18.ルワンダ大統領機撃墜事件
文字数 2,417文字
1994年4月7日木曜日、午前6時30分
タンザニア、アルーシャ
翌朝、6時半にはホテルのレストランに入った。ブッフェ形式の朝食で、席は半分以上が埋まっていた。多くは欧米人の観光客の集団で、一様にサファリジャケットを着て、首からカメラやビデオをぶら下げている。これから野生動物を見にセレンゲティ国立公園やンゴロンゴロクレーターへと出かけるからだ。
ホテルの外には屋根が大きく開き、展望台のようになるランドクルーザー・ステーションワゴンを改造したサファリカーが列をなして並んでいる。
奥のテーブルにステイシーとグレイスが沈痛な面持ちで座っていた。
「ジャンボ!」 明るく振る舞い、とりあえず雰囲気を変えようと思った。
「ジャンボ、ケン。よく眠れた?」 ステイシーが静かに言った。
「あんまり。気になってずっとラジオを聞いてたよ」 そう言って大きな欠伸をした。
「ジャンボ、ケン。コーヒーでいい?」 グレイスがカップにコーヒーを注いで渡してくれた。
渡されたコーヒーカップから良い香りが立ち昇った。このホテルは外国人客のために良質のキリマンジャロコーヒーを出しているようだ。
ほどよく酸味の効いた好みの味に、重かった気分が少し軽くなる。
「ジャンボ、みんな」 チャールズが暫らくしてやってきた。
全員が揃ってからステイシーが最新のルワンダ情勢を話しだした。
彼女によると、昨夜ルワンダ大統領機がキガリ上空で何者かによって撃墜された後、ほどなくしてキガリ市内全域で銃撃戦が始まり、各地に広がっているという。
ルワンダとブルンディはよく双子の国と呼ばれていた。両国とも元ベルギーの植民地であったことや、丘陵が広がる小さな国土で、現地語もルワンダがキニヤルワンダ、ブルンディがキルンディと呼び方は異なったが、ほぼ同じで両国民は会話出来たからだ。
そして、両国とも同じ民族構成ゆえに民族対立の問題を抱えていた。
ルワンダでは多数派のフツ人が政治と軍を独立後から掌握し、経済を支配し豊かだったツチ人に対して人権侵害や迫害を続けていた。
そのルワンダにおいて1990年にRPFの侵攻で始まった内戦では、去年8月にルワンダ政府がRPFとアルーシャ協定を結び、RPFの政治参加や国軍への統合に合意した。しかし、ハビャリマナ大統領は彼を支持していたフツ人強硬派からツチ人に譲歩し過ぎたという批判を受ける。
一方、RPFからは協定の実現が遅く合意の破棄をも辞さないという圧力に晒され、事態打開にダルエス・サラームで周辺国を交えての地域サミットにハビャリマナ大統領は出席していた。
犯行声明は出ていないが、ルワンダ大統領機撃墜後、キガリ以外の都市でも戦闘が激化していた。このまま完全に内戦状態に後戻りして戦闘は全土に拡大する可能性が高かった。
他方のブルンディはその逆で、独立後は少数派のツチ人が政権を掌握するとともに、軍と警察の実権を握り、多数派のフツ人に対して人権侵害や迫害するという状態が続いていた。そして、この人権侵害が、ブルンディ難民を生む原因となっていた。
ブルンディではこの事件後、ツチ人支配の軍と警察が混乱に乗じ、再びクーデターを企てる恐れもあった。少なくとも一段とフツ人への迫害が悪化することの可能性が高かく、政治情勢はさらに不安定化し、難民が流出するだろう。
もし、撃墜にどちらかの国が関与していたと判明したら報復措置もあり得た。そうなると、タンザニアやウガンダ、そしてザイールなどの周辺国が黙っていないだろう。一気に大湖地域での紛争が拡大しかねない。
まるで戦争へのカウントダウンが始まったような状況に飲んでいたコーヒーが突如、苦くなった気がする。
まずはブルンディ難民の増加に対する受け入れ準備強化が重要なのに一同一致した。
「それでは、それぞれの最善を尽くしましょう」
