23.ルワンダ国境での不気味な動き

文字数 1,513文字

1994年4月23日土曜日、午前8時
UNHCRンガラ事務所会議室

 毎週土曜日の朝8時からUNHCRのンガラ事務所会議室で行われる定例会議にはNGOをはじめとする多くの援助関係者が参加していた。そこでは難民の状況や支援状況、キャンプの治安状況などについての最新情報が得られ重要なものだった。

 この日の定例会議ではUNHCRのルワンダ事務所からの情報がもたらされた。それによると、ルワンダ全土で武力衝突が拡大しているが、まだ東部ではルワンダ国軍とRPFによる大規模な戦闘は起きていないらしい。
 しかし、戦闘がない反面、多数の国内避難民が戦火を避けて東部に集まっているという。それが国境を越えてタンザニアに流入するかどうかまでは現時点では分からないらしい。

 ブルンディ経由で流入する怪我したルワンダ難民と、今ルワンダ東部に集結している難民とは何が違うのか。あのルスモの滝で見た大量の死体は誰なのか。何ら詳しい状況がつかめない。だが、得体の知れないことがルワンダ国内で起きていることは確かだった。
 誰もがこのままルワンダ国内での内戦が激化し続け、大量の難民が国境を超えるのではないかと危惧していた。

 国際的には紛争や災害で国内に留まる住民はInternally Displaced Persons、IDP・国内避難民と呼び、支援と保護は当然ながらその国の責任であった。つまり、国境を超えない限り難民として難民条約などの国際法での保護を受けられなかった。
 このため、内戦などで国の統治能力が低下して支援が行えない場合でも支援する国際法の根拠がなく、陥穽(かんせい)に陥り支援が届かない。
 当時のUNHCRの法的権限はIDPには及ばず、支援努力はしていたが国際法の法的根拠がなく限界があった。
 
 国家を基本単位として活動する国連による、国家の権限を尊重し、内政干渉を避けるための措置だが、長期の内戦などで国家が破綻した状態では必要な人々を支援出来ない原因にもなっていた。

 この国際法と国連の原則は、戦火を逃れる住民にしてみればどうでもいい理屈でもあった。支援が必要な人々が、地図上の線に過ぎない国境を越えただけで、国際法上保護され、超えないと保護されないというのは馬鹿げていたが、国連が拠り所とするする国際法ではそうするしかなかった。
 しかし、国家や国際法の直接の制限を受けないわれわれのようなNGOにはIDPと難民の違いなどなかったので柔軟に支援活動が出来たのも事実で、それがNGOの強味でもあった。

 ルワンダ国内情勢が混とんとし、明確な情報がなかった。特にわれわれの今後の活動を左右するルワンダのIDPの動きが不明だった。IDPが国境を越えるのか、それとも留まるのか。そして国境を越えるのなら、いつ、どこで、どれほどの人数なのか。そうしたことが全く分からない。

 何が起きるか分からない不気味な状態が続く。
 まったくの手探りの状態だったが、何が起きても対応が出来るよう、各援助団体はこれまでの人道支援の経験を活かし、医療や水など支援分野ごとに連絡を取り合いながら、ある程度何が起きても対応可能なように準備を始めた。


 その夜、BBCの国際ニュースによると、前日ニューヨークの国連安保理事会はルワンダに展開するPKO部隊を現在の2,500人から270人にすると決議したという。
 平和維持のために派遣されている部隊が、内戦の戦いが激しさを増す最中、9割減らされるとは信じられなかった。
 これでは誰も内戦を止められなくなる。それを国連が自ら決定したということだ。

 ルスモの滝で見た黄土色をした死体が流れていくのを思い出した。これからもっと流れるのだろうか。
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