民支援は世界的に注目を集めている。中でも世界有数の規模のベナコ・キャンプで活動することは宣伝効果になり、資金も集まる。それを見越して展開することは援助団体の経営面からも合理的だろう。

 援助団体は人道を基本としているとはいえ、ビジネスの要素も大切だった。広報と資金集めは活動を続けるために重要だ。精神論だけでは難民は救えない現実がある。
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