4.「罪と罰」-深夜の激論

文字数 3,462文字

1994年8月10日水曜日、午前12時30分
キガリ市内

 ポールはさらに厳しい口調で続けた。
「もし、君の家族が彼らに殺されていたら援助出来るのか?」 
 ポールはそう言うと、われわれの顔をじーっと、一人一人覗き込んだ。

「もちろん、NOだろう!」 ピシャリと、言った。
「君たちは関係ないから涼しい顔して援助出来るわけだ!」 と、たたみかける。

 確かに彼の言うとおりかもしれない。自分の家族が殺され、その犯人を助けられるとは思えない。相応の罰、苦しみを味わえばいいと思うのが人情だった。

 沈痛な面持ちで聞いていたグレイスが静かに語り始めた。
「あなたの言うように虐殺を実行したフツ人を無批判に助けることは道義上問題かも知れません。しかし、私たちはそれを裁く立場にはありません。まして、ンガラのキャンプの状況から虐殺犯だけを探して捕まえることは不可能です」 

「虐殺犯を捕まえられたとしても、どう処罰するのか。ツチ人主体のRPF政権では復讐が先立ち、公平な裁判は行われないだろう。早く国際的で、中立的な組織が裁判を行うしかこの問題は決着しない。それまで人命優先で援助を続けるしかない」 と、ベンが補強するように言った。

「そんなのは偽善だ!」 ポールがまた怒りを隠さなかった。
「大量のフツ人を連れて巨大な難民キャンプを作って逃げ込み、それを支配する虐殺犯たちをどうやって逮捕する? 君たちは虐殺犯に利用されているのを分かっていて支援しているんだろ! それは共犯関係だ。胸糞悪くなる!」 
 今のキャンプの状況を見透かしたようにポールが言った。そして、ロウソクの灯で光る、強いアルコールで赤黒く濁った目でギロリとこちらを睨んだ。

 ポールの言うように、われわれが行っているのは人道支援という名を借りた虐殺犯支援かも知れない。
 立場が変わり、自分と関係する者が虐殺の犠牲者になれば真っ先に報復したかもしれない。自分の正義感や良心なんてその程度かもしれない。だから、虐殺を行ったフツ人難民の支援にどこか疑問を感じているのも事実だ。
 だが、援助が必要なのも事実だった。

 虐殺が続いた3カ月間キガリで過ごしたというが、彼の身内に犠牲者はいないのに、どうしてそこまでフツ人に対して憎しみの感情を持っているのか分からなかった。

 しばらくの沈黙の後、ベンがゆっくりと口を開いた。
「自分は医師だ。ヒポクラテスの誓いをするにあたり、誰に対し区別なく治療を行うことを誓った。それは虐殺犯だろうが、聖職者だろうが同じだ。目の前の患者は誰でも治療を必要としている一人の人間でしかない」 ベンが断言した。

「なるほどね。医師やナースのように職業倫理と責任から助ける根拠がある人は簡単でいい。宗教家もそうだ。信仰のために人助けを行えば自らも救われ、天国にも行ける。だからといって何十万とツチ人を殺した奴らがのうのうと難民面してるキャンプに世界中からこぞって援助を行うのはどう考えてもおかしい。それこそ虐殺された死者への冒涜だ!」 
 ポールが吐き捨てるように言った。
 また沈黙が部屋を覆った。

 ポールの言葉が胸に刺さった。正直、自分はベンのような確信を持って難民を支援していたわけではない。難民を支援することに対して医師としての職業倫理はあるが、それが絶対だなどといい切れるほどの確信は自分にはなかった。

 とてつもない矛盾と、そしてどうにもならない複雑な状況に自分がいることに気付かされた。難民支援だと浮かれているうちに人道支援とか、国際社会の責任といったきれい事では片付けられない、おぞましい世界に足を踏み入れていたことを悟った。
 
 たまたまアフリカに来てそのままルワンダ難民支援に成り行きで携わってしまった。ベンたちのACESが支援するキャンプに過去を忘れられる居心地のいい逃げ場所を見つけたのかもしれない。

「フツ人を一律に虐殺犯とし、彼らの苦しみを当然の報いだという意見に私は反対です」 
 グレイスが沈黙を破るように毅然と言った。
 
 そして、ゆっくりと彼女の驚くべき過去を語り始めた。

「私の国籍はタンザニアですが、ルワンダ生まれのツチ人です。独立後の騒乱が続いていた時、6歳でタンザニアに難民として家族と逃れました。私と家族は助かりましたが、多くの親戚や友達が今と同じようにフツ人に殺されました」
 グレイスが静かに続けた。

「現在のフツ人とツチ人の民族の区別が固定されたのは第一次世界大戦後、ベルギー統治時代の身分証明書導入時に、出身民族も明記してからです。でも、ツチ人とフツ人の違いを決めたのは牛を10頭以上保有しているかどうかでした。フツ人で牛を保有していた人や、フツ人の裕福な人たちもこの時『ツチ人』にされたので、厳密なものではなかったのです」
 グレイスが植民地時代に作られた支配制度を説明した。 

「そして、背の高い細身の多いツチ人をベルギー人は勝手に優秀な民族と思い込み、彼らを重用して植民地支配を行いました。それが独立後、多数派のフツ人が実権を掌握してからは、民族区分のある身分証明書はフツ人による多数派による支配の道具に変わったのです」
 グレイスはそう言って自らの恐ろしい体験を語り始めた。

「大声を出してツチ人を探す男たちの怒声を潜んでいた家の暗い倉庫の奥で母と息を殺して聞いていた晩のこと。タンザニアに逃げる夜、走りながら見た音を立てて真っ赤に燃える知り合いのツチ人の家々。寒く暗い夜、ジャングルの中を両親に妹と負ぶわれて逃げたことなど、今も思い出すと恐怖で体が震えます。でも、多くは私たちほど運がよくはありませんでした。何人もの親戚や友人は殺されました。そして今度も同じようなことが……」
 涙声になっていたグレイスはこれ以上話せなくなった。

「ママ、十分よ。さぞ辛かったでしょう。もう、いいのよ」
 横で聞いていたステイシーが彼女の肩を強く抱いた。
「ステイシー、ありがとう。でも、みんなに聞いてもらいたいの。だって、亡くなった人は二度と誰にも話せないのよ」 
 そう言うと、グレイスは続けた。

「キガリで探していたのは妹のアナです。ルワンダから逃げた後、彼女はタンザニアの教員養成学校を出て教師になりました。タンザニアのニエレレ元大統領の影響を受けたのだと思います」

 ニエレレはイギリスからの独立運動に身を投じる前、小学校の教師だったことから「ムワリム」、スワヒリ語で先生と親近感と尊敬を持って呼ばれていた。
 汎アフリカ主義を唱え、タンザニアは多くの難民を受け入れるだけでなく、アフリカ各地の独立運動を支援し、冷戦時代は東側と関係を強めた。このためにタンザニアは経済援助を西側から受けられず、経済発展が大幅に遅れた。

「その後、アナは生まれた国の子供の役に立ちたいとルワンダに戻りました。残念ながら公立学校の教師にはなれず、キガリにある地元のNGOが運営するストリートチルドレンや貧しくて学校に行けない子供のための施設で教えていました」

 ツチ人の出自や難民としてタンザニアに逃げたことが公立校で教えられない理由になっていることが言外に伝わった。
 そして、ストリートチルドレンは内戦と森林伐採の影響で、森での生活を追われたピグミー系少数民族のトゥワ人が多かったというが、そのトゥワ人の多くも今回の虐殺の犠牲になったらしい。

「今もアナの行方は分かりません。近所には誰もいなくて、彼女の間借りしていた部屋も家ごと荒らされていました。民族に関係なく貧しい子供のために働いていたアナまでも犠牲になるなんて……」
 グレイスの声が詰まった。

「キャンプにいる虐殺首謀者を捕まえ、法の裁きを受けさせるべきです。残りの虐殺協力者には最近南米で行われたように真実を語る代わりに恩赦を与え、融和を図るのが現実的だと思います。そうでない限りフツ人難民は虐殺への報復と訴追を恐れ、いつまでも帰還しないでしょう」 
 グレイスはそういうとグラスからゆっくり水を飲んだ。

「虐殺を行ったベナコのキャンプのフツ人強硬派指導者たちを憎いと思います。でも、復讐は何も変えません。ここで断ち切らないと憎しみが次の世代へと受け継がれ、これまでのような憎悪と悲劇の連鎖を生むだけです。悲しい思いをするのは私たちで終わりにするべきです。それでなければフツ人とツチ人は永遠に殺し合うことになります。この国の未来はありません」
 部屋には彼女の声だけが響いた。
 
 いつしか、結論のないまま議論は途切れ、部屋は静寂に覆われた。

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