19.ルコレ・キャンプ

文字数 4,102文字

1994年4月8日金曜日、午前4時
アルーシャ、タンザニア

 翌日8日未明、まだ真っ暗の中、朝食用にサファリ客と同じ、紙の箱に入った弁当を渡され出発した。
早出の欧米の観光客も続々とサファリカーに乗り込んでいる。かなり早いが、これから遭遇するライオン、キリン、ゾウなど多くの野生動物に期待しているのか誰もがウキウキした表情で話している。それに比べてわれわれは陰鬱な雰囲気に沈んでいた。

「サファリ・ンジェマ!」 
 ホテルのスタッフがわれわれの旅の安全を祈って声を掛けてくれた。前回のような失敗は許されない。
アンワルのアドバイスに従い、一気にンガラに向かった。医薬品を満載したトラックを途中の町で停めることは再び強盗に遭う恐れが高い。

 ひたすら北西に向かって道を進む。ンガラまで1,000キロ近い行程、14時間程度だとトラックの運転手は言っていた。
 雨季のどんよりとした雲は今にでも雨を降らしそうだった。ビニールシートで荷台は覆ってはいるが、あまりにも激しいと濡れる恐れがあった。幸い空港の税関事務所から後をつけてきている車はなかったが、時々後方を確認した。
 前のステイシーは朝が早かったからか寝ているようだった。

 午前10時に着いたシンギダという町で休憩のために小さな食堂に入った。車で揺れ続けるとなぜか空腹を覚え、ホテルでもらった弁当と店先の金ダライに並べて売っているサモサやマンダジという丸いドーナッツを甘いチャイとともに食べた。
 ホテルでもらった紙の箱を開け、ゆで卵にソーセージ、クロワッサンにフルーツサラダなどフルコースの中身を見て先日の国際線フライトの侘しすぎた機内食を思い出した。
 

「金沢は寒くなかった?」
 再び車に乗り込み、暫くして金沢にいたというステイシーに日本語で聞いた。

「ダイジョウブデス」 そう言うと、後は英語で故郷のコロラドも冬は寒く雪が多いので違いがなく、苦労はなかったと言った。
「マスコミやPRの経験があるの?」 トラックが強盗に襲われた後の彼女の手際良さが印象に残っていた。
「専門じゃないけど、平和部隊でタンザニアにいた時に自分たち隊員向けのニュースレターを作っていたの」 彼女が答えた。
平和部隊は、故ケネディー大統領が提唱して実現したアメリカ人の若者を途上国に派遣するアメリカ政府のボランティア活動だった。
 無料のニュースレターと言っても本格的で、広告もあって収益は教育プロジェクトなどへの寄付にされていたという。
 彼女はかつてタンザニアにいたのか。スワヒリ語も上手なはずだった。

「隊員では何をしていたの?」 興味をそそられ、さらに聞いた。
「英語を教えていたわ。ごめん、眠くなってきちゃった」 
そう言うと、ステイシーは不機嫌そうに急に会話を切り上げた。 
 
 ナイロビで初めて会った時のフレンドリーさとは打って変わった様子に戸惑った。早朝の出発と大統領機撃墜事件以来、情報収集で寝られずに不機嫌なのかもと思った。だが、何か機微に触れることを聞いたのだろうかもと気になった。
 それから彼女の過去を聞くことは控えるようにした。

 ちょうど300キロ、4時間を過ぎたころから道が細くなり道路状態も急に悪くなった。舗装が剥がれ、赤い地面がむき出しになった穴を避ける度にスピードが落ちる。
 しばらくすると、「Lukole Refugee Camp, UNHCR」との看板が入口にあった。

「ここが私たちのクリニックがあるブルンディ難民のルコレ・キャンプよ」 と、助手席のステイシーが言った。

 あちこちに白いUNHCRのロゴが入ったブルーシートで出来た、大きさも形も雪のかまくらによく似た青いテントが無数に点々とするだけで、キャンプ全体の大きさは分からなかった。人口は二週間前のグレイスの報告からさらに増えているはずだから、今では1万人だろうか。

 ACESの看板が出ているトタン板で出来た事務所をステイシーが指さす。その前にランドクルーザーが停まっていた。
近づく車両の音を聞きつけたのか事務所から若い男が出てきた。

「ジャンボ! アンワルです。早速、積み荷は裏の倉庫に移そう」 
そう言ったのはロジスティクス担当のアンワルだ。
「アンワル、よろしく。ケンです。手配ありがとう」 
幸いこの前のような強盗事件にも遭わず、順調に輸送できたのも彼のお陰と感謝した。
 
トラックと積み荷はアンワルに任せ、事務所のあるンガラの町に向かう。
 ルコレ・キャンプからンガラの町に出るにはルワンダ国境近くまで出る必要があった。途中、「ベナコ」というブルンディ難民が収容されている丘にあるキャンプを通った。
その後、国境まで続く道を左折すると道が急に狭くなりジャングルのような密林になった。その先にはルワンダから流れるカゲラ川の支流のルブブ川にかかるポントゥーン、船橋があった。男の係が二人で両岸の間に張られた太いロープを引いて一台ずつ向こう岸に渡していた。幸い順番待ちの時間もなく10分ほどで渡れた。
 
