12. ダルエス・サラーム再び

文字数 1,903文字

1994年3月14日月曜日、午後6時
ダルエス・サラーム、クロックタワー

 ダルエス市内に着いたのは夕暮れだった。オレンジ色の強い夕陽がランドマークとして有名な時計塔を染める。
 この前泊まった同じ安宿の受付の若い男性は自分を覚えていて同じ部屋をくれた。ドアを開けるとムッ、と体臭とカビの混じったすえたにおいが夕方の熱気と共に立ち上がり吐き気がした。リュックを置き急いで水シャワーを浴びた後、カリアコー市場に出かけた。

 日が沈んだとはいえ、たっぷりと太陽の熱を溜めた道路のアスファルトからは熱が放出され、まだ順応し切らない体から汗が噴き出す。

「ビアバリディ、冷たいビール」 と、呪文のように唱え、見つけた市場の食堂でサファリラガーをグッと流し込んだ。一気に水分が細胞にしみ込んでいくのが分かった。

 翌朝、医薬品の会社巡りを始める前に宿の近くの食堂でチャパティとキリマンジャロコーヒーを朝食として食べた。タンザニアはキリマンジャロコーヒーが有名だが、質の良いものの多くは日本に輸出され、現地の安食堂などで飲めるのはB級品だった。それでもタンザニアの下町の食堂で地元の人に交じって飲む濃く淹れたコーヒーは何か違っていた。

 医薬品会社の多くはダルエス・サラーム国際空港に向かう途中の工場地帯にあった。タクシーで幾つかの会社を廻ったがいい感触はなかった。タンザニアの債務危機による外貨不足は医薬品の輸入にも打撃を与え、直接輸入するには中央銀行の外貨獲得許可など、却って手間と時間がかかるようだし、難民支援とはいえ、特別に免税措置がないとかなりの税金もかかるという。

 結局1週間かけたが、タンザニアでの医薬品の調達は望み薄ということを悟った。新しい何らかの調達手段をタンザニアで確立するまでは、これまでのように危険を冒しながらケニアから調達するしかなさそうだった。

 20日日曜日の午後、宿の受付のテーブルで医薬品に関しての報告を書いていた。自分の部屋には天井からぶら下がった扇風機は熱気をかき回すだけで、エアコンの効きが悪くてもあるだけましだった。だが、ダルエスで進捗がなく過ごしたため、気分と同様にペンが進まない。

 小さな赤い白黒の日本製テレビからは地元のサッカーチームの試合を中継していた。ひいきのチームが得点を挙げるたび、「ゴールッ!」などと実況と一緒に叫んだ受付の男が静かになったので、どうやら試合が終わったらしい。

 いつの間にCNNの定時ニュースが始まった。アフリカではよく地上波で放送していたので音声を大きくしてもらった。
 トップニュースは旧ユーゴスラビア紛争における荒廃した首都ベオグラードで続く悲惨な住民の状況だった。狙撃兵が隠れるビルの間を命がけで走り渡る地元市民が取り上げられる。
 そして、アフリカは来月末に南アフリカで実施される民主化後初めての大統領選挙と総選挙の準備のニュースだった。40年以上続いたアパルトヘイト政策が終わり新たな国に生まれ変わる。新大統領は民主化を訴え、27年間も政治犯として服役したネルソン・マンデラになるだろう。

 アフリカが大きく変わろうとしていた。しかし、各国での紛争は絶えないどころか激しくなるばかりだ。特に、アメリカ軍全面撤退後のソマリアの状況は悪化の一途で、国連では手に負えなくなっていた。
 気の重くなるニュースを見ていた間にすっかりぬるくなったサファリラガーを一口すすった。気の抜けたビールの苦みが一層苦かく感じる。

 映像が変わり、女性キャスターが「African Cooperation for Emergency Services」と、言ったのでハッとした。
 立ち上がってテレビの画面に目を凝らす。女性キャスターが続ける。

「このほどタンザニアのブルンディ難民の支援をするアフリカのNGOの薬品を積んだトラックが何者かに襲われ強奪されました」 そう言うと、ステイシーが撮影していた強盗直後の映像に続いてンガラの難民キャンプでのACESのクリニックの診療風景が続いた。

「こんなみっともない映像が広報になるものか……」 と、あの日の惨状が甦り、残った温いビールをまた口にし、気分を変えるようにレポートに専念した。

 これまでの報告とニュースの感想をベンに伝えようと、受付からナイロビに電話を掛けたがずっと繋がらなかった。よくある回線障害だと諦め部屋に引き返した。

 ヒト型にくぼんだ薄いマットレスに横たわり、天井の白熱灯に集まる羽虫を次々に食べるヤモリたちをぼんやり眺めていた。
 自分もあのように一瞬で食べられたら楽だろうなと思いながらいると、いつの間にか寝入っていた。
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