グレイスはそう言うと朝食もそこそこにして席を立った。チャールズがそれに続く。
「サファリ・ンジェマ、良い旅を!」 そう言って二人を送り出した。
動物を見学するサファリツアーのサファリとは元々はスワヒリ語で旅を意味していた。
トラックとの待ち合わせはキリマンジャロ空港で午前9時だったので、ステイシーと二人してしばらくレストランに残った。
一口、オムレツを口にしただけでコーヒーを飲み続けた。誰も手を付けなかった卵料理とソーセージが乗った皿がウェイターによって下げられていく。
それを見ながらずっしりと錘を飲み込んだような気分になった。
「ケン、医薬品が日本かから届くのよ。どれだけあっても足りるとは思えないけど、それだけでもよしとしましょうよ?」 ステイシーが言った。
「確かにそうだ。心配したって何も変わらないしね」
彼女の言葉が重苦しい気分を少し変えた。15分後にホテルの入り口で落ち合うことにして席を立った。
***
キリマンジャロ空港で日本から空輸された医薬品を引き取る通関手続きが終わり、到着していた5トントラックに全てを積み込んだのは結局夕方近くだった。このままンガラに向かうには遅すぎた。
アンワルからの情報だとンガラの町に続く道路の一部には橋がなく、人力による船橋で渡るので5トントラックまでしか載せられないという。また、それが動いている日没までに着かなければならなかったので、翌朝4時に出発することにした。
再びアルーシャのホテルにチェックインしなおした。
部屋で聞いたラジオ放送ではルワンダの初の女性首相だったアガート・ウィリンジイマナが、この日の朝、キガリの自宅で何者かによって警護に当たっていたベルギー軍のPKO部隊員とともに殺害されたという。
ルワンダの事態は刻一刻と変化しているようだ。しかも悪い方へ。
犯人はまだ不明だったが、大統領機を撃墜し、その直後には首相まで暗殺するなど非常に組織立っている。そして、現政権壊滅への凄まじいほどの強い意思が感じ取れた。
タンザニア、アルーシャ
翌朝、6時半にはホテルのレストランに入った。ブッフェ形式の朝食で、席は半分以上が埋まっていた。多くは欧米人の観光客の集団で、一様にサファリジャケットを着て、首からカメラやビデオをぶら下げている。これから野生動物を見にセレンゲティ国立公園やンゴロンゴロクレーターへと出かけるからだ。
ホテルの外には屋根が大きく開き、展望台のようになるランドクルーザー・ステーションワゴンを改造したサファリカーが列をなして並んでいる。
奥のテーブルにステイシーとグレイスが沈痛な面持ちで座っていた。
「ジャンボ!」 明るく振る舞い、とりあえず雰囲気を変えようと思った。
「ジャンボ、ケン。よく眠れた?」 ステイシーが静かに言った。
「あんまり。気になってずっとラジオを聞いてたよ」 そう言って大きな欠伸をした。
「ジャンボ、ケン。コーヒーでいい?」 グレイスがカップにコーヒーを注いで渡してくれた。
渡されたコーヒーカップから良い香りが立ち昇った。このホテルは外国人客のために良質のキリマンジャロコーヒーを出しているようだ。
ほどよく酸味の効いた好みの味に、重かった気分が少し軽くなる。
「ジャンボ、みんな」 チャールズが暫らくしてやってきた。
全員が揃ってからステイシーが最新のルワンダ情勢を話しだした。
彼女によると、昨夜ルワンダ大統領機がキガリ上空で何者かによって撃墜された後、ほどなくしてキガリ市内全域で銃撃戦が始まり、各地に広がっているという。
ルワンダとブルンディはよく双子の国と呼ばれていた。両国とも元ベルギーの植民地であったことや、丘陵が広がる小さな国土で、現地語もルワンダがキニヤルワンダ、ブルンディがキルンディと呼び方は異なったが、ほぼ同じで両国民は会話出来たからだ。
そして、両国とも同じ民族構成ゆえに民族対立の問題を抱えていた。
