33.われわれが作り出したフランケンシュタイン

文字数 2,652文字

1994年6月15日水曜日、午後8時
ACESンガラ事務所
 
 幸い、ACESのスタッフは人質にはされなかったが、少し違っていれば同じことになっただろう。ステイシーとエリザベス、チャールズは大きなショックを受けていた。あの暴徒と化した難民の集団に暴行された可能性もあったからだ。
 何より、あの群衆の中で車を前後左右に揺すられ、大声で脅されてショックを受けない者はいない。ただ、アンワルは不思議と平然としていた。

 早めの夕食後、三人が落ち着いたのを待って今日の事件の整理と今後の対応のため、会議を始めた。
「気分はどうだ? 何もなくて本当に良かった」 ベンがそう言うと、三人は無言で頷いた。
「土曜にンガラのNGO全体で、UNHCRに対してフツ人強硬派の排除を柱とする要求書を決議するというので、ACESの方針を決めたい」 ベンは一人一人を見て確認した。

「今更何が変わる? フツ人強硬派のキャンプ支配は浸透している。奴らを排除して支援が続けられるのか? 逆に現場が混乱するだけだ」 チャールズが懐疑的に言った。

 フツ人強硬派が牛耳るフツ人難民組織によるキャンプの管理は持ちつ持たれつという関係にあるのは否定出来ない。この30万人近くになったンガラのキャンプ群の難民の生活を、たった数百人程度の援助団体のスタッフではどう考えても管理し切れないからだ。

「確かにそれはあるわ。でも、援助関係者の安全は確保してもらわないと。せめて強硬派だけでも排除し、警官隊の導入は検討されるべきだわ」 
 今朝の恐怖の記憶がまだ生々しいのか、エリザベスが言った。

 彼女の言う通りだった。だが、治安維持に要るタンザニア警察官は一体何人だろう。ルスモの国境のチャイばかり要求する程度の警官を配置してどれだけ効果があるのか。
 収入の少ない彼らには良い機会だと、難民を餌食にしかねない。

「援助関係者の安全確保と円滑なキャンプ運営。この二つは今の状況では相反している。フツ人強硬派に牛耳られた難民組織を利用する限り実現不可能だ。国連PKOでも派遣するというなら別だがな」 チャールズが的を射ることを言った。

 UNHCRは虐殺の嫌疑があるフツ人難民組織の中に巣食う強硬派を野放しにした。彼らにキャンプの管理も多くを委ねた。その結果、キャンプ内で多くの暴力事件や援助物資の横流しが起きたが、対処出来なかったことは黙認していたと言われても仕方ない。
 しかし、原理原則でルワンダの首都キガリより大きな巨大難民キャンプを維持・管理するのは不可能なのも事実だ。

「つまり、われわれ援助団体はフツ人指導層の多くが強硬派の虐殺犯であるのを分かっていて人道支援の名の下、利用した。その挙句に肥大化し、最後にキャンプは彼らに乗っ取られ、次々に無実の難民が殺されているということでしょう?」 
 ステイシーが声を尖らせた。

「われわれの人道支援でフランケンシュタインを作り出した……」 
ポツリと自分の感想が漏れた。
「ああ、巨大なフランケンシュタインだ。ルワンダでツチ人を殺しまくり、今は難民キャンプで自分たちフツ人を殺し始めた悪魔のような化け物だ!」 
 チャールズが唾棄するよう言った。

「じゃあ、どうすればいい? さんざんフツ人強硬派を利用しておき、今さら人道に反するなんて言うのは卑怯じゃないか」 ベンが強く言った。
「やはり、UNHCRに本来の役目を果たしてもらうしかないでしょう」 グレイスが言った。

 各国政府に対して軍や警察の派遣要請、PKO部隊の派遣を決定する国連安保理事会への要請と折衝はUNHCRの責任で、彼らが基本的に行うこととなっている。

「でも、それが出来ないからこうなったんだろう? そう言えば、UNHCRのトップは日本人だよな、ケン?」 チャールズが意地悪く振った。
「マダム・オガタのことは、学者出身ということぐらいしか知らないよ」 
 アフリカに来てUNHCRを初めて知り、そのトップが緒方貞子という日本人だとも知った。

 今回、NGOがUNHCRに改善要求をしても実行されるかはまた別問題だ。
 日本では国連機関は大きな力を持っていると思われているが、UNHCRは国連の難民保護を行う一機関に過ぎない。
 そのトップの高等弁務官は文字通り難民に代わって国際的に彼らを保護し、権利を擁護するのが主な役割だ。受け入れ国に対して強制力を持つ行動は出来ない。
 
 ンガラの難民キャンプでの治安に関して国連安保理事会や当事国のタンザニア政府に軍や警察派遣の要望は出せても、どこまで実現出来るかどうか不明だ。さらに、国連PKOの派遣となると国連安保理事会の決定が必要で、UNHCR単独では何も出来ない。
 これは問題が複雑になればなるほど身動きが取れないということでもあった。

 だが、こうした中でも何とか人道支援は行われてきた。大量の餓死者や病死者の発生などなく、見た目の犠牲が出ることだけは防げた。だが、その結果多くの矛盾が放置され、フツ人同士が共食いする悪魔を作り出した。
 それは難民が保護される本来の難民キャンプではなく、暴力と恐怖に支配された死のキャンプだった。

 その責任の一端はわれわれ援助団体にもあった。
 何という皮肉だ。難民のために良かれとしたことが完全に裏目に出てしまった。しかも、それがわれわれ援助関係者自身にも火の粉となって振りかかっていた。

「所詮、国連なんてアフリカの奥地で起きていることなど、無関心なのさ」 
 アンワルがボソッと言った。
「アフリカで大虐殺が起きたり、大量の難民が発生したりしても対岸の火事どころか、別世界なのさ」 彼のさらなる言葉で力が脱けた。
 少しの間、静寂が広がった。

「会議で何を話すのかよく分からんが『人道』などという白人の理念を押し付けるのはいいが、犠牲になるのはいつもアフリカ人だ。白人のご託は無用だ。文句があるなら出てい行けばいい。俺は医者だし、われわれは医療団体だ。何があっても治療は続けるし、命を助ける。それだけだ」 ベンが強く言い放った。

 それに気圧されたように場が静まった。ベンがここまで感情を現すのは初めてで驚いた。

 『原点に帰れ』、とのことだろう。医療従事者として患者を第一にする「ヒポクラテスの宣い」をしたことを忘れるなということだ。
 
 その後、18日の土曜日午後4時からK9の会議室でNGOによる対応策を話し合うという連絡が無線を通じて入った。
 ベンに頼み、彼と共にステイシーの3人で参加することになった。
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