 ンガラの町に続く道では前方に援助物資を載せたタンザニア赤新月社の白いトラックの列が行く。ンガラの町の手前でトラックが最後の力を振り絞るように「ブーンッ」とエンジンを唸らせて最後の坂を上り切っている。
坂の後は事務所まで舗装された平らな一本道だった。事務所に着いたのは日も暮れた午後7時過ぎだった。

 ピックアップから降りると伸びをして、肩を廻して血行を良くした。休憩はしたものの座りっぱなしで腰が痛い。
 
事務所のドアが開いて見知った顔が出てきた。
「カリブニ、ケン、ステイシー! ようこそ!」 グレイスが二人を抱きしめ迎えてくれた。慣れてきたとはいえ、毎度ハグされるのは少し気恥ずかしい。

「アサンテ、グレイス。疲れたよ」 初めてのルートでもあり、緊張感もあった。

 事務所に入ると中は備品らしいものがまだなく、テーブルが何台も無造作に並べられ、引っ越してきたばかりという印象だ。ンガラの町には電気は通じているようで、薄暗い事務所の細い蛍光灯がジージーと音を出し点いていた。ただ、停電が頻発するのだろう、懐中電灯やランプがあちこちに置いてある。

「急に事務所を拡張することになって、工事が追い付かないのよ」 済まなそうにグレイスが言う。
 床にはほったらかしにされた大工道具やらベニヤ板、木屑などが散乱していた。
 この様子では寝袋での雑魚寝か、よくても相部屋だろうと、辺りを見回した。

「大丈夫。ベッドは急ごしらえだけど作ってもらっているから」 
 グレイスが自分の心を読んだかのように言ったので、ホッとした。
「さすがに、シャワーはないよね?」 念のために聞いてみた。
「大鍋で沸かすの。1時間ぐらいかかるけど」 グレイスが言った。

 一瞬、大鍋で1時間と聞いて、釜茹でになるのかと思いきや、大鍋で湯を沸かし、行水をするということだった。

 それを聞いて、なぜか安心し、道中赤土で埃まみれになっていたのでお願いした。
 事務所のソファーで、出された甘いチャイで一服していると夕飯の準備が出来たと、声がかかった。

「その後、ブルンディの情勢はどうかしら?」 
ウガリと牛肉のトマト煮込みの夕飯を食べながら、ステイシーが懸案事項を聞いた。
 ルワンダ情勢については大統領機撃墜以降、トップニュースだったがブルンディは分からなかったので確認したかったのだろう。

「情報収集をしているけど、どうもハッキリしないの」 グレイスが申し訳なさそうに言う。ブルンディ大統領も亡くなりながら何も起きていないというのは解せなかった。
「少なくともブルンディ難民に関して変化はない」 チャールズが補足した。
「ただ、気になるのは少しずつだけど、ルワンダ難民がブルンディ経由でここまで来ているの。怪我をしている人もいるから少し気がかりだわ」 と、ナースのエリザベスが言った。 

「嵐の前の静けさということもある。とりあえず、医薬品のストックがあるのは心強いな」 チャールズが懸念を振り払うように言った。

 ルワンダでは内戦が再燃しているので、それから逃れてきた難民なのだろうか。
それにしても、医薬品が日本から届いたのは本当にいいタイミングだった。竹尾医師の配慮に心中で感謝した。

「マジヤモト、ミスタ。お湯が出来ました」 
 お手伝いの女性がそう言って湯気が上る大鍋を風呂場に運んでくれた。
 事務所奥の風呂場は、ベニヤ板で仕切られただけの、トイレも一緒の蛇口とコンクリートのたたきだけの簡単なものだった。洗濯用の大きなたらいと洗濯板も置かれ、洗濯もするようだ。

 埃ですっかり赤茶けた服を洗濯かごに放り込み、大鍋に入った湯に蛇口から水を入れて少し温度を下げて行水を始める。身体じゅう埃まみれで、赤茶けた水が体から流れ落ちる。
 少ない湯で行水をするには、まずは少量の湯で体と髪を濡らし、体から頭の順に洗う。次に皮膚が荒れるので冷たくてもしっかり水で石鹸とシャンプーの泡を流す。最後に残った湯で体を温める。バケツ一杯程度の湯で十分さっぱりすることが出来た。
 行水を終え新しい服に着替えると、さっぱりして人心地が付いた。
 
 食堂に戻るとまだみないた。久しぶりに顔を合わせるのと、医薬品が無事に着いて安心しているようだ。それより、これから何が起こるか分からない不安の中、独りになりたくなかったのかもしれない。

 しばらくするとアンワルが医薬品の整理を終えてキャンプから戻ってきた。ポントゥーンの運航が停まった後はジャングルを迂回しなければいけないので時間がかかるらしい。


「それでは、明日もあるからそろそろ寝ましょう」 
グレイスの一言が潮となり一同寝室に向かう。
人道支援の現場は土日も関係ないが、今も難民の流入が続くここではそれ以上に忙しいのだろう。

 寝室といっても男女別の部屋にベッドが壁を頭にして並ぶ病院の相部屋のような配置だった。この団体は医療関係者が多いのだったと気付いて、この配置に妙に納得した。
 出来たばかりのベッドは薄いマットレスを通して木の匂いがした。

 こうしてンガラでの初めての夜を迎えた。
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