24.難民の奔流

文字数 1,509文字

1994年4月28日木曜日、午後4時
ルコレ・キャンプ

 ルコレ・キャンプでの仕事も三週間になるとリズムが出来てきた。自分なりのルーティンが出来るのは、ある程度慣れたということで少し余裕を持って業務に対応出来るようになった。
 昼の休憩にも難民アシスタントがチャイを持って来てくれて飲んだり出来るようになった。濃くて砂糖たっぷりの甘いチャイはカフェインと糖分で強精剤の効果もあった。
 そう考えると、小さいカップで少量飲むのも理屈に適っていた。


「Break, Break, All Stations! Emergency! 非常、非常、全局! 緊急事態発生!」 
 午後、下痢患者を治療している最中にテーブルに置いたトランシーバーから緊張感溢れる声が流れ、手を止めた。

『ついに、始まったのか!?』 
 一瞬、ドキリとした。
 クリニック内のどの無線機からも同じ通信内容が流れ、誰もが耳をそば立て聞いている。
 
 緊急事態を告げる無線連絡はルスモのルワンダ国境から大量の難民が流入し始め、直ちに水や食料の急送を要請していた。また、衰弱した老人と子供に対する対応も求めていた。
 その後は各団体が国境での支援を指示する通信で無線回線は溢れた。

「いよいよだな」 ベンはそう静かに言って立ち上がりドクターコートを脱いだ。
「急いで医薬品を準備するよ」 と、言って自分は倉庫に走った。
 それに続いてベンが他のスタッフに指示を出す。

 ピックアップに積めるだけの医薬品と水を乗せてルワンダ国境に続く道に向かう。
 だが、途中から国境への道は難民で埋め尽くされ、前に進めなくなった。
 人の流れは国境方面から延々と続いている。それは、まるでゆっくりとタンザニア側に流れている黒いマグマの塊のようだった。

 スーツケース、鍋釜、マットレスなど両腕に持てるだけの家財道具を持ち、頭にもバランスよく載せ歩いていた。小さな子供は母親の腕から落ちないようにしがみ付いている。
 この異様な雰囲気の中でさらに不気味だったのが、誰も無言で歩いていた。まるで催眠術にでもかかったように前を向き、導かれるようにひたすら歩いている。

「ザッ、ザッ、ザッ」 という一定の足音と、袖の衣擦れの音、赤ん坊の泣き声だけが不気に響いた。
 
 国境に行くことを諦め、途中で車を止めた。その場で医療活動を開始することにした。彼らの健康状態を診ようと腕を左右に振って流れを止めた。かなり歩いたため疲れはあるようだったが、危惧したような戦闘に遭遇しての怪我はなかった。

 恐怖感を抱いている様子もなかった。一方でずっと歩き通したせいか、ムっとする体臭を誰もが発していた。みな服を重ねて着ており、外側には一張羅ともいえる背広や分厚いコートを羽織っている人たちもいる。

 しばらくすると、クラクションと大声で難民をかき分け、人と家財道具を目一杯載せたオートバイや多くの乗用車やワゴン車のグループが続いた。金持ちの集団だろうか。

 治療はエリザベスとチャールズに任せて、マラソンの給水所のように水と高カロリービスケットを手渡した。次から次へと手が延びる。足りなくなり、クリニックから車で補給をしようにも難民の流れに遮られ、なかなか輸送することが出来なかった。

 そのままずっと支援活動を続け、ンガラの事務所に全員が戻ったのは日付が変わってからだった。
        ***

 この日、タンザニアに約25万人のルワンダ難民が流入した。
 第二次世界大戦後、難民が一日で国境を越えた記録としては最大という。
 そして、ルワンダの首都キガリの人口23万人より大きく、世界最大の難民キャンプがタンザニアに突如、出現した日でもあった。
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