ルワンダでは多数派のフツ人が政治と軍を独立後から掌握し、経済を支配し豊かだったツチ人に対して人権侵害や迫害を続けていた。
そのルワンダにおいて1990年にRPFの侵攻で始まった内戦では、去年8月にルワンダ政府がRPFとアルーシャ協定を結び、RPFの政治参加や国軍への統合に合意した。しかし、ハビャリマナ大統領は彼を支持していたフツ人強硬派からツチ人に譲歩し過ぎたという批判を受ける。
一方、RPFからは協定の実現が遅く合意の破棄をも辞さないという圧力に晒され、事態打開にダルエス・サラームで周辺国を交えての地域サミットにハビャリマナ大統領は出席していた。
犯行声明は出ていないが、ルワンダ大統領機撃墜後、キガリ以外の都市でも戦闘が激化していた。このまま完全に内戦状態に後戻りして戦闘は全土に拡大する可能性が高かった。
他方のブルンディはその逆で、独立後は少数派のツチ人が政権を掌握するとともに、軍と警察の実権を握り、多数派のフツ人に対して人権侵害や迫害するという状態が続いていた。そして、この人権侵害が、ブルンディ難民を生む原因となっていた。
ブルンディではこの事件後、ツチ人支配の軍と警察が混乱に乗じ、再びクーデターを企てる恐れもあった。少なくとも一段とフツ人への迫害が悪化することの可能性が高かく、政治情勢はさらに不安定化し、難民が流出するだろう。
もし、撃墜にどちらかの国が関与していたと判明したら報復措置もあり得た。そうなると、タンザニアやウガンダ、そしてザイールなどの周辺国が黙っていないだろう。一気に大湖地域での紛争が拡大しかねない。
まるで戦争へのカウントダウンが始まったような状況に飲んでいたコーヒーが突如、苦くなった気がする。
まずはブルンディ難民の増加に対する受け入れ準備強化が重要なのに一同一致した。
「それでは、それぞれの最善を尽くしましょう」
グレイスはそう言うと朝食もそこそこにして席を立った。チャールズがそれに続く。
「サファリ・ンジェマ、良い旅を!」 そう言って二人を送り出した。
動物を見学するサファリツアーのサファリとは元々はスワヒリ語で旅を意味していた。
トラックとの待ち合わせはキリマンジャロ空港で午前9時だったので、ステイシーと二人してしばらくレストランに残った。
一口、オムレツを口にしただけでコーヒーを飲み続けた。誰も手を付けなかった卵料理とソーセージが乗った皿がウェイターによって下げられていく。
それを見ながらずっしりと錘を飲み込んだような気分になった。
「ケン、医薬品が日本かから届くのよ。どれだけあっても足りるとは思えないけど、それだけでもよしとしましょうよ?」 ステイシーが言った。
「確かにそうだ。心配したって何も変わらないしね」
彼女の言葉が重苦しい気分を少し変えた。15分後にホテルの入り口で落ち合うことにして席を立った。
***
キリマンジャロ空港で日本から空輸された医薬品を引き取る通関手続きが終わり、到着していた5トントラックに全てを積み込んだのは結局夕方近くだった。このままンガラに向かうには遅すぎた。
アンワルからの情報だとンガラの町に続く道路の一部には橋がなく、人力による船橋で渡るので5トントラックまでしか載せられないという。また、それが動いている日没までに着かなければならなかったので、翌朝4時に出発することにした。
再びアルーシャのホテルにチェックインしなおした。
部屋で聞いたラジオ放送ではルワンダの初の女性首相だったアガート・ウィリンジイマナが、この日の朝、キガリの自宅で何者かによって警護に当たっていたベルギー軍のPKO部隊員とともに殺害されたという。
ルワンダの事態は刻一刻と変化しているようだ。しかも悪い方へ。
犯人はまだ不明だったが、大統領機を撃墜し、その直後には首相まで暗殺するなど非常に組織立っている。そして、現政権壊滅への凄まじいほどの強い意思が感じ取れた。