9.ルワンダ視察の影響

文字数 1,414文字

1994年8月14日日曜日、午後3時
UNHCRンガラ事務所会議室

 ACESがルワンダに行き、無事戻ったということはすぐ援助団体間に広まった。
 現地の情勢やルワンダへの行き方など、問い合わせが引きも切らず、ベンは報告会を14日、日曜日の午後にUNHCRの会議室で開くことを決め、各団体に無線で連絡した。


 この日、開始前からかなりの援助関係者が会議室に集まっていた。会場を見回すとミキと目が合い、ルワンダから戻ると会うといったことを思い出した。

 ステイシーが簡単な資料を作り全員に配り終わったところで、ベンがアフリカ大湖地域の地図を前に立ち報告会が始まった。

「みなさん、集まってくれてありがとう。これからACESが行ったルワンダとのクロスボーダー・オペレーションの調査報告会を始めます」 

 ベンがそう言うと、今回われわれが通ったルートを地図で説明しながら、RPF新政権による難民と帰還者への支援体制や方針について説明した。

 だが、ンガラの支援事業とは直接関わりのないゴマの難民の惨状や、虐殺後のキガリの状況についてはあえて触れないようにした。

 その後はステイシーがRPF新政権とキガリにおける援助団体の状況などについて発表し、アンワルが道路状況などロジスティックス面での情報を提供した。

 途中、出席者からはルワンダ難民の今後の動静などの質問が相次いだ。

「今、まさにルスモ、ゴマに続く第三波の難民の大量流出がここで起きています」
ベンはそう言うと、数日前から大量の難民が流入しているザイールの町、ブカブを地図で指した。

「残念ながら国際社会はこれを予見出来たにもかかわらず、止められませんでした。フランスの保護地域の設定が却って状況を悪化させました。ゴマのルワンダ難民と同じ悲劇が繰り返されることを危惧します」 と、ベンがそう言った。
 それを聞いていたフランス人援助関係者の顔が歪むのが分かった。

 ベンはここで一度締めくくり、質疑応答とした。
 ンガラのキャンプへの影響に対する質問が相次ぎ、最後にベンがまとめた。

「ここでの状況を踏まえると、前政権のフツ人強硬派の残党と、民兵による勢力維持のために難民を利用する動きは今後、激しさを増すでしょう。フランス軍の撤退後にルワンダ全土がRPFによって完全掌握されると、各国のキャンプのフツ人難民を盾に死に物狂いで抵抗するのは目に見えています。このため、強硬派による難民と援助団体への脅迫や暴力は増えるでしょう。同時に国民の多くが難民キャンプで暮らす現状はどう考えても異常です。早く難民が帰還出来る環境をルワンダ内外で整備することが大切です。でないと、このアフリカ大湖地域全体が不安定化し、紛争を各地で誘発させるでしょう」 
 ベンの不気味な予言で、会場は静まり返りそのまま報告会は終わった。

 報告会の後、ベンとステイシーに質問がある人たちが個別に集まった。

 片づけをしているとミキが近寄ってきた。
「ご無事で何よりです。ルワンダは大変そうね」 
「ありがとう。百聞は一見に如かず。報告会では言えないことも沢山あったよ」 
 ポールや子犬のことなどを思い出していた。

「新しいボスが東京から着いたんだけど、後で少し話し出来るかしら?」 ミキが聞いた。
「いいよ。市場横の食堂で今夜6時半はどう?」 二人きりでないことに安心した。
「ええ、では後で」 彼女がそう言うと、上司らしい中年男性がこちらを向いて会釈した